0−2の敗戦は「必要な選択」だった 「選手に対して嘘をつかない」 パリ五輪最終予選に挑むウズベキスタン女子代表監督 本田美登里さんの指導哲学
なでしこジャパン(日本女子代表)の先輩、日本の女子サッカーのレジェンドが語るパリ五輪予選
ウズベキスタン女子代表監督を務める本田美登里さんが帰国。JFAハウスで囲み取材に対応した。ウズベキスタンの女子サッカー事情、なでしこジャパン(日本女子代表)と対戦した女子オリンピック サッカートーナメント パリ 2024 アジア2次予選(グループC)等について話しました。そして、来年に大一番を迎える最終予選について、静かに闘志を燃やします。
お互いに攻撃できないことで注目が集まった、なでしこジャパン(日本女子代表)との一戦
2023年10月29日にタシケントのブニョドコル・スタジアムで行われたなでしこジャパン(日本女子代表)との一戦は、試合開始早々になでしこジャパン(日本女子代表)が2得点しセーフティ・リードを奪うと、その後の約75分間は双方共に積極的な攻撃を行うことなく時間を浪費する試合となりました。
なでしこジャパン(日本女子代表)は、同組2位のウズベキスタン女子代表が最終予選に進出すれば、オーストラリア女子代表と最終予選で対戦する事態を回避できる可能性が高くなります。そのため、ウズベキスタン女子代表の得失点差をできるだけマイナスにしたくない考えが働きました。
全ては、直前に行われたグループAで、FIFA女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド2023出場国のフィリピン女子代表が、オーストラリア女子代表に0−8で大敗するという波乱が原因でした。各グループ1位+3グループ中最高成績の2位の4チームが最終予選に進めるレギュレーションだったので、ウズベキスタン女子代表は得失点差でフィリピン女子代表を上回り、最終予選に進出できる可能性が高まっていたのです。
そのような状況で迎えたなでしこジャパン(日本女子代表)との第2節。当然のこと、フットボーラーとして、指導者として本田監督には葛藤がありました。しかし、より大きなものを得るためには何かを失わなければならない。それが監督の仕事です。ウズベキスタン女子代表が、失点のリスクが高まる前がかりの攻撃をすることはありませんでした。
「日本の身体が小さい選手たちでもこれだけできるということを経験するべきだろうという部分では、(真っ向勝負を)やらせてあげたかったという思いがありました。ただ、レギュレーションとウズベキスタンの女子のサッカーの今後を考えれば、(最終予選進出という)より大きなものが、あの試合にはありました。またガチンコでやる機会もあるでしょうし、今回、やはりお互いの国の女子サッカーのこれからの立場を考え、(0−2で試合を終えることが)必要な選択だったのだと思います。」
本田監督は、記者の質問に答え、難しい決断を振り返りました。
ウズベキスタン女子代表は1勝1敗、得失点差をマイナス1で第3節へ。目論み通り、インド女子代表に3−0で勝利。ライバルとなった、グループA、グループBの2位を最終結果で上回り史上初の最終予選進出を決定しました。更衣室の選手たちはお祭り騒ぎとなったといいます。
成功の要因「心の許容範囲の広さ」とは?
異国から訪れた指導者が、なぜ、短期間で代表チームを掌握できたのでしょうか。ここからは、囲み取材での質疑応答と、かつての教え子の証言から、本田監督の指導哲学に迫ります。
本田監督が日本サッカー協会の国際交流・アジア貢献活動の一環としてウズベキスタン女子代表監督に就任したのは2022年1月。それまで目立った実績のなかったウズベキスタンの女子サッカーは状況が一変しました。本田監督は、ウズベキスタン女子代表に規律と戦術を植え付けチーム力を向上しました。
「チームを勝たせることよりも、個人を成長させることを優先してきました。」
ユニバーシアード日本女子代表監督……いや、それ以前の岡山湯郷Belleの監督時代から、本田監督の考えは変わりません。「ウズベキスタン女子代表監督に就任してからも選手たちをシステムにはめ込むサッカーはしていない」と言います。本田監督のフットボーラーとしてのベースは、かつて背番号10を背負ってプレーした清水第八スポーツクラブ、そして読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)で培われました。どちらも選手の個性を活かすサッカーで知られたチームです。
逆に、以前と指導法が変わったところはあるのでしょうか。筆者が質問すると意外な答えが返ってきました。
「年齢を重ねて、頑固にならず、昔よりも人の意見、メディアで書いている文章、YouTubeを含め吸収することが多くなったと思います。」
ウズベキスタンでの指導の面白い例を挙げてくれました。
「日本では5対5のボール回しを日本の場合には12メートルくらいの四角形の中でやっていたのですが、彼女たちには狭すぎて、細かいボールがつながりませんでした。身体が大きいし筋力もある。だから16メートル18メートルくらいの四角形にしました。やることは一緒ですが、サイズ感の違いがあります。彼女たちは、50メートルくらいのサイドチェンジができます。日本ではペナルティエリアの外からシュートを打っても入る確率が低いみたいなことを思っていました。でも、彼女たちにとって、ペナルティエリアの外もシュートレンジです。だから、戦術的な部分で私が考えていた日本のスタイルは合わない。今回は、そういう部分を勉強させてもらいました。」
ウズベキスタン女子代表のゴールキーパーコーチとして、本田監督と行動を共にしている堤喬也さんは「本田さんの心の許容範囲の広さ」を感じていましました。
