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女子チーム、育成……クラブ全体を見る仕事だったのでこのクラブに来ました 大宮アルディージャ フットボール本部長 原博実さん

原博実さんへのインタビュー取材は大宮アルディージャのクラブハウス「オレンジキューブ」から外に出て、練習場のピッチ脇で行いました。すぐ横でトップチームの選手たちが大きな声を出して練習しています。話が進むと、原さんは、近年のなでしこジャパン(日本女子代表)が、なかなか世界で勝てないこと、WEリーグへの注目がいまひとつ集まらないことについて独自の見解を教えてくれました。

「世界一になったなでしこジャパンは、しばらく、ずっと、ほとんど同じメンバーでやってきたからね。どうしても、一時的にガクンと落ちてしまうと思うよ。」

原さんが思い浮かべたのは、1968年にメキシコオリンピックで銅メダルを獲得後、長く低迷した日本サッカーの苦い歴史でした。1972年のミュンヘン大会から1992年のバルセロナ大会まで6大会連続でアジア地区予選を突破できず、日本サッカーは世界から大きく引き離されてしまいました。もちろん、FIFA ワールドカップの初出場も果たせず、日本サッカーの「冬の時代」と呼ばれました。その後、日本サッカーはプロ化。1993年にJリーグがスタートし、今やワールドカップではノックアウトステージの常連国になりました。最高潮からどん底へ……そして、上昇気流に乗るアクセルを思い切って踏んだのはJリーグ誕生でした。

原さんは、三菱重工に勤務するアマチュア選手、のちにプロ契約選手としてプレー。引退後は浦和レッズとFC東京の監督として指導の現場に立ち、日本サッカー協会で専務理事、Jリーグでは副理事長として、あらゆる立場から日本サッカーに関わってきました。

今回は、そんな原さんの目から見た女子サッカーの課題と可能性についてお届けします。2022年4月に大宮アルディージャのフットボール本部長に就任し、クラブ全体のかじ取り役として活躍する原さんが女子サッカーをどのように見つめていたのかをお伝えします。

原博実さん

順位を上げるもトップ3との差を埋められなかった2年目のシーズン

昨シーズンよりも順位を上げて6位で終わりました。岡本武行監督の元、斉藤雅人ヘッドコーチが中心になって非常にコンパクトなやり方を取り入れ、ある程度は安定した戦いができていたと思います。前半戦は、どうしても、手堅くいくと点が取れない感じがありましたが、北川(愛莉)さん、大島(暖菜)さんが途中から加入しました。大島さんはスピードがある、北川さんはボールの持ち方が面白いストライカーなので、その辺を組み合わせながら、なんとか6位争いに食い込んだ感じです。

トップ3(浦和、I神戸、東京NB)との試合を見ると、やはり、ストライカーというか、前に決め切る人がいる。ウチは井上(綾香)さんが8得点しましたが、彼女は、どっちかというと1.5列目くらいから飛び出していくプレーが多いです。 

怪我をされる選手もいてメンバー構成に苦しんだ面もありましたね。

大きな怪我をした選手がいて、リハビリをする選手も多かったので、シーズン途中からは、男子を担当していた和田哲治トレーナーにも女子を見てもらってリハビリもうまくいくようになりました。大きな怪我の発生は、最初の頃よりも止まったと思います。

2つのチームでスタッフの異動をしたり、両方を担当したりできるのは、Jリーグ・クラブならではの良いところですね。 

ウチの場合は、大宮アルディージャという同じ名前で、一つのクラブとしてやっているのが一番のメリットだと思うね。

トップチームとVENTUSが隣接するピッチで同時にトレーニングするときもある 

日本サッカー協会にいたときに、欧州の女子サッカーの流れを直に感じた

男子にもそういう時期がありましたけど、今、ご存知のように、女子のサッカーは「変わっていく社会の象徴」みたいなところがありますよね。僕は、サッカークラブにとって、女子のプロチームを持つことは、ものすごく大事だと思っています。僕が大宮アルディージャに来たのは、女子チームのことも育成年代のことも担当するという話をいただいたからです。男子(トップチーム)だけだったら、ちょっと考えたかな。

僕は女子のサッカーにそれほど詳しくなかったのですが、日本サッカー協会で働いていた2010年に中国の広州で開催されたアジア大会で初めて女子サッカーに関わりました。日本サッカー協会の専務理事になってから(2013年〜2016年)は女子の試合も頻繁に見に行きました。その頃から女子サッカーの可能性を感じていましたね、特に、欧州へ行くと、女子チームを持つのが当たり前のようになってきて、パートナー企業、その株主、あるいは支援する人たちも女子チームを持っていないクラブはサポートしないくらいの流れが生まれているのを感じていました。(Jリーグの副理事長就任後は、スペインの)ラ・リーガがJリーグと提携していたので、女子チームが増えていくことも感じました。欧州へ行くと女子サッカーの試合も見に行っていましたよ。

当時の原さんは、欧州の女子サッカーのピッチ上に驚きを感じていたのか、ピッチの外に驚きを感じていたのか、どちらでしょうか?

それは、やはり両方ですね。僕が協会に入る頃のスペインは、それほど女子サッカーに力を入れていなかったと思います。ところがコロナ禍のピークが明けると、女子チームが普通に同じクラブハウスを使えるようになっているシーンを見るようになりました。ビジャレアルだったかな、女子選手たちが練習を終えると、もう一度ピッチに出てきました。今度は、子どもたちの指導を始めました。何人かの選手は将来も睨んで指導者の勉強もしていると教えてもらいました。

トレーニングの合間に大宮アルディージャVENTUSの選手やコーチに声をかける原博実さん

女性がサッカーをやれるというのは、ある意味、自由というか平和な社会の象徴ですよね。アジアには、まだ女子がサッカーをやれる環境になっていない地域もあります。生活水準、宗教の問題……いろいろと理由があると思います。一時期、北朝鮮女子代表や中国女子代表が強かったですね。国家プロジェクトのような強化をやってきたのだと思いますが、そういう方法だけでは、それ以上は強くなれないのだと思います。

日本の女性プレーヤーは5.1万人(JFAの種別ごとのチームに登録している選手登録数は2.79万人)でまだ少ないですね。プロのスポーツクラブには、もちろん勝ち負けという結果がある。でも、それだけではなく「サッカーをプレーする環境を整備する」「プロにならなくても楽しめるサッカー好きを増やす」「サッカーを見る環境を整える」といったことも大事な仕事だと思う。

僕の次男が小学生のときにプレーしていたクラブには女の子も一緒にプレーしていました。でも、中学生になると女の子がプレーできる場所がなくなる。やはり、環境を作ってあげることが大事だと、ずっと思っています。次男と岩渕真奈ちゃんは同級生でツートップを組んでいたので「異色のツートップ」と言われていました。

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