WE Love 女子サッカーマガジン

解散 アンジュヴィオレ広島が女子サッカーに残した功績と課題を関係者証言から考える 功績篇

Top写真提供:アンジュヴィオレ広島

NPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブの事務所は広島市西区の横川駅近くにあります。Jリーグのサポーターがエディオンスタジアムに向かうバスに乗り換える駅です。横川・三篠地区は以前より先駆的なコト起こしやモノづくりで発展してきた街で、サッカーボールでお馴染みの「ミカサ」と「モルテン」、広島のソウルフード・お好み焼きに欠かせない「オタフクソース」等を生み出しました。独特のレトロな雰囲気を持ち、東京でいえば、町工場と飲食店街が共存する蒲田に近い繁華街の雰囲気を持っています。 

Jリーグ開催日に賑わう横川駅前

アンジュヴィオレ広島の解散が発表されて1週間が経ちました。広報と営業を担当してきた宮地弘充さんは、筆者に偽りのない心境を教えてくれました。 

「サッカーをする場所がなくなることはトップチームはもちろんのこと、アカデミー年代にとって、ものすごく大きな問題です。申し訳ない気持ちでいっぱいです。なんとか選手全員がプレーを続けられるようにしたいです。 

WE Love 女子サッカーマガジンは、アンジュヴィオレ広島が経営危機に陥った2020年シーズンに取材記事を掲載。「広島県の女子サッカーは、WEリーグ以降の日本の女子サッカーのモデルケースになる」と伝えました。あのとき、多くの人々の支援を受けて危機を乗り切ったかに見えたアンジュヴィオレ広島ですが、残念ながら、2022年シーズン限りでの解散が決定。2022年8月22日に発表されました。日本の女子サッカーのモデルケースになるかに見えた、WEリーグを頂点とした広島県の女子サッカーのピラミッドは、わずか2年間で崩れてしまいました。 

「WEリーグ以降」 アンジュヴィオレ広島存続問題に揺れる広島女子サッカーの未来は?これは全国に通じるモデルケースだ

しかし、広島県の女子サッカーのトップランナーとして10年間(法人立ち上げから11年)を走り抜けてきたアンジュヴィオレ広島は広島県の女子サッカー史に確かな足跡を残しました。今回の記事では、再びアンジュヴィオレ広島を取材し、関係者の声から、その功績と次世代に残した課題についてお伝えします。 

なでしこブームの最中に横川で誕生したアンジュヴィオレ広島 

アンジュヴィオレ広島は、どのようにスタートしたのでしょうか。当時の時代背景から振り返ってみましょう。 

アンジュヴィオレ広島を運営するNPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブは2011年9月に誕生しました。FIFA女子ワールドカップ ドイツ2011でなでしこジャパン(日本女子代表)が世界一に輝き、日本中がなでしこブーム真っ盛りの秋でした。 

そして、2011年は日本が抱える課題について長期的な視点から考えて提言する民間組織「日本創成会議」がスタートした年でもあります。「日本創生会議」は、その後、2015年に全国1千800市区町村のうち896を「消滅可能性都市」と指摘する提言を発表。2011年は、一足早く、時代の流れを敏感に察知した日本全国の自治体や商店街が「地方創生」と「まちづくり」に悩み始めた時期でもありました。 

NPO法人広島横川スポーツ・カルチャークラブ理事長の神村登紀恵さん(当時は理事:法人立ち上げ当時の理事長は現在の首相の岸田文雄さん)は「スポーツとまちづくり まちトーク2016」で、アンジュヴィオレ広島立ち上げについてこのように話しています(一般社団法人 建設コンサルタンツ協会 中国支部 平成27年度 社会貢献活動報告書より引用)。 

「横川をもっと楽しくしよう という会があり、横川をサッカータウンにしてはどうかという話が挙がりました。どうせなら女子のサッカーチームを作ろうという話になり、NPO団体を立ち上げ、アンジュヴィオレ広島が生まれました。」  

ただ、横川の関係者に話を聞くとチーム立ち上げの経緯は、これを遡ること、もう少しだけ物語があります。広島県内に有力な女子サッカーチームがないことを憂慮していた広島県サッカー協会の中に、横川で新しいチームを立ち上げてくれることに期待する声があったというのです。つまり、アンジュヴィオレ広島は広島県の女子サッカー界にとって待望のチームでした。 

アンジュヴィオレ広島があったから広島はWEリーグチームのある県になった 

アンジュヴィオレ広島は10年(法人立ち上げから11年)の間に大きな功績を残しました。サンフレッチェ広島は2022年8月22日に「お疲れ様でした。アンジュヴィオレ広島様」というメッセージを公式サイトに掲載しました。 

「私たちサンフレッチェ広島は、アンジュヴィオレ広島様からプロ化への参入を要請されました。アンジュヴィオレ広島様に代わって名乗りを上げるのには随分逡巡しましたが、サッカー王国広島としてオリジナルを目指そうと決め、中四国九州では唯一の女子プロクラブとなりました。」 

アンジュヴィオレ広島の10年間がなければサンフレッチェ広島レジーナは生まれませんでした。 

広島本通商店街

広島は「サッカー王国」の一つに数えられています。Jリーグ・オリジナル10のサンフレッチェ広島は1960年代に無類の強さを誇った東洋工業サッカー部がルーツです。サンフレッチェ広島の所属選手以外でも、日本サッカーの一時代を築いた木村和司さん(高円宮憲仁親王 日本サッカー殿堂第17回殿堂掲額者)をはじめ、数多くの名選手を輩出してきました。 

高校生年代では全国優勝の経験がある広島皆実高校をはじめ、全国レベルで活躍する学校がいくつもあります。しかし、長い間、女子サッカーには全国レベルの有力チームがありませんでした。高校生年代では2000年に創部した広島文教女子大学付属高校が県外を含む広域から生徒が入学する強豪校として有名でしたが、中国地方の女子サッカーを牽引してきたのは、岡山湯郷Belleが活動する、お隣の岡山県でした。 

「良い選手がいても、地元にトップカテゴリーのチームがないため、県外に出て行ってしまう、という流れもあります。そのような背景もあり、アンジュヴィオレ広島を立ち上げ、広島や中国地方で良い選手が集まればよいなと思っています。」

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