【追憶】黒部光昭 第3話[今だから言えるカズさんとの出逢い]
2003年1月1日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭。
2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。
カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。
第3話[今だから言えるカズさんとの出逢い]
黒部プロ1年目、背番号16番。
プロ初出場は2000年3月11日。市原臨海競技場でのジェフ戦で後半から出場しデビュー。
途中出場が多かったものの、1年目からJ1リーグ12試合に出場した。
「試合には出てたけど、正直ほんまに悔しい思いをした1年だったなー。
ぜんぜん結果が出せなかった」
その年、スタメンで試合に出ていたのは京都2年目、背番号11番のキングカズ。
カズは年間を通してコンスタントに得点を挙げ、その年、リーグ戦で17ゴールをマークした。
「俺の力が足りなかったと思う。だから出れなかったし、自分が何かを変えないとプロではやっていけないと思った」
当時33歳のカズ。間近で見ていた黒部、22歳。
「当時はやっぱりライバルだし、自分の中では認めたくないところがあった…。
だけど、参考にすべきところはたくさんあった」
黒部はカズのプレーをヒントに、うまくアレンジして自分のものにしていった。
「俺は、“こういうスピードで、これくらいの質の球を蹴れば入る”というポイントをもっている。
そういう俺の感覚のいろんなものは、カズさんのを参考にさせてもらった。
だから点が取れるようになった。
カズさんは、日本でトップレベルにシュートがうまいストライカーだってことは間違いない」
ルーキー時代にチームメイトとして出逢った黒部。
「カズさんがいて良かったってことは、終わってからだから言えることであって、これが試合に出れずに引退ってことになっていたら、カズさんがいて試合に出れなかったからこうなったっていう人生になってた。
やっぱり試合に出てなんぼ。
出れなくて悔しさしかなかった。
出れない悔しさの中で学ぶこともあったけど、試合に出て学べることのほうが本当は多いと思う。
俺は今、スカウトの仕事をしてるから、なおさらわかるけど、
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