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南半球でプレーする 2人の女子サッカー選手それぞれの人生選択 野島咲良選手(元U-17代表)と田中景子選手(元U-19代表)の場合

たくさんの日本人選手が海外でプレーしています。宮澤ひなた選手のように欧州に新天地を求める選手、遠藤純選手のようにアメリカでプレーする選手……それだけではありません、アジアで、北中米で、南米で、アフリカで、そしてオセアニアでもプレーする日本人選手がいます。

外務省「海外在留邦人数調査統計」によると、最も日本人が多く住んでいる海外の国はアメリカ。次いで中国、オーストラリアの順となっています。オーストラリアでは、プロリーグのAリーグ・ウィメンから地域のリーグまで、さまざまなディビジョンで日本人女子サッカー選手がプレーしています。

彼女たちは、なぜ南半球に渡りプレーしているのでしょうか。2人の選手に聞いてみました。

元U-19日本女子代表 田中景子選手は日本人の特徴を生かして暮らす

東京電力女子サッカー部マリーゼ、ベガルタ仙台レディース、ニッパツ横浜FCシーガルズでプレーした田中景子選手がオーストラリアに渡ったのは2020年。現在はN P LニューサウスウェールズW1(Aリーグ・ウィメンから数えて2部リーグ)のグレーズビル・レイブンズ・スポーツクラブでプレーしています。

田中景子選手 ダーリングハーバーの眺めの良いテラスで

シドニーの日差しを浴びて待ち合わせ場所に颯爽と登場した田中選手は背筋の伸びたカッコ良い女性でした。ビルが林立するシドニーの景色にフィットした写真を撮影。今では、すっかり、この街の生活に馴染んでいますが、当初は、日本と全く異なるオーストラリアの生活スタイルに戸惑ったそうです。例えば、生活の時間帯。

「朝からフィットネスジムに行く人が多いですね。それからカフェでコーヒーを飲んで、ゆっくりしてから出勤するコーヒー文化があります。17時には仕事を終えて、すぐに帰宅する人が多いので、夜遅くまで空いている店は少ないです。逆に、朝は6時から営業しているカフェもあります。」

大企業の女子サッカー部で社会人生活をスタートした田中選手は、英語を身につけることと、現役生活の最後の1年間にチャレンジするためにオーストラリアに渡りました。日本語も通じず、チャレンジングな海外生活をイメージしていました。でも、来てみたら皆が優しい。移民に慣れている国なので拙い英語への対応にも嫌な顔をされない。

「オーストラリア人でも、お父さん、お母さんのどちらかがアジア系だったり、ヨーロッパの他の国をルーツに持つ家族だったりする。何でも受け入れるのが当たり前の社会だからフレンドリーな感じがします」

田中景子選手

先送りとなった選手引退

多様な人種で社会を形成し、多様な価値観が共存する。街を包む空気は日本と違う。帰国が延び、1年間のプレーの予定だったはずが、いつの間にか3年目を迎えています。

「1年間の生活をしたからといって自然に英語を喋れるようにはなりませんでした。結局、自分で勉強しながら生活しないと身につかないですね。それで、帰国を延ばすことにしたのですが、あとは居心地が良い。これから先の人生を考えたときに、やはり楽しまなきゃいけないし、健康でなきゃいけない。今は、以前の『根を詰めてやっていたサッカー』から少し解放された気分でプレーしています。目標を持って日々を重ねていく生活も素敵なのですが、こちらに来て、そうじゃない部分も大事だと気づきました。無理をしないことも大事です。」

田中景子選手

ただし、おおらかな現地の風土にそのまま同化してしまえば良いわけではありません。挨拶、礼儀、日本の心を忘れないことは、オーストラリアで生活していく上でも大事だと言います。

「私は、それが、どこの世界に行っても強みになると思います。日本にいたら気付かない普通のことかもしれませんが、海外に飛び出してみると、すごく目立つ特徴になって重宝される。オーストラリア人とは違う気質ですが、それは悪いことではないと思います。」

「ダーリング・スクエア」にある隈研吾さん設計のビル「THE EXCHANGE(ザ・エクスチェンジ)」には図書館が入っている

田中選手はプレーしながら、シドニー随一のおしゃれエリア「ダーリング・スクエア」の日本料理店で働いています。そして、子どもたちを対象としたサッカースクール・M A T E  F Cのコーチもしています。M A T E  F Cの代表は元日本代表の田代有三さん。日本流の「心技体を鍛える」という考えを取り入れたサッカースクールです。田中選手は田代さんから信頼を得てイキイキと働いています。

「今は何も不自由なく毎日を過ごせるので、このままずっとシドニーに住んでいたい感じです。」

田中選手は、オーストラリアの永住権を取得することも含め将来設計を検討し、これからも女子サッカーと共に生活していくつもりです。もう少し、現役選手として女子サッカーと付き合う期間が長くなるかもしれません。

「FORGOTTEN SONGS (忘れられた歌)」は無数の鳥籠を吊るしたストリートアート。さえずりが聞こえる。シドニーの都市化と共に出て行ってしまった鳥たちを表現している

セレッソ大阪堺レディース出身 野島咲良選手は上を目指す 

Aリーグ・ウィメンでプレーするのが目標です。目標を達成するために、今のリーグで結果残したいです。」

野島咲良選手

2023−24シーズンからセレッソ大阪ヤンマーレディースがWEリーグに参入しました。WEリーグでプレーしていたセレッソ出身の多くの選手がチームに復帰し桜色のユニフォームの袖を通しましたが、違う選択をした選手もいます。野島咲良選手もその一人です。24歳となる2023年春にノジマステラ神奈川相模原を離れ、現在はN P Lニューサウスウェールズ W1のイラワラ・スティングレイズF Cでプレしています。この日は、自宅から約2時間をかけてシドニーの中心部にやって来ました。

「やっとこちらの生活に慣れてきましたね。自分が住んでいる街はニューサウスウェールズ州の一番端にあります。都会のシドニーとは雰囲気が違います。」

シドニーのビル群を歩く野島咲良選手

オーストラリアのサッカーはAリーグだけが全国リーグで、他のリーグは全国リーグではありません。N P Lニューサウスウェールズ W1はニューサウスウェールズ州を活動範囲としている14チームのリーグです。Aリーグ・ウィメンから数えて2部リーグに相当します。この仕組みは面積が日本の約20倍という広いオーストラリアならでは。ただ、州リーグとはいえ、ほとんどの対戦相手がシドニーかシドニーの周辺で活動しているので、イラワラ・スティングレイズF Cのアウェイゲームはいつも移動が大変なのだそうです。

野島選手は、なぜ新天地を南半球に求めたのでしょうか。日本国内で、より多くのプレー機会を得る移籍もできたはずです。

「英語圏での生活を考えていたので、英語圏のリーグの移籍先を探していました。Aリーグ・ウィメンでプレーすることと英語を身につけることを目標に、オーストラリアに渡りました。年齢的にもちょうど移籍できるタイミングだったので、この春の移籍になりました。」

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