サッカーの羅針盤

【追憶】黒部光昭 第8話[現役の終わり方]

200311日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭を覚えているだろうか。

2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。

カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。

第8話[現役の終わり方]

「移籍したクラブの中で印象深いのは、やっぱりカターレかな」

 

2009年、カターレ富山はJ2に参入。1年目の年間順位は151620敗の13位。

黒部は2009年シーズンオフにJリーグ合同トライアウトを受け、2010年カターレ富山に完全移籍。

移籍1年目、チーム最多得点となる8得点をマークした。

 

32歳でカターレに移籍して、最初は、J2の中でも真ん中より下のクラブだし、自分が引っ張っていかなきゃという気持ちがあって、すごい気合が入ってた。

雪が大変というのはあるけど、サッカーをやる環境としては抜群にいい。

グラウンドは天然芝が2面あるし、クラブハウスもある。J1のクラブと変わらない。

ただ、JFLからまだ上がって1年しか経ってないクラブだったから、選手のプロ意識があまりにも低かった」

 

黒部は点を取り続け、プレーでチームを引っ張っていった。

「最後の1年は少しケガもあったけど、1年目、2年目、3年目は、チームで一番点を取ってるんだよね。ベテランが年間を通して試合に関わって、結果もついてきてるってことで充実して楽しくやれてた」

 

4年目、慢性的な痛みに悩まされていたヒザの手術をし、シーズンの前半戦は試合に出られなかった。

リハビリを終え、14試合に出場したが、得点を挙げることができないまま、カターレとの契約を終えた。

「最後の1年、2年くらいは、ほんとにもう苦しかったのよ。ヒザが痛くて」

 

だが、黒部は再び、Jリーグのトライアウトを受けに行った。

「サッカーを続けるという幸せより、年齢的に体がボロボロになって、痛みの苦しみのほうが多くなってきたから、引退しようか、どうしようかというところまできたんだと思う。

それでも、“現役を1年でも続けたい”って思ったのは、

原点に帰って、そもそもサッカーをなんでやってんのかって考えたときに、やっぱりサッカーが楽しくて、好きでやったことだから、最後は、“ああやっぱりサッカー好きだな”って思いながら引退したいって思ったから」

 

黒部は自身初の海外移籍となるタイリーグへの挑戦を選んだ。

Jリーグのトライアウトを受けたときに、たまたま勧められたのよ。

タイでチャレンジしてみないかって。

楽しくサッカーできるところで、体のことを考えたら、暖かいところのほうがいいなっていうのもあった」

 

黒部が契約したのは、タイ部のTTMカスタムズFC

 

サッカーをする環境は、日本とはちがっていた。

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