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U E F A女子チャンピオンズリーグ出場を経てクロアチアへ復帰 イタリア生活を夢見ていた吉田早紀選手がメジムリェ・チャコヴェツで予定外の10番を背負うまで

クロアチアと聞くと、イタリア半島との間に広がる青いアドリア海とオレンジ色の屋根瓦との鮮やかなコントラストを思い浮かべる人が多いかもしれません。クロアチアは古い街並みや豊かな自然が魅力の観光立国です。

ただ、今回は、同じクロアチアでもアドリア海沿岸からは離れ、北部のチャコヴェツという街がお話の主な舞台となります。チャコヴェツは緑と花に彩られた美しい街。古代ローマ時代に生まれた要塞都市です。スロベニアとハンガリー、2つの国との国境に近く、ハンガリーの支配下にあったこともあります。オマーン代表監督として日本代表を苦しめた「教授」ことブランコ・イバンコビッチさんの出身地。スポーツが盛んな街です。

チャコヴェツの街 提供:吉田早紀選手

吉田早紀選手は、クロアチア2.H N L女子(女子2部リーグ:昨シーズンは1部に残留したが、チームが男女で分離し、新しいチームとなり2部からリスタート)のメジムリェ・チャコヴェツでプレーしています。今ではクロアチア国歌を上手に歌えるほど、この国の生活に慣れ親しんだ吉田選手ですが、自分のキャリアプランにクロアチアでプレーする予定はなかったそうです。なぜクロアチアでプレーすることになったのか、そして、どうして、今の生活が充実しているのかを聞いてみました。

クロアチアで咲く桜 提供:吉田早紀選手

イタリアでの生活に憧れていた 

吉田選手に若い世代で海外でのプレーを夢見ている選手たちへのアドバイスをお願いすると2つのことを教えてくれました。一つは「自分を出す」ということ。そして、もう一つは「具体的な行動を始めるのは早い方が良い」ということです。

吉田イタリアに行ったときにヴェローナの男子のスカウティンの人と話す機会がありました。「日本では上手い選手が評価されるが、海外では結果が評価される」と教えてもらいました。海外チームへの移籍を挑戦する際に1週間から2週間のトライアウトに参加することがあると思います。その短い期間で結果を残すことが大事です。

自分が初めてイタリアでトライアウトに参加したときは他の選手に合わせてプレーしてしまいました。すると、自分が全く目立たなくなります。自分では上手くプレーできていると思っていても、そこは評価してもらえない。自分の長所をどんどん出さないと合格は難しいです。チームメイトがどう動こうが、自分にボールが欲しかったら言ってアピールしないといけません。あのときは、自分がやりたい動きを味方がやっていたので、その選手のためにスペース作ったりサポートしたりとかをしましたが評価されませんでした。

2回目のトライアウトでは積極的にプレーし合格しました。1回目のトライアウトとは逆に、監督から「1人でやりすぎだ」と言われました(笑)。やはり、海外では結果が重視されると思いました。

ヴァラズディンのスターリ・グラートにて  提供:吉田早紀選手

吉田ちょっとでも海外に興味あったり、海外でやってみたいなと思ったりしたら、まず、行動を起こすべきだと思います。自分は行動を起こすのが遅かったです。思ったとき、すぐに行動していたら、もっと長く海外でサッカーをできて、もっと人生が充実していたかな。長い間、頭の中で「行きたい」と思っていても、不安が勝って、なかなか前に進めなかったのですが、一度、挑戦しに行ってみたら、行くことに対してのハードルが一気に下がりますね。

ザグレブにて  提供:吉田早紀選手

何度もあったが踏み切れなかった海外移籍のチャンス

吉田大阪桐蔭高校ではフランス遠征を経験しました。姫路獨協大学ではイタリア遠征がありました。プレーが通用すると感じたところが結構ありました。(サッカー留学サポートをおこなうN P O法人)ブリッジの『女子サッカーU S A遠征&体験ツアー』に参加してアメリカにも行きました。そのときに、おそらく何校かのアメリカの大学から入学のお誘いの声をかけてもらったのですが、日本の大学でサッカーをしたかったので姫路獨協大学で卒業までプレーしました。

大学を卒業し、なでしこリーグ1部のチームに加入できなかったら海外へ行こうと思っていたのですが、コノミヤ・スペランツァ大阪高槻(現・スペランツァ大阪)に加入できたので海外移籍に挑戦しませんでした。コノミヤ・スペランツァ大阪高槻が2部に降格することになったときも海外へ行くかを迷ったのですが、なかなか一歩を踏み出せず、バニーズ京都S Cに移籍しました。実はバニーズ京都S Cに所属している間に、一度、イタリアのチームから来てほしいというお話をいただいて移籍が可能だったのですが、シーズン途中ということもあって実現しませんでした。シーズンが終わったら移籍するつもりだったのですが、新型コロナウィルス感染症が広がっていた上に、手術を受けなければならなくなったので移籍を断念しました。

イタリア行きまでの半年間を埋めるつもりで渡ったクロアチア

吉田2020年シーズンが終わり、バニーズ京都がバニーズ群馬FCホワイトスターに移管されることになったタイミングもイタリアに挑戦するかを迷いましたがコロナ禍が収まらず、再びコノミヤ・スペランツァ大阪高槻に移籍しました(2021年1月)。

2021年12月にコノミヤ・スペランツァ大阪高槻を退団して2つのイタリアのチームのトライアウトを受け、1つから合格をもらいました。ただ、その後「加入できるのは次のシーズンになりそうだ」という話になって、半年間をどうするか困っていました。そのときにツイッターを見ていたら(寺脇)鮎李(当時はメジムリェ・チャコヴェツでプレー)が「日本人選手を探しているチームがある」とツイートしているのを見つけました。そこで、私から連絡をして3ヶ月間だけプレーできるクロアチア1.H N L女子(女子1部リーグ)のメジムリェ・チャコヴェツに移籍することができました(2022年3月)。ですから、クロアチアで生活しても、まだイタリア語の勉強を続けていました(笑)。

クロアチアからイタリア……ではなくスロベニアへ

吉田クロアチア1.H N L女子(女子1部リーグ)が終わる頃に、お隣の国のスロベニア1.S Z N L(女子1部リーグ)のZ N Kポムリエ(ŽNK Pomurje Beltinci)の監督とマネージャーがやってきて、私は来シーズンの加入オファーを受けました。隣の国といっても、車で30分くらいの距離です。すでに、監督が私のプレーを見るために試合会場に来てくれていたみたいです。「U E F A女子チャンピオンズリーグを勝ち進むために来てほしい」というお話でした。Z N Kポムリエはスロベニア1.S Z N L(女子1部リーグ)の強豪(優勝9回)で、U E F A女子チャンピオンズリーグ予選の常連でした(2023年1月に男子チームのクラブと合併し、現在はZ N Kムラ:ŽNK Mura Nona)。

Z N Kポムリエ  提供:吉田早紀選手

イタリアには30分くらい近づきましたか?

吉田いや、距離的には同じくらいですね(笑)。

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