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白血病からの現場復帰 JFA第34回全日本O―30女子サッカー大会で劇的勝利し鈴木理紗さん(元スペランツアF C大阪高槻)が優勝監督になるまで 前篇(無料記事)

鈴木理紗さんはゴールキーパーの楽しさを伝える活動をしています。1985年6月生まれの37歳。宮城県仙台市出身で常盤木学園高校を卒業後はT A S A K Iペルーレ、スペランツァFC大阪高槻(現・スペランツァ大阪)等でゴールキーパーとしてプレーし、現在は仙台市で生活しています。大阪府から仙台市に生活拠点を移した理由は2020年に急性骨髄性白血病発症を発症したからです。

F C Q O L水戸シルエラのイベントでゴールキーパーの体験指導をする鈴木理紗さん(左) 提供:鈴木理紗さん

読者の皆さんはJFA第34回全日本O―30女子サッカー大会をご存知でしょうか。30歳以上の女性を主な対象とし、女子サッカーの普及を主目的とした大会です。参加チームは、日本サッカー協会の加盟登録チームである必要がないので、いつもは所属チームでプレーしている選手が、この大会だけのために急造チームで集まって参加することもできる特別な大会です。試合時間は50分(前後半25分)。参加資格に「極端な勝利目的の為のチーム編成は行わないこと。」と明記されている珍しい大会ともいえます。参加した各チームでは、グラスルーツでプレーする選手から元なでしこジャパン(日本女子代表)までが混在してプレーしています。

闘病を続けてきた鈴木さんが優勝監督となりました。その喜びを、鈴木さんはツイッターで、このように発信しました。

Over30全国大会優勝しました!!監督としてグランドに立たせてもらいました。感動、興奮の嵐。生きていてよかったと強く想った。もっと生きたいと強く想った。今、治療を頑張っている方たちの希望になりたい。少しでも勇気を持ってもらいたい。」

今回は、前篇・後篇で鈴木さんがJFA第34回全日本O―30女子サッカー大会で優勝監督になるまでを振り返ります。

JFA第34回全日本O―30女子サッカー大会を初優勝したシュピーニ大阪 提供:鈴木理紗さん

コロナ禍の影響で4年ぶりに開催されたJFA全日本O―30女子サッカー大会 

第1回大会から第14回大会まで、JFA全日本O―30女子サッカー大会は『全国ママさんサッカー大会』という名称で開催されました。初代王者は、あの清水FCママ。早くから女子サッカーが普及していた「王国・清水」の女子サッカーにおける草分け的存在で14回の大会のうち5大会を制しました。第15回大会から第29回大会までは『全国レディースサッカー大会』という名称で開催されました。筆者は、この大会名称の時代に、スポンサー企業の担当者として関わっています。

第30回大会からJFA全日本O―30女子サッカー大会となりました。しかし、コロナ禍で第31回大会から第33回大会までは中止。今年、2023年3月に、久しぶりに開催されました。

監督就任はサプライズ登場から 

鈴木さんが監督を務めたのは関西地区から出場したシュピーニ大阪です。メンバーの齊藤仁美さんにチームのことを聞いてみました。決勝戦で得点し優勝に貢献した齊藤さんは、なでしこリーグ昇格を目指すF C  Q O L水戸シルエラでプレーしています。この大会のために合流しました。

「普段の所属チームは別々だけど、サッカーを純粋に楽しんでいる人の集まりです。メンバーのほとんどが関西人なのもあるけれど、試合中のミスは笑って終わり、ポジティブな声かけしかない。全国大会中は『徳積もう』と言って、参加チーム全体の控室のゴミを片付けて掃除もしていました。『私、点取りたいんで』と言って、下心みえみえで率先して掃除している選手もいた(笑)。そういった、雰囲気の良さが優勝への原動力になったと思います。」

チームの中心人物は、かつてスペランツアFC大阪高槻(現・スペランツァ大阪)で主将として活躍し、第1回の「なでしこチャレンジプロジェクト」に招集経験のある奥田亜希子さんです。

