WE Love 女子サッカーマガジン

欧州女子サッカーの風はWEリーグに吹くか イングランドとオランダから加入 ノジマステラ神奈川相模原 菅能夏海選手、平國瑞希選手の挑戦 

海外リーグから日本復帰、秋春制のWEリーグならではの移籍

2023−24 WEリーグカップを前に、欧州から二人の選手がノジマステラ神奈川相模原に加わりました。菅能夏海選手と平國瑞希選手です。二人は、なぜ欧州のチームに移籍し、何を経験したのでしょうか。そして、なぜ、時を同じくしてノジマステラ神奈川相模原に加入したのでしょうか。 

菅能夏海選手はアクトニアンズLFCから加入しました。アクトニアンズLFCは、イングランドのアマチュアリーグであるウィメンズ・ナショナルリーグで戦っています。ホームタウンのアクトンはロンドン郊外。チューダー様式の建物が並ぶ英国の典型的な住宅街として知られています。ロンドン日本人学校があるため、ロンドンの日本人コミュニティーの中心地となっています。 

菅能夏海選手 平國瑞希選手

平國瑞希選手はテル・レーデからの加入。テル・レーデはオランダの女子トップクラッセで戦っています。プロリーグの女子エールデイヴィジの一つ下、2部に相当するアマチュアリーグの古豪です。ホームタウンは南ホラント州にあるサッセンハイム。印象派を代表するフランスの画家であるクロード・モネさんの名画『サッセンハイムのチューリップ畑』で知られる街です。クロード・モネさんはサッセンハイムについて「満開の広い野原を描写しているが、その美しさはあまりにも純粋で、色合いもきらびやかで、貧しい画家を狂わせるほどであった。」と話していました。今でもサッセンハイムには、牛や山羊が放牧されたのどかな風景が広がります。 

実は、二人は、欧州で、いつも連絡を取り合っていた仲で、当時はお互いに「心の支え」だったと言います。昨年末はロンドンで一緒に年越しました。そして、同時期に帰国。奇遇にもチームメイトとなった今も二人の関係は変わりません。 

ロンドンの思い出 提供:菅能夏海選手 平國瑞希選手

海外移籍の理由やキッカケは様々 

二人は、なぜ欧州のチームに移籍したのでしょうか。平國選手は早稲田大学ア式蹴球部女子でプレーしていたときにユニバーシアード日本女子代表入り。世界各国から大学生アスリートが集まる国際大会でプレーする機会を得ました。それ以来、いつか自分も海外のチームでプレーしてみたいと思っていました。  

「オランダでチームの練習に参加してみたら、すごく『サッカーが楽しい』と思いました。人が良いし、のんびりとしている街並みも好き。ここでプレーしたいと思いました。そのときオファーをいただけたので移籍を決めました。」 

菅能夏海選手(左) 平國瑞希選手(右から3番目) 写真提供:WEリーグ  

菅能選手は「『どうしても海外に移籍したい』と思ったことはなかった」と言います。では、なぜアクトニアンズLFCに移籍したのでしょうか。 

「(なでしこリーグの大和シルフィードでプレーし)移籍先を探していたときに、なでしこリーグには移籍を決断できる候補先が見つからなかったので思い切って海外に移籍しようと思いました。英語を学びたかったので英語圏で探しました。」 

菅能夏海選手 写真提供:WEリーグ

海外に移籍した選手に移籍の理由をお聞きすると、返ってくる答えは多様です。「海外での生活に憧れていた」「高いレベルに挑戦したい」「大観衆の前でプレーしたい」「英語を身につけたい」「将来は海外で指導者になりたい」……。二人の仲は良く、会話の息はピッタリですが平國選手と菅能選手の移籍理由は対象的なのが面白いところです。 

日本と違うフィジカル、シュートレンジ、そして考え方を経験 

 世界各国でプレーされるサッカーは極めて単純なルールの人気スポーツですが、地域ごとの習慣や民族・文化、嗜好性等の影響を受け、各国のリーグでスタイルに差異を生じます。菅能選手は、現代のイングランドで何を感じたのでしょうか。 

「フィジカル面は、やはり強かったですね。それから、シュートを打つ意識が日本とは違いました。『とりあえずたくさん打て』と言われました。」 

平國選手もスタイルの違いを感じました。そして、プラスの影響を受けて帰国の途につきました。 

「日本ではアンカーか、その一つ前のインサードハーフのポジションでプレーすることが多かったですが、オランダでは2ボランチでプレーしていました。オランダは、皆、ものすごく背が高く、競り合いの迫力がすごかったですね。技術がなくてもスピードがあり対応が難しかったです。 

海外に行くまで、私は、いつもネガティブな方向に考えがちでした。でも、海外の選手はミスをしても、良くも悪くもそれほど反省しない。いつも『次!次!』みたいな感じでした。その環境でサッカーをしていくうちに、それまで自分のネガティブだった部分をポジティブに変換できるようになっていきました。」 

平國選手はオランダで競り合いの強さと気持ちの強さを同時に身につけたのかもしれません。菅能選手も、日本ではあまりプレーしてこなかったポジションで多くプレーし、自分のプレーに新たな視点を加えました。 

「日本では、ずっとサイドバックをやっていました。大和シルフィードプレーした最後の半年は中盤でもプレーするようになりました。その流れで海外に行ったら中盤でプレーすることが多くなりました。中盤でのプレー経験が自分のスキルに活かされると、またサイドバックでプレーするときに余裕が生まれます。中盤の選手の目線でフィールドの状況を見ることができるようになるからです。プレーの幅が広がりました。」 

二人の選手の話を聞いて共通点を感じます。欧州での経験は刺激的です。慣れ親しんだ環境では得られない成長を実感できるからこそ、多くの選手が欧州で挑戦するのではないでしょうか。女子サッカーには、自らの成長を通じて「今までの自分とは違う新しい自分と出会うチャンス」があります。 

逃したくなかったWEリーグに挑戦するチャンス 

では、なぜ、ノジマステラ神奈川相模原に加入したのでしょう。答えを聞いてみると、それぞれの理由があるものの、やはりプロリーグであるWEリーグでのプレーが大きな目標だったということは二人とも同じのようです。 

「私は、また違う国のチームに移籍を考えていたときに、ノジマステラ神奈川相模原からお話をいただきました。27歳になるので『WEリーグに挑戦するなら今しかない』と思いました。あとは、(ホームタウンの)相模原市が生まれ育った厚木市から近いのも大きな理由です。それから環境は決め手になりました。まず、自前のグランドがしっかりあること。そして、トレーニングルームも充実していることですね。」(菅能選手) 

「オランダでのプレーは一年間と決めていました。私も、やはり年齢的に、今がWEリーグでプレーできる最後のチャンスかもしれないと思っていました。女子サッカーのトップリーグでプレーしたいという思いがありましたし、活躍している姿を両親に見せたいと思っていました。」(平國選手)  

菅能夏海選手 平國瑞希選手

欧州での経験を活かし、WEリーグで自分らしさを披露したい 

日本の女子サッカーには独自の特徴があります。そして、WEリーグは、これまで二人がプレーしてこなかったトップのディビジョン。帰国後の戸惑いや難しさはあったのでしょうか。 

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