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女性初 日本サッカー殿堂入り綾部美知枝さん グラスルーツ視点で振り返る日本サッカーの歩み 前篇 「サッカー王国・清水」の真の姿

静岡市清水区にある江尻小学校の片隅に「日本少年サッカー発祥の碑」があります。1956年にある教員が江尻小学校へ赴任し、子どもたちにサッカーを教えたのです。当時としては先進のやり方が、清水から全国へと広がっていきました。その教員の名前は堀田哲爾さんといいます。堀田さんは 「清水サッカーの生みの親」といわれ、のちに清水エスパルス設立に尽力します。

筆者は1970年代に江尻小学校を訪れました。校庭には、まるでサッカー専用スタジアムのようにラインが引かれ、グラウンドの脇にコンクリートの段がありました。それがスタンドとなり父兄が座って応援しているのを見て、とても羨ましかったことを覚えています。現在の江尻小学校の校庭を見ると、その段の上に屋根が設置されています。まるで、小さな屋根付きスタジアムのようです。 

2022年9月10日、日本サッカー協会は第18回日本サッカー殿堂・掲額式典を開催しました。殿堂入りしたのは、元日本代表監督で5月に死去したイビチャ・オシムさん、長崎・国見高の元監督で1月に亡くなった小嶺忠敏さん、日本協会国際委員として南米との関係を深め、2019年に永眠された北山朝徳さん、そして、もう一人が綾部美知枝さんです。綾部さんは女性指導者の草分けで、のちに日本サッカー協会理事、静岡市生活文化局文化スポーツ部参与兼サッカーのまち推進室長を歴任されました。ご本人は謙遜しますが、女性初の殿堂入りは、この人を置いて他にあり得なかったはずです。 

今回は、普及の最前線に携わってきた綾部さんの視点で1970年代から現在までの、グラスルーツ(草の根普及活動)と女子サッカーの歩みを語っていただきました。筆者が初めて綾部さんにお会いしたのは1977年。清水FCの監督として長谷川健太さん、大榎克己さん、堀池巧さんらを擁して第1回全日本少年サッカー大会(現・全日本U-12サッカー選手権大会)に優勝した年です。お会いした場所は江尻小学校。当時、筆者は小学生でした。 

そして、1950年代に小学生だった綾部さんが堀田哲爾さんと初めて出会ったのも、同じ江尻小学校でした。 

IAI スタジアム日本平付近から見た富士山

綾部–まず身に余る名誉をいただいたことに関しては困惑したのが正直な気持ちです。なぜなら、日本サッカー殿堂入りは日本サッカー界の最高峰にあるからです。歴代の殿堂入りされた皆様は代表監督であったり、国際的に貢献された方、日本サッカー協会会長……重責を務められてきた方々です。「私で良いのだろうか?」と思いました。グラスルーツを評価してくださったことに感謝の思いです。 

子どもたちに誘われてサッカーと出会う 

綾部– 大学を卒業し小学校の教員になって赴任したとき、子どもたちに「先生、サッカーやろうよ」と誘われたのが、私とサッカーとの出会いです。その後、サッカーは学校の先生として子どもたちと向き合うための大切なアイテムになりました。サッカーにはルールがあるということ、そして、誰にでも平等であるということが重要でした。誰でもボールに触れて良いし、誰でもシュートして良いスポーツです。攻めても守っても良くて、いつ何が起きても対応できる咄嗟の判断力が必要です。そして、何よりも大事なのがチームプレーであるということです。当時、教室では得られない素晴らしい教材だと思いました。 

—子どもたちに誘われるまでのサッカーへのご興味はいかがでしたか? 

綾部– 実はサッカーとの出会いが2回あります。子どもたちに誘われたのは「2回目の出会い」です。「1回目の出会い」は、私が小学生のときに遡ります。清水市(現在は静岡市清水区)の江尻小学校に堀田先生(堀田哲爾さん)が赴任されてサッカーを始めたのです。 

男の子たちがサッカーをすると、女の子の私にボールが当たって痛かったことを覚えています。当時、クラスにはボールが1つか2つしかありませんでした。私たちが遊んでいたボールが、サッカーをしている男の子のところに転がり「返して!」と言うと、男の子は、わざと校庭の横を流れる巴川に向かってボールを蹴って「ごめんごめん」と言いました。ボールを無くすわけにはいかないので、私たちは、巴川の方へ何度もボールを探しに行きました。 

堀田先生と男の子はグランド全面を使ってサッカーをしていました。女の子は、みんな「とんでもなく悪い先生が来た」と思っていました。なぜなら、当時の江尻小学校には「ボールを蹴ってはいけない」という約束事があったからです。ボールは打ったり、投げたり、捕ったりするものだったからです。当時の小学生の運動に「ボールを蹴るという動作」はなかったのです。それなのに、堀田先生は約束事を破ったので「堀田先生は悪い先生だ、約束事を破った」と児童会で議論したほどです。 