鈴木さんにとって、奥田さんはスペランツアFC大阪高槻で一緒にプレーし、同時期に引退した仲間ですが、合流は当日まで伏せられていました。奥田さんをはじめとするチームのメンバーにとって鈴木さんの合流は大きなサプライズでした。予告なく関西大会の試合会場に現れ、そのまま監督となったのです。齊藤さんは、そのとき、鈴木さんの明るいキャラクターでチームが一つになったと振り返ります。

「現れたときは、皆からは『おかえり』の声が飛び交っていました。病気になったにも関わらず、前向きな発信を続けているから、皆もそこに引っ張られていきました。(鈴木)理紗さんのために……というのは、特になかったけど()、結果的に優勝監督にさせてあげることができてよかった!!」

青森県弘前市で開催されたゴールキーパー発掘・育成イベント『G Kって楽しいよ(仮)』での広報の妻神さんと鈴木理紗さん 提供:鈴木理紗さん

新型コロナウィルスだと思い受けた診察から判明した白血病

鈴木さんは本来ならば、この大会に選手として出場しても良い年齢です。2013年の引退後は、サッカーチームの運営や子どもを対象としたスポーツ家庭教師などを行い、子どもたちの運動能力と心の育成に取り組みました。そして、ゴールキーパーコーチとしても活動してきました。鈴木さんは、元々、ゴールキーパーコーチになるのが将来の夢で、そのために、なでしこリーグで10年間の選手経験を積んだのだそうです。

関西女子サッカーリーグ1部の和泉テクノFCでゴールキーパーコーチを務めていた鈴木さんの人生を左右する出来事が相次いで起こったのは2020年でした。

「コーチを辞めるつもりでチームに話しに行ったら『監督をやってくれ』と言われました。『ちょっと自信ないです』と答えたのですが『監督は打診されないとできない仕事だよ』と言われ、引き受けることにしました。1月に監督に就任し11月10日に白血病と診断されました。」

2020年1月15日に、国内で最初の感染者が確認された新型コロナウィルス感染症は猛威を振るっていました。そんな最中に鈴木さんは38度以上の高熱を発します。3日間、体温は下がりませんでしたが、近所の病院での診察の結果は「おそらく風邪でしょう」というもの。しかし、その後も高熱が続きます。

「そのうち、胸の骨のあたりに痛みを感じるようになったので『絶対に新型コロナウィルスだ』と思って大きな病院に行きました。血液検査を受けると結果が出るまでに予想以上に待つことになりました。

待っていたら、お医者さんの偉い人がやってきて『鈴木さんちょっと……』と呼ばれました。普通に単刀直入に告げられるのですね『血液の疾患と思われます』って……。自分が血液の疾患の種類を白血病しか知らなかったので『白血病ですか』と聞きました。『そうです』と言われました。白血病は誰もが知っている病名です。『えっ!?白血病って自分がなるんだ』と、何だか感心に近いような驚きでした。

『帰宅しないで、このまま入院してください』と言われました。でも、その病院は新型コロナウィルス感染症の患者を受け入れていて病床がいっぱいだったので、別の病院に入院することになりました。次の日から抗がん剤を投与しながらの治療に移りました。」

コロナ禍の対応に苦しんだ監督一年目。全く予想していなかった白血病の診断。鈴木さんの人生は、突然に思い描いていた方角とは違う向きに動き出しました。先の見通せない治療を必要とする闘病生活が始まります。ただ、2年半後に、鈴木さんはJFA第34回全日本O―30女子サッカー大会の優勝監督になるのです。

(インタビュー:2023年3月30日 石井和裕) 

ここまでが前篇です。次回の後篇では、闘病から優勝までを振り返ります。

白血病からの現場復帰 JFA第34回全日本O―30女子サッカー大会で劇的勝利し鈴木理紗さん(元スペランツアF C大阪高槻)が優勝監督になるまで 後篇

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