サッカーの羅針盤

【追憶】黒部光昭 第2話[京都を選んだ理由]

200311日、天皇杯決勝(京都―鹿島)で決勝ゴールを決め、チームを優勝へと導いた黒部光昭。

2015年に15年間の選手生活を引退し、彼は今、選手から立場を変えて、富山で第二のサッカー人生を歩んでいる。

カターレ富山強化部長として、選手のスカウトに携わる彼だからこそ、選手時代を振り返って見えてくることがある。第2話[京都を選んだ理由]

1999年夏、ユニバーシアード日本代表(全日本大学サッカー連盟に加盟する大学の所属選手によって編成されるナショナルチーム)メンバーに選ばれた黒部光昭。

複数クラブからオファーがくる。

「オファーをくれたチームは、京都、セレッソ大阪、名古屋グランパス、アビスパ福岡の4チームあった。大学が福岡だったから悩んだけど、親に見に来てもらいたいから、実家(徳島)から近いほうがいいなというのがあった。もうひとつは、チームの中心的な選手の存在。

名古屋には呂比須ワグナーがいた。セレッソ大阪には西澤(明訓)と森島(寛晃)がいて、福岡には同級生で山下(芳輝)っていう結構有名な選手がいた。 

京都は3年生のときからスカウトに来てくれてたのもあるし、全日本に選ばれるってなってから、全部のチームに練習参加して、いろんな条件が一番あてはまったのが京都だった。

 自分がチームの中心になりたい、京都でチャレンジするって言ったあとぐらいに、カズさんが京都に入った。くるんかい、みたいなかんじやったけど(笑)」

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