児童会のときに、校長先生から「これはサッカーというスポーツだ。堀田先生はサッカーが上手だから、みんなでサッカーを教わると良いよ。」と言われ、私はサッカーを知りました。男の子にとってサッカーは自分が認められるスポーツでしたが、私にとってはグラウンドを奪われる「憎きサッカー」でしたね(笑)。こうして、江尻小学校は「少年サッカー発祥の地」となりました。 

清水駅前にある像

子どもたちに褒められ導かれた 

綾部– 教員になって、子どもたちに「先生、サッカーやろうよ」と言われたとき、子どもの頃の嫌な思い出が蘇りました。私は「先生、サッカー知らないし、ルールもわからないからダメだよ。」と言いました。すると、子どもたちが「先生があの白い枠の中にボールを入れたら先生の勝ち、僕がこっちの白い枠にボールを入れたら僕の勝ちだよ。」と言いました。それが、私が最初に覚えたサッカーのルールです。子どもたちは、私に、サッカーの一番面白いところから教えてくれたのです。もし、あのとき、オフサイドだとかアドバンテージだとかを言われたら、私は「ダメダメダメだー!」と言って終わったと思います。でも、なんとなく、あの大きい枠に、私でもボールを入れられそうだと思ったのです。 

やってみると、子どもたちが私を褒めるのです。ドリブルをすれば「先生すごいね」、シュートを打てば拍手。子どもたちに褒められて調子に乗って、私のサッカーはスタートしました。あのときに「ヘタクソ」だとか「何やってんだ」とか言われていたら、やっぱりサッカーを嫌になっていたかもしれません。でも、子どもたちに導かれたのです。 

クラスから学年に、女の子にあっという間に広がった 

綾部– 教室では見ることができない子どもたちの姿をたくさん見ることができました。今までお掃除をサボっていた子が、お掃除を一所懸命にするようになりました。「サッカーの練習をするために早く校庭に出たいから早く掃除を終わらせたい」と言うのです。子どもたちが、自分の目的のために、やるべきことをしっかりとやるようになりました。 

だんだんと、よそのクラスの子どもたちも集まってくるようになりました。女の子も加わりました。あっという間に、放課後は同学年の子どもたちが集まって、みんなでボールを蹴るようになりました。 

対外試合をやるようになって勝敗がはっきりすると勝つためにどうするのかを考えるようになりました。最初は清水市内、次は静岡県内、そして県外と試合をするようになってきたときに「すごいなー、全国、いろいろなところでサッカーをやっているんだな。」と思いました。そのうち文部省(現・文科省)の指導要録が改訂されて、サッカーが体育の授業に取り入れられました。 

—堀田先生が中心となり、1967年に江尻小学校など市内の子どもたちから選手を選抜したオール清水が結成され、たくさんの優れた人材を輩出しましたね。 

綾部– 1973年にオール清水が第7回全国サッカースポーツ少年団大会で準優勝しました。オール清水は、試合を見ていた韓国のサッカー関係者から韓国遠征に招待されました。当時の日本サッカーは韓国に歯が立たなかったのですが、堀田先生は「将来、この子たちならば韓国に勝てるようになるかもしれない」と思い遠征することになりました。私も一緒に行きました。当時の韓国には戦後すぐの雰囲気がまだ残っていて、経済状況は良くありませんでした。戦争による日韓両国のいろいろなしがらみは強く残っていました。でも、行ってみたら、サッカーに関しては平和な戦いでした。 

そして、子どもたち自身が気づいたこともありました。一緒に試合をした韓国のお友達は、試合が終わると指導者からバス代をもらって自宅に帰ります。でも、お腹が空くから、そのバス代でバスに乗らず、パンを買って食べているのを見たのです。自分たちが、いかに恵まれた環境で生活しているのかを勉強することになりました。 

今、指導者になっている風間八宏君や大木武君が、その年代です。小学校の教師として、大学の指導者として、サッカーにずっと関わってくれた子どもたちもいます。AC ミランのメディカル・トレーナーになった遠藤友則君もいました。あの子たちは、そのままサッカーを続けてくれました。彼らと、サッカーを通して、同じ価値観を共有できたと思います。 

清水の土壌が「初蹴り」「父親サッカー」「ママさんサッカー」を生み出す 

私は、当時、愛媛県の松山市で松山サッカースクールで少年サッカーをやっていました。小学生の耳にも「オール清水は強い」「清水という街はちょっと違うらしい」という噂が耳に入ってきました。松山市から清水遠征に行くときは、期待に胸を膨らませてバスに乗ったことを今でも覚えています。 

綾部– 松山サッカースクールとは長く交流していましたね。  

—よく、Jリーグでも「サッカー王国・清水」という表現をする人がいますが。「サッカー王国・清水」というのはプレーのスタイルではなく、清水市の皆さんが、全国に先駆けて様々な挑戦をし、サッカーに親しみ、楽しみ、経験を重ねて、サッカーを地域の共有財産にしたことを指すのではないかと思っています。いかがですか? 

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