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白血病からの現場復帰 JFA第34回全日本O―30女子サッカー大会で劇的勝利し鈴木理紗さん(元スペランツアF C大阪高槻)が優勝監督になるまで 後篇

2023年3月19日、シュピーニ大阪がJFA第34回全日本O―30女子サッカー大会に初優勝しました。監督の鈴木理紗さんは優勝を決めたときの感情をこのように表現しました。

「生きていてよかったと強く想った。もっと生きたいと強く想った。」

鈴木さんは2020年11月10日に白血病と診断され闘病を続けてきたのです。久しぶりの晴れ舞台に復帰し、以前に一緒にプレーしたチームメイトらと一緒に笑い、楽しみ、O−30日本一の監督になりました。

白血病からの現場復帰 JFA第34回日本O―30女子サッカー大会で劇的勝利し鈴木理紗さん(元スペランツアF C大阪高槻)が優勝監督になるまで 前篇(無料記事)

今回の後篇では、急性骨髄性白血病と診断されてから闘病を経て優勝するまでを振り返ります。決勝戦のクライマックスは、誰も予想できない展開となりました。そして、O―30女子サッカー大会とは何か、その開催意義を感じる大会の結末でもありました。

白血病と診断された日 提供:鈴木理紗さん

急性骨髄性白血病と診断され2度のさい帯血移植へ

白血病はいわゆる血液のがんで、がん化した白血球系細胞が無限に増加する病気です。一般に、抗がん剤治療(化学療法)を行いますが、寛解(完治ではないが症状や検査異常が消失した状態)を目指して、いわゆる骨髄移植を行う場合もあります。鈴木さんは、当初「中度」と説明を受けていましたが、遺伝子変異が見つかり「重度」の急性骨髄性白血病と診断されました。急性骨髄性白血病は進行が早く「骨髄移植をしなければならない」という説明を受け、鈴木さんは実家に帰ることにしました。骨髄移植後の生活には制限があるため一人暮らしが難しいからです。コロナ禍ですが、幸運にも飛行機に乗ることができ、鈴木さんは大阪府から故郷の宮城県仙台市に帰り転院しました。

2019年ごろの鈴木理紗さん 提供:鈴木理紗さん

しかし、骨髄バンクの中に適合するドナーが一人もおらず、骨髄移植は実現しませんでした。残された時間はあまりありません。治療を急ぐために2021年2月26日に1回目のさい帯血移植をしました。「さい帯」とは赤ちゃんとお母さんを結ぶ「へその緒」のことです。長期にわたる治療の途中で髪の毛は抜け、顔の輪郭が変わりました。歯は知覚過敏になり、日焼けはできず、体力が落ちるとスキップもできなくなりました。

1回目の抗がん剤治療後、頭髪が抜けたのでスキンヘッドにした 提供:鈴木理紗さん

「その後は、順調に回復していたのですが11月2日に外来に行くと『再発しています』と診断されました。」

そこで、病院から2回目のさい帯血移植をするかどうかの決断を迫られました。なぜなら、1回目のさい帯血移植の際の辛い経験から、多くの人が2回目の移植を躊躇するからだそうです。ただ、鈴木さんは迷いませんでした。

「『えっ!?しますけど。しない選択肢はないですけど。』と言いましたね。」

再発が発覚した後は抗がん剤治療を行いましたが、なかなか効果が現れず、緩和ケアに移る直前の症状にまで悪化しました(鈴木さんは、後からそれを知りました)。最も苦しい時期でした。

1回目の移植後、ムーンフェイス(ステロイド剤による副作用)に 提供:鈴木理紗さん

「自分にはF L T3という遺伝子変異がありました。F L T……読むとフラットスリーって、ちょっとサッカーぽくないですか(笑)。そのフラットスリーの遺伝子変異を持つ人に効果がある飲み薬があって、それを飲むようになって急性骨髄性白血病は寛解になりました。それから2022年4月に2回目のさい帯血移植をして今に至っています。退院してからは体調が良いです。」

命に関わる深刻な状況を乗り越えてきたのにも関わらず、鈴木さんは、FIFAワールドカップ日韓2002でトルシエジャパンが躍進する原動力となった戦術・フラットスリーという単語を持ちネタのように軽快に操り笑顔で話します。それは、鈴木さんの強さなのか、明るさなのか、それとも、そのように振る舞っているだけなのか、筆者には掴めませんでした。ただ、一つ言えるのは、鈴木さんと話していると、こちらまで元気になるような力をいただけるということです。

