双子を出産したら一緒に入場したい FC町田ゼルビアレディース 薄田春果選手が経験してきた「女性とサッカー」
16歳で10番、その後、海外移籍、引退、出産、復帰、そして双子妊娠を発表した27歳の女子サッカー選手
薄田春果選手がスフィーダ世田谷FCの背番号10を背負うと発表されたのは16才のときでした。早熟の天才は、若くして多くのことを経験しました。とはいえ、薄田選手のサッカー人生は、今もまだハーフタイムかもしれません。
スフィーダ世田谷FCでは7年間プレーし2020年にシドニー・オリンピックFCに移籍。しかし、リーグ開幕前にコロナ禍の影響により帰国を余儀なくされ引退。2021年に結婚、2021年12月に第一子を出産。2023年シーズンは現役復帰しFC町田ゼルビアレディースでプレーしています。
そして、薄田選手は第29回関東女子サッカーリーグ2部最終節終了後の2023年11月18日に妊娠を発表しました。したがって、これからしばらくプレーはお休みです。しかし「双子を出産したら、また一緒に入場したい」と話します。女子サッカーに注ぐ情熱が止まりません。その源は何なのでしょうか。そして、この先、何を目指してプレーするのでしょうか。
益田市で第1回薄田春果杯開催へ
そのパッションは、遠く島根県に波及しました。益田市で女子サッカーの普及・発展を目的としたフェスティバル(大会)が開催されます。第1回薄田春果杯です。現在『第1回薄田春果杯〜かっこいいママアスリートへ〜in益田・美都』クラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/718989?list=prefecture_shimane_projects_popular)が行われています。第1回薄田春果杯は子どもから大人まで参加できるフェスティバル(大会)で、主催者は「サッカーは何歳になっても楽しめるものであり、生涯スポーツです!」と話しています。
薄田—大会主催者にご招待いただき開催が実現しました。関東では女子サッカーのチームが増えた印象がありますが、それ以外の地域では、やはり少ない。もっと女子サッカーを盛り上げるために、魅力を広げていきたいです。私が出産後に現役復帰していることもリアルに伝えようと考えています。
育児とプレーを両立しやすいFC町田ゼルビアレディースで現役復帰
—FC町田ゼルビアレディースは大学生の選手も多く、さまざまな属性の選手がプレーできる環境を整備しているイメージがあります。いかがですか?
薄田—はいそうです。若い選手も多いチームです。
—練習時間は朝の時間帯。早く起きるのは大変そうですが、学校に通われる選手、仕事をされる選手にも都合が良い練習時間だとお聞きしました。
薄田—私にとってもメリットがあります。母になってから目覚める時刻が早い。なぜなら、子どもが早く起きてしまうからです。午後は子どものグズる時間があるし、夕方からは家事が忙しくなる。だから、朝、保育園に子どもお送り出して、そのまま練習に行って、その後で仕事をするという一日のスケジュールの方がドタバタしなくてありがたいです。
—FC町田ゼルビアレディースの練習はいかがですか?
薄田—いつも同じ人工芝のグラウンドでトレーニングをできています。メニューは海外のチームに少し近いところがあってアップの時間が長いです。朝からの練習なので、少し筋力トレーニングを挟んで身体に刺激を入れてからボールを使った練習に入ります。それから対人の練習に移ります。そのため、あまり怪我人が出ていません。それは良いことだと思います。
—学生選手も多いチームメイトとのコミュニケーションはいかがですか?
薄田—私が最年長です。10代の選手もいます。年齢にあまり関係なく、選手同士が喋っています。私は練習参加初日で仲良くなりました。ただ、大学生の選手たちと話すと何を喋っているのか本当にわからないレベルの表現が出てくるので、何が楽しいのか私には通じていないときもあります(笑)。「なんで春さん、わからないの!?」と言われることもあります。そんな感じで仲が良いです。
J1初昇格で町田市民から注目を集めるFC町田ゼルビア
薄田—男子のトップチームがJ2を優勝してパレードを行いました。すごいと思いました。町田市全体でゼルビアを応援しています。この街の人は、皆、ゼルビアのことが好きです。FC町田ゼルビアレディースは関東女子サッカーリーグ2部が戦いの舞台ですが、それでも試合にファン・サポーターが来てくださる。開幕戦でたくさんのファン・サポーターが応援してくださったので「すごい!」と驚きました。市民に愛されているチームですね。
娘と一緒に入場する夢を実現
—第29回関東女子サッカーリーグ2部(8チーム)は4位に終わりました。振り返ってみていかがでしたか?
薄田—まだまだできる。選手にとって悔しいシーズンだったと思います。相手に合わせてしまうことが多かったです。自分たちに余裕ができれば勝てる試合がありました。
私は娘と一緒に入場する夢を実現できました。そして、サッカーの楽しさを改めて感じられました。プレーしているときは、他のことを何も考えずにいられます。ただ、1試合しか出場できなかったので、まだ、プレーでチームに貢献できたとは思っていません。
—試合に復帰したときに、何か感じたこと、思い出深いことはありますか?
薄田—私は試合当日に緊張しないタイプなので練習と同じですね。
—本当に、ナチュラルにサッカーがお好きなのですね。
薄田—きっとそうですね。出場した試合の対戦相手が強豪の山梨学院大学だったので「とりあえず声を出して、皆を落ち着かせよう」と思っていました。私が出たからには負けない試合にしたかったですし、負けないことが第一だと思っていました。気持ちで負けないために「皆でやればできるからやろうね」と声をかけました。
—試合はスコアレスドローで勝ち点を得ることができましたね。そういう意味では思い出深い良い試合になったのではないでしょうか。
薄田—はい。試合後に、若い選手から「春さんがいなかったら絶対に負けていた」と言ってもらえました。嬉しかったです。
海外移籍から帰国したら引退しようと決めていた未来設計
冗談だと思っていた16歳での背番号10
—薄田選手は14歳のときからスフィーダ世田谷FCのトップチームに参加され、16歳で背番号10に抜擢されました。背番号を告げられたとき、プレッシャーを感じましたか?
薄田—事前に監督から知らされたのですが、笑いながら言われていたのでジョークだと思っていました。
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