WE Love 女子サッカーマガジン

なでしこの原石が輝く頃 WEリーグの源流「王国・清水」と岡島喜久子チェアのミドルシュートを『三菱ダイヤモンドサッカー』で見た

記事公開後に識者からご指摘を受けたので(※ ) で加筆を行いました。また、1981年にテレビ東京にチャンネル名が変更となっておりました。訂正いたします。

「すごくレアな動画を見つけたので共有します。」

そんな連絡を受けて、筆者は紹介されたURLをクリックしてみました。その動画は「サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか。」という不滅の名調子から始まりました。Jリーグが始まるずっと以前、まだインターネットの存在は知られておらず、日本サッカーリーグのテレビ放送が年間に数回しかなかった時代……1960年代末期から80年代に、海外トップクラスのサッカーを紹介し続けた番組が『三菱ダイヤモンドサッカー』の動画でした。『三菱ダイヤモンドサッカー』は東京12チャンネル時代に放送が始まったテレビ東京のサッカー番組で、実況は金子勝彦アナウンサー。日本のサッカー実況の草分けです。解説は岡野俊一郎さんです。岡野さんは元日本代表監督。その後、国際オリンピック委員会(IOC)委員、日本サッカー協会会長を務められ、2017年に死去されました。2人は日本サッカー殿堂入りしています。

YouTubeに、その名調子から始まるのが恒例の『三菱ダイヤモンドサッカー』が公開されることはたまにあります。ただ、今回、発掘された『三菱ダイヤモンドサッカー』の動画は、とても珍しいものでした。1982年度に開催された女子サッカーのビッグマッチの動画だからです。ただ、ビッグマッチといっても、画面で見る限りでは、おそらく、観客は500人に届かなかったのではないかと思います。

発掘された、その動画の試合は第4回皇后杯 JFA全日本女子サッカー選手権大会決勝戦(※当時は全日本女子サッカー選手権大会)。1982年に開催され、会場は国立西が丘サッカー場です。対戦するのは、第2回大会、第3回大会に続き3連覇を狙う清水第八スポーツクラブと第1回大会の覇者のF..ジンナンでした。

あの名選手たちが並ぶ両チーム

動画から、まずはスターティングメンバーを見てみましょう。

清水第八スポーツクラブ

1 杉山
2 堀
4 山口
3 白鳥
6 山田
10 本田
9 木岡
5 弘中(信)
7 金田(真)
8 金田(美)
11 半田 

..ジンナン

12 三觜
13 松本
2 新井
20 滝沢
5 小野沢
14 酒井
9 桑田
7 北村
17 武者
19 高倉
6 山名 

注目は清水第八スポーツクラブの木岡二葉選手。当時17歳でキャプテン。その後、FIFA女子ワールドカップ(当時・FIFA女子サッカー選手権大会)に2回出場、女子サッカーが初めて正式競技となったアトランタオリンピックではドイツ女子代表戦で1得点(観客数4万4千人!)。後にスウェーデンリーグでもプレーしている名選手です。「ボールとのハーモニーが素晴らしい」と岡野さんは解説しました。

高倉麻子さんも先発出場

勘の良い読者ならば、このメンバーの中から、今も女子サッカー界で指導者として活躍する名前を見つけていると思います。

..ジンナンの19番・高倉選手は前なでしこジャパン(日本女子代表)監督の高倉麻子さん。番組の冒頭に「この人が面白い」と紹介された注目選手の一人です。準決勝まで5得点の当時14歳。画面から感じる繊細なボールタッチは非凡なものを感じさせます。

清水第八スポーツクラブの11番・半田選手はちふれASエルフェン埼玉の半田悦子監督。現在、WEリーグ唯一の女性監督です。木岡選手と同じくFIFA女子サッカー選手権大会に2回出場、アトランタオリンピック出場。なでしこリーグ(当時・日本女子サッカーリーグ)の初代最優秀選手です。典型的なストライカーで、この試合でも貪欲にゴールを狙います。「半田、37.5度の発熱をしています」と金子アナウンサーに紹介されましたが、今は絶対に許されないですね。