「病気になったのをどう受け止めるかは自分次第です。『なぜ病気になってしまったのだろう』と悲しみ続けるのも一つの選択だし、あまり気にしないで『大丈夫』と思うのも一つの選択……といって、どちらを選ぶにしても、あまり状況は変わらないです。仕事で怒られて『また頑張ろう』と思うのも『最悪だ、辞めたい』と思うのも自分次第じゃないですか。本当にしんどい日は何にも考えずに寝ますね。寝るに限ると思います。寝て、ぱっと起きたときに『まだしんどいな』と思ったら、ずっと寝ていることもありました(笑)。

人間、明日のことなどわかりません。未来のことを考えすぎると不安になります。今を生きているのに、未来に起こるか起こらないかわからないところに感情を割かれると、貴重な今の時間を未来に奪われる。それは、すごく無駄なことだと思ってしまいます。」

2回目の移植後、2022年6月に退院 提供:鈴木理紗さん

ノリで仲間に混ぜてもらった監督就任、抽選で敗者復活し全国へ

シュピーニ大阪はJFA全日本O―30女子サッカー大会のために期間限定で結成されるチームです。4年ぶりに開催される大会に向けた準備をしていました。JFA全日本O―30女子サッカー大会は30歳以上の女性を主な対象とし、女子サッカーの普及を主目的とした大会です。参加チームは、日本サッカー協会の加盟登録チームである必要はないので、いつもは所属チームでプレーしている選手が、この大会だけのために急造チームで集まって参加することもできるのです。予選に相当する関西大会は2022年12月に開催。鈴木さんはほとんどのメンバーに予告なく、突然に試合会場に現れ、懐かしい仲間たちからの歓迎を受けました。そして、監督に就任しました。「ノリで混ぜてもらったって感じですね」と鈴木さん。

「自分たちは、毎年、おいでやす京都に負けて敗退し『来年は頑張ろう』みたいな感じで解散していました。今回も関西大会の決勝戦でおいでやす京都にP K戦で負けて予選落ちしていました。ところが、全国大会に出場する予定だったチームが出場を辞退したために抽選で自分たちが全国大会に出場できることになりました。抽選で当たった身なので『みんなで楽しもう!楽しみ!』という合宿のようなノリで大会に臨みました。」

なでしこジャパン経験者を擁する強敵を破り準決勝進出

全国大会グループステージ初戦の相手は東海地区代表、三重県で活動するLegame。第29回大会に優勝、第30回大会(2019年)に優勝しています。伊賀FCくノ一三重のO Gを中心にしたチームです。今大会から同じ県内で活動しているF Cミナスとの合同チームとして出場しています。登録メンバー表を見ると中盤には乃一綾さん、那須麻衣子さん、宮本ともみさんの名前。なでしこジャパン(日本女子代表)または代表合宿経験者が並びます。そんな強敵を20で下します。シュピーニ大阪のメンバーたちは「意外とできる」と、自分たちの秘めていた力に気がついたのでした。グループステージを3連勝し1位で通過します。

鈴木さんは勝ち進むうちに「優勝するチームってなんかこんな感じだな」と思ったそうです。

「出場できないサブの選手もずっと声を出している。しかも、すごく良い声ばかりでした。」

シュピーニ大阪のメンバーの一人・齊藤仁美さんは、なでしこリーグ昇格を目指すF C  Q O L水戸シルエラでプレーしています。この大会のために合流しました。齋藤さんも、チームの雰囲気がとても良かったと話しています。

「シュピーニ大阪は、ピッチ内外関係なしにずっとうるさいチーム(笑)。どこででも騒いでいて、いつでも笑顔が溢れている。とにかく雰囲気がいい!準決、決勝のハーフタイムに『P K戦は嫌だから勝ち切るか、負け切るかにしよう!時間内に決めよ!』と、キャプテンの奥田さんから声かけがありました。『普通は勝とう!なのに、負ける選択肢もあったのー??』と話題になりました(笑)。」

鈴木さんは、大会の思い出は「終始笑っていたこと」だと言います。

「試合中に、他のチームの人からは『このチーム、うるさいな』と思われていたはずです。なぜサッカーをするのか、なぜ練習をするのか、なぜ頑張るのか、なぜ負けても次の試合に出ようとするのか……やっぱり、そこに楽しさがあるからです。勝つ楽しさだけではなく、パスがつながる楽しさ、一緒に練習をできる楽しさ、チームメイトが一丸となる楽しさ。それがサッカーの原点です。本質を再確認できた大会になりましたね。」

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