サッカー番長 杉山茂樹が行く

技術委員長の権威低下を招いた田嶋会長時代の8年間

写真:Shigeki SUGIYAMA

 サッカー協会の会長に宮本恒靖氏が就任した。47歳での就任は戦後では最年少とのこと。学年や年齢に基づく年功序列、先輩後輩の関係が色濃く残る日本式スポーツ社会において、若さは障害にならないか。
 
 サッカー協会の業績と何より関係深いものは、W杯における代表チームの成績である。宮本会長には自分より8歳年上の森保一代表監督に、解任を迫る時が訪れるかもしれないのだ。日本的な上下関係のコンセプトが、そこで障害にならないだろうか。監督としての実績で大きく上回るのも森保監督だ。「W杯で最高順位を目指す」と宮本新会長は言う。しかしその先頭に立ちキチンと音頭を取ることができるのか。
 
 もっとも新会長について語る前に、検証すべきは田嶋幸三前会長時代の8年間だ。功績として特質すべきはハリルホジッチの更迭だろう。2018年ロシアW杯の本番をわずか2ヶ月後に控えたタイミングだった。代わって西野朗氏を代表監督に登用。本大会でベスト16に導いた。思い切った交代に出た決断力及び実行力には素直に拍手を送りたい。
 
 一方、ガッカリさせられて代表的な一件は、森保一監督への批判が高まったときに会見で怒ってみせた一言だ。
 
「森保監督を代表監督の座から引きずり下ろそうとしている人がいる」
 
 代表監督は常に批判を浴びる宿命を抱えた役職で、筆者が森保監督に対して厳しめに書かせていただいているそれこそが最大の理由だ。是か非か論で非を唱える理由は、その方が代表チームは強くなる。日本サッカー界はよい方向に進むとの確信があるからだ。引きずり下ろしたいからではない。空疎な感情論に基づくものではないのである。

 そこでふと抱くことになった疑念は、田嶋前会長がハリルホジッチを解任した理由だ。自身こそが引きずり下ろしたかったからではないか。感情論先行の決断だったのではないか。だとすれば拍手は送れない。
 
 そもそも、多様な価値観が渦巻くサッカー界において就任期間8年は長い。競技性と良好な関係にあるとは言えない。森保監督の任期にも同じことが言える。8年は長い。それとセットでチェック機能が働いていないことも拍車をかける。今回も宮本新会長誕生の裏で、反町康治氏が技術委員長の座を退いている。記者会見が行われることもなく、まさにひっそりと、と言うか、こっそりと、だ。
 
 思えば、反町氏が技術委員長に就任した4年前(2020年3月)も会見は開かれなかった。入れ替わりでその職を退くことになった関塚隆氏の会見も同様に開かせなかった。その直前まで会見場のひな壇に森保監督とともにデンと腰を据えていた技術委員長が、である。
 
 もっとも関塚氏は完全に解任されたわけではなかった。役職名を「ナショナルチームダイレクター」に変え、会見上では相変わらず森保監督の傍らで構えた。
 
 ナショナルチームダイレクター。田嶋前会長の下で新設された役職である。技術委員長との違いは何か。技術委員長はその国の育成部門の長にあたる。代表チームも管轄内に含まれる。代表監督を評価する役割も担う。そうでないと辻褄は合わない。
 
 一方で、ナショナルチームダイレクターは代表チームに特化した役職だと言う。だとすれば技術委員長と任務は重なる。反町氏はそれを避けるために事実上、代表チームに口を挟まない技術委員長となった。
 
 なぜそんなことをするのか。技術委員長の負担を軽減するためとの説明だったが、反町氏が技術委員長に就任した半年後、関塚氏はナショナルチームダイレクターの座を退いている。と同時に、ナショナルチームダイレクターというポジションそのものも消えた。
 
 このような組織構造を考えたのは誰なのか。
 
 ところが2023年2月、3年余りの歳月を経てナショナルチームダイレクターは復活する。その職に就いたのは山本昌邦氏で、反町氏に代わり、会見場のひな壇で、森保監督の傍らに座ることになった。
 
 これは誰のアイディアなのか。
 
 反町氏は森保監督の続投に当事者として関わっている。カタールW杯後、2時間にわたり膝を付け合わして語り合い、方向性を確認したという。「より攻撃的に」と注文を出したという。その時、反町氏は一国の技術委員長に相応しい実力者に見えた。それから2か月も経たぬ間に、森保監督の傍らに座る人物が山本氏に代わろうとは、予想だにしなかった。
 
 そして、そしてその約1年後、反町氏は協会を去ることになる。続投を勝ち取り、8年間その座に座ることになりそうな森保監督とは対照的な姿を描くことになった。
 
 森保監督のサッカーは先の北朝鮮戦がそうであったように、苦しくなると5バックに変更傾向がある。「より攻撃的に」という反町氏の注文は反故にされた格好だ。
 
 反町氏の後任に就くのは影山雅永氏だが、反町氏の退任劇同様、話題にさえなっていない。会見も開かれていない。この人事を含め、ここまではすべて田嶋前会長時代に起きた出来事となる。技術委員長の権威の低下。これこそが田嶋前会長の8年間で最も変わった点だ。
 
 田嶋前会長は8年前、技術委員長を経て協会の専務理事を務めていた原博実と会長選を争い勝利した。原博実氏は技術委員長時代、攻撃的サッカーをコンセプトに掲げ、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチを招聘した。ザッケローニ、ハリルホジッチがそのコンセプトに適った監督だったかという問題はさておき、技術委員長がひとつのコンセプトを掲げ、代表監督を探し求めようとしたのはこれが初で、一流国では常識となっている方法が、ようやく日本にも取り入れられたと胸をなで下ろしたものである。
 
 代表監督の善し悪しと日本代表の成績は、技術委員長の力量と密接な関係にあることが原氏の活動を通して明らかになったのだった。その原氏を選挙で退け会長に就任した田嶋は、この8年間でそれとは真逆な、技術委員長の存在を低下させた。ナショナルチームダイレクターなる役職を設けたことは、それを象徴する事象と言っていいだろう。
 
 若い宮本新会長は、日本代表チームを取り巻く組織が健全に機能しているとは言い難いこの状況を、肯定的に見ているのか、否定的に見ているのか。厳しい目