清水第八スポーツクラブの10番・本田選手は本田美登里さん。2022年からウズベキスタン女子代表監督。2007年に女性初のJFA 公認S級コーチ資格を取得し、指導者として高く評価されています。岡山湯郷Belle、AC長野パルセイロ・レディースを、なでしこリーグ1部の優勝争いをできるチームにまでに育てました。後に、ファイタータイプの右サイドバックとして知られることになる本田監督ですが、清水第八スポーツクラブでは10番としてゲームメイク。中央をドリブル突破しスルーパスを出す本田選手に「いやー本当に上手い!」と金子アナウンサー。

..ジンナンの10番に注目

対するF..ジンナンのスターティングメンバーに10番の姿はありません。ベンチスタートでした。途中出場した10番は肩にかかる黒髪を束ねることなくなびかせてプレーする、南米やイタリアの男子選手のような風貌です。その選手の名は岡島喜久子といいます。左足をグルグルにテーピングし「本調子ではない」と金子アナウンサーが実況しました。当時24歳。現在のWEリーグチェアです。

筆者は図書館で、1980年代から90年代にかけての女子サッカー記事を探したことがあるのですが、岡島選手の写真に出会うことは、なかなかできませんでした。今回の動画で、初めて動く岡島選手の姿を見たとき、追い求めていた幻と出会ったような感動を覚えました。岡島選手は積極的にシュートを放ちます。

知っているはずの西が丘……少し違う

試合会場は、雨で泥だらけになった「田植えのような」国立西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘)です。試合が行われたのは、1972年の開場から10年後。今の良好な芝生のピッチと比べると同じスタジアムとは思えない荒れようです。時代を感じさせるのはピッチだけではありません。スコアボードのチーム名は手書きの縦書きでした(※得点ボードのチーム名は利用者が準備)。そして、さらに驚くのは両チームのベンチです。

当時の国立西が丘サッカー場は、今では信じられない構造になっていました。メインスタンド側とバックスタンド側に両チームのベンチが別れて設置されていたのです。ベンチはスタンドから連続した構造になっており屋根がついていました。開場した1972年はプロ野球全盛のON(王・長嶋)時代。おそらく、左右にベンチが分かれた野球場の設計に影響されたのでしょう。しかし、この試合では、雨にもかかわらず、その屋根付きのベンチを使用しませんでした。バックスタンド側のベンチ前には大会バナーが掲出されていました。そのために、実際のベンチは通常通りの左右横並びでメインスタンド前ピッチ脇に仮設され、屋根がなく控え選手が傘をさしています。F.C.ジンナンのベンチには選手のお子さんと思われる子どもの姿も。

「家庭と同じように奥さんがゴールを守ります。」

ジェンダーの面では、驚きの実況解説がありました。金子アナウンサーが高倉選手を「東北新幹線で福島県から練習に通っている」と紹介すると「非常に足の長いスタイルの良いお嬢さん」とコメントする岡野さん。男性優位の無邪気な時代を感じます。

「杉山監督、家庭と同じように奥さんがゴールを守ります。」

清水第八スポーツクラブの杉山勝四郎監督(現・顧問)とゴールキーパーの杉山選手はご結婚されています。当時の常識では夫が外で働き妻が家庭を守る表現が常識だったのです。これも、今では問題になりそうです。

金子アナウンサーは、なぜか実況時に選手を「さん付け」し続けました。これが何を意味するのかは、ご本人に聞かなければ分かりません(※男子選手を「君付け」することもありました)。

女子サッカーを支えた三菱グループ

そんな時代から、女子サッカーを応援してくださった人たち、企業がいます。バックスタンドのフェンスに掲出されたバナーは、アディダス、シチズン時計、三菱化成食品の豆乳マプロン、日興證券、キリンビール、プーマ、トヨタ、東芝ビデオビュースター。そして『三菱ダイヤモンドサッカー』の番組提供はもちろん三菱グループでした。動画を見て気がつきましたが、スタジアムに流れた選手の入場曲は『三菱ダイヤモンドサッカー』のテーマでした。

三菱グループは1970年代から女子サッカーを支えてきました。

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