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解散 アンジュヴィオレ広島が女子サッカーに残した功績と課題を関係者証言から考える 課題篇

Top写真提供:アンジュヴィオレ広島

アンジュヴィオレ広島のアカデミーは、週に3回、小学校の校庭を借りて練習しています。広島ではちょっと知られた「ボール拾い隊」と呼ばれる3人がいます。チーム立ち上げから10年間、3人のうち誰か一人が、必ずその練習に立ち会ってボール拾いをしているのです。打越町町内会長の沖田晴信さんはその一人です。 

「サッカーが大好きな子たちが集まってサッカーをやってきましたから、アンジュヴィオレ広島が解散してしまうのは残念です。これからもずっとサッカーを続けてもらえればと思います。新天地でのプレーも心の底から応援したいです。」 

アンジュヴィオレ広島は広島市西区の横川・三篠地区から熱烈な応援を受けています。しかし、チームが大きく育っていくために、サポートしてくださったのは広島全域の皆さんでした。 

「横川で始めたチームですが、広島全域の名だたる企業さんに支えていただきました。横川の人たちだけではここまでできなかったチームです。今は、皆さんに応援していただいたことに感謝する気持ちしかありません。ありがとうございます。」 

沖田さんは、解散の日までアンジュヴィオレ広島を支えていこうと考えています。 

関東在住の佐藤幹彦さんは解散のニュースを聞くと、なでしこリーグの中断期間中であるのにも関わらず「どうしても地元の仲間やチームスタッフと話をしたい」と、そごう広島店屋上「星空のビアガーデン」で開催されたアンジュサポーターの決起会へ弾丸緊急参加しました。 

「チーム、スタッフと共に決して多いとはいえないチームですが『アンジュファミリー』と呼べる、地域イベントへの参加や、クラウドファンディング、エンゲート(ギフティングサービス)
)に協力する、サポーターの仲間ができたこと……これに、尽きますね。」 

川の流れが美しい街・広島

アンジュヴィオレ広島はなぜ解散を選択したのか 

前回の功績篇ではアンジュヴィオレ広島の残した功績について振り返りました。アンジュヴィオレ広島があったから広島はWEリーグチームのある県になりました。しかし、乗り越えることができなかった課題が積み残されました。今回は解散の要因について考えていきます。 

解散 アンジュヴィオレ広島が女子サッカーに残した功績と課題を関係者証言から考える 功績篇

コロナ禍のダメージは時間差で地方都市にやってくる 

広報と営業を担当してきた宮地弘充さんはスポンサー獲得を一手に引き受けてきました。宮地さんによると今回の解散の要因はいくつかありました。宮地さんは、その中でも「コロナ禍のダメージ」が最も大きかったと考えています。2022年に入り、東京発の報道を見ると、世の中はwithコロナに向けて動き出しているように見えますが、広島の経済状況は前回の経営危機に陥った2020年シーズンよりも悪化しているというのです。 

「あのときは、ご支援いただいたみなさんの熱い思いが伝わってきたので、2021年シーズン以降も続けることを決断しました。ちょうど、なでしこリーグ1部に昇格し各スポンサー企業さんにご協力いただける機運がありました。それで、2021年シーズンは、なんとか持ち堪えたのですが、コロナ禍はいつ終わるか検討がつきません。当初からの時間差で、今になって地方都市の企業にダメージが効いてきた感じを受けます。今シーズンは、大きくスポンサー費用が落ち込んで厳しい状況が見えていました。これ以上の継続は限界だと感じました。」 

広島電鉄市内線が走る広島市内中心部

繰越正味財産を失い事業継続は困難に 

2012年に設立されたアンジュヴィオレ広島は、わずか3シーズンでなでしこリーグへ参入。東西に分かれたチャレンジリーグを主な戦いの舞台としました。順調に成長したのは2018年シーズンまで。2019年シーズンは(主にスポンサー企業からの)受取寄付金が半減し、正味財産増減額(当期純利益)が大幅な赤字となり、これまでの繰越正味財産を失ってしまいました。翌年の2020年に経営危機が表面化しましたが、これをなんとか凌ぎ切りました。WEリーグがスタートした2021年シーズンにアンジュヴィオレ広島は念願のなでしこリーグ1部に昇格し戦いの舞台を全国に移しました。そのため運営予算が20%も増加しました。それにもかかわらず受取寄付金が半減してしまった…… NPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブの事業報告書は、アンジュヴィオレ広島の歩みを数字で物語っています。 

