サッカーの羅針盤

公開記事【コンサタイム特別編】ヤット、満男、稲本など。小野伸二と黄金世代(1)小笠原が「勝負にならない」と言った才能

 

 

河治

黄金世代の意義と、そこに関わってきた人たち。その象徴として小野伸二がいた訳だけど、そのシンジが引退。そして沖縄SVで監督を兼任していた高原も引退で、それから南雄太、モトさん。

元川

稲本は近日、会見を開くから。どちらにしても南葛に風間さんが来るから、イナ的には最高の指導者が来て学べる。みんなキャリアの過渡期だね。

河治

ただ、象徴としては小野伸二がいて。あの小笠原満男まで、ナンバーワンだと認めていたぐらいだから。

元川

ミツオが、全く勝負にならなかったと会見で語ってたから。引退する時に、ライバルはって聞いて。シンジ君は?って聞いたら話にならないと。

河治

ああ、そうか。

元川

だから、そのぐらい小野の才能というかボールタッチとか、ひらめきとかが誰も太刀打ちできなかったんだよね。あの人たちがそう思ってたんだろうね。

河治

黄金世代のメンバーがね。

元川

本山だって生かしてもらったとか、引き出してもらったって言ってるから。まあヤットはあんまり人と比べるとか無いけど、小野たちがいたからアンダー代表で試合に出られなかった訳で。2006年の後、みんながいなくなってからだから。代表の主力に定着したのは。それまでは試合に出られなかったんだよ。

河治

ああ、そうだね。

元川

99年のワールドユースはたまたま稲本が怪我してたから出られたわけよ。

河治

はい。

元川

その当時のエピソードを話すと、98年にチェンマイでアジア予選があったんだよ。その時に、当時は清雲監督で、主力組とサブ組を思い切り分けて練習してた。主力は小野とか稲本とか、高原とか。酒井トモちゃんも主力組だったよ。永井雄一郎はいなかったかな。アジアだから。

河治

ああ、ドイツのカールスルーエだったっけ。

元川

そう。バンちゃんとかいた。それ以外の人、中田浩二、小笠原満男、ヤット、その辺はサブ組で。彼らは別の時間に来て、主力が帰る頃にやると。清雲さんはそのぐらい主力とサブを分けてたわけ。

河治

なるほどね。

元川

それでもう選手が不貞腐れてて。サブ組に置かれた人たちは。それで、たまたまホテルの隣がコンビニだったんだよ。そこに行ったらサブ組がゾロゾロ来てさ。そこで飲み食いしてるわけ。じゃあ、あんたたち全部買ってやるから私って。満男とか、そこでガス抜きの手伝いをしたことがあるんですよ。そんなの満男くんが覚えてるか知らないけど。そこにいたよサブ組が。

河治

ヤットもいた?

元川

ヤットもいた。彼とはマクドナルドでもエピソードがあって。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