「最初はウズベキスタンの選手に『私たちはウズベキスタン人だ、日本人じゃない』と、拒否反応みたいなものがありました。『そんな細かいことはできない』『私たちはこういうサッカーをする』と言いに来る選手もいました。それに対して、本田さんはあまり否定せず『でも、こっちの方が利点が大きいよね』と伝えていきました。上手くなりたい選手が成功体験するとチームの主力になっていくので、周りの選手もおのずとついてきてくれました。」
本田監督は「ウズベキスタン女子代表はなでしこジャパン(日本女子代表)のように数十年の年月をかけずとも、適切な指導を受ければアジアの強豪国となっていく可能性を秘めている」と考えています。
本田監督が「厳しい」と言われる理由は「選手に対して嘘をつかない」から
そんな本田監督の指導は、ご本人が言う通り、確かに 個人を成長させることを優先してきたようです。二人の選手に本田さんの指導について証言してもらいました。第23回ユニバーシアード競技大会(2005/イズミル)の日本女子代表の一員だった柴田里美さんと田中景子選手です。
本田監督は、第23回ユニバーシアード競技大会(2005/イズミル)の日本女子代表監督として初の本格的な国際大会に挑みました。当時は、まだ日本サッカー協会のS級コーチを取得した女性が誰もおらず、異例ともいえる女性指導者の抜擢でした(その後、2007年に本田監督が女性として初めて日本サッカー協会のS級コーチを取得します)。
後にFIFA女子ワールドカップを制覇することになる近賀ゆかり選手、岩清水梓選手、川澄奈穂美選手を含む、当時は大学生だったメンバーを揃え、見事に銅メダルを獲得しました。
「たしか、事前合宿のミーティングで『ここにいる皆がなでしこジャパンに一番近い』『世界で一番になれるチャンスがある』と言われた気がします。この20人のメンバーに入れた重みを感じたことを覚えています。」
まず、教えてくださったのは柴田里美さんです。当時は武蔵丘短期大学の2年生。後に浦和レッズレディース(現・三菱重工浦和レッズレディース)、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース等でプレーし、現在は、2023プレナスなでしこリーグ1部を優勝したオルカ鴨川FCでスタッフとして活躍しています。
「当時のユニバーシアード代表は大学チームでプレーする大学生選手とLリーグ(現・なでしこリーグ)でプレーする大学生選手の混在するチームでした。私は年代別等で代表チームを経験していなかったので、未知の世界に飛び込む感覚で参加しました。監督は、そのような選手たちをまとめるのが大変だったと思います。
グループステージ突破がすでに決まった後、私は3試合目に初めてスタメンで起用してもらいました。でも、試合に全然入れずミスも多く自信のないプレーを連発して、ハーフタイムに怒鳴られたことが強く記憶に残っています(笑)。うまくいかず自信をなくしかけましたが、最後の順位決定戦で再びチャンスをもらうことができました。その試合では自分のプレーに手応えを感じましたし試合に勝つこともできて、良い印象で大会を終えることができました。私にとっては、この後のサッカー人生を左右するほどの大きな経験を得た試合になったので、起用してもらえてとても感謝しています。その後は、リーグ戦の試合会場で対戦相手としてお会いすることがあり、そのたびに、成長したと言ってもらいたくて余計に気合が入りました。……そう言ってもらえたことはありません(笑)」
柴田さんの証言を踏まえ、本田監督に「選手とのコミュニケーションにおける重視点」をお聞きすると、ストレートな答えが返ってきました。
「一人ひとりの選手に対して気を配る、向き合うことを今も意識しています。選手に対して嘘をつかない。良いものは良いし駄目なものは駄目。なぜ試合に出られないかを選手に正直に伝えることもあります。多分、選手は、皆、(私のことを)『厳しい』と言っていませんでしたか?(笑)」
当時、武蔵丘短期大学の1年生だった田中景子選手は、現在、オーストラリアのシドニーで生活し、N P LニューサウスウェールズW1(Aリーグ・ウィメンから数えて2部リーグ)のグレーズビル・レイブンズ・スポーツクラブでプレーしています。事前の選考合宿からキリッとした厳しい表情と雰囲気だった本田監督のことをよく覚えています。
「本田さんは、私たち選手とのコミュニケーションをとても大事にしていました。トレーニングは厳しかったですが、サッカー以外の部分では、いつも笑顔で話していました。メリハリある指導によって、短い活動期間でチームがまとまったことによって銅メダルをとれたのだと思います。本田さんには、特に、勝負に対しての厳しさを教えてもらいました。サッカーで一番大切なところです。その後も、試合会場で顔を合わせては、いつもキリッとさせられていました(笑)。」
本田監督が想像した通り、選手の声には「厳しい」という単語が入っていました。ただ、その厳しさを経験したことが今につながっている。その感謝の気持ちが二人の選手から筆者に伝わってきました。
ウズベキスタンの女性に夢の実現を
これまで、ウズベキスタンの女子団体球技が国際的に活躍する場面はあまりありませんでした。スポーツを見て楽しむ女性も少なかったといいます。女性の競技人口が少なかったことが原因とみられています。
ウズベキスタン社会では、多くの人が「女性は20歳を過ぎたら結婚することが、家族にとっても、女性本人にとっても一番の幸せだ」と考えてきました。本田監督が監督としてウズベキスタンで過ごした二年間に、多くの選手が結婚を理由にサッカーから離れていきました。
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