アンジュヴィオレ広島を運営するNPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブは横川・三篠地区の有志を中心として発足しました。アンジュヴィオレ広島の運営以外の事業としては横川・三篠地区の地域活性イベントの実施協力、観光農園やキャンプ場の指定管理者の受託等を行なっています。小規模なNPO法人がゆえに、専属の人員を確保することがなかなかできません。スタッフは複数の業務を兼務しています。 

「とっくの昔に『街クラブの限界』を超えていたと思います。」 

そう、宮地さんは言います。そして、2021年シーズンになでしこリーグ1部に昇格し業務量が想像以上に増えたそうです。全国リーグの負担とコロナ禍のダメージが2022年シーズンのアンジュヴィオレ広島に蓄積していきました。 

Jリーグ開催日に賑わう横川駅前にはアンジュヴィオレ広島の巨大幕が掲出されている

『街クラブ』の限界を感じ譲渡先を探したが 

横川・三篠地区の地域活動をするNPO法人に全国リーグやプロリーグは重荷だったのではないか……筆者は、その点がずっと気になっていました。疑問をぶつけてみると、宮地さんから意外な答えが返ってきました。 

「設立当初から『結成10年後になでしこリーグ1部で優勝』を目標に掲げていました。でも、いつか『街クラブ』の限界がやってくるのは初期の頃から解っていました。ですから『最終的にはサンフレッチェ広島と一緒にやりたい』という考えがクラブの中にありました。それまでは『街クラブ』として地域で頑張るという意気込みでした。チームカラーを紫にしたのはそのためです。 リーグのプロ化の情報が入り始めた頃から、アンジュヴィオレ広島は『街クラブ』でWEリーグ参入することはできないと判断をしていました。そこで、サンフレッチェ広島にプロ化への参入を要請したわけです。 

サンフレッチェ広島にアンジュヴィオレ広島のDNAを引き継いでもらう希望は実現しなかったので、なんとかスポンサーを獲得することとチームの譲渡先を探すことに全力を注いでいました。 WEリーグが誕生したことが、今回の解散につながるかというと、そうではないと僕は思っています。なでしこリーグ1部で戦う組織と資金を整えられなかったことが直接の原因だと思います。」 

中長期で見れば地域にチームが増えるのは良いことなのだが 

広島の女子サッカー熱は、どこまで拡張したのでしょうか。アンジュヴィオレ広島の活躍で「広島の女子サッカーをなんとかしたい」という機運が急速に高まり、広島県内の女子サッカーチームは増えていきました。サンフレッチェ広島は、2022年4月から、サンフレッチェ広島レジーナ アカデミーを創設。サンフレッチェ広島レジーナU-14、サンフレッチェ広島レジーナ U-13を立ち上げセレクション等で優秀な選手を集めています。 

サンフレッチェ広島の野津田岳人選手を輩出したことで知られるシーガル広島は2015年にシーガル広島レディースを設立。JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会をはじめ全国レベルで活躍し、地域の父兄の人気を集めています。 

しかし、高いレベルでプレーしたい選手の数がそれに比例して増加するまでには至らず、アンジュヴィオレ広島は若年層の選手を、なかなか獲得できなくなりました。また、サッカースクールは参加人数を増やすことができなく、サンフレッチェ広島の誕生以前から収益で指導者を雇う人件費を確保できない状況が生まれていました。これは、広島県内の他のクラブでも見られる現象です。一部の人気クラブを除くと若年層は慢性的な選手不足です。チーム数とマーケット規模(プレー人口)が歪な状態となっていきました。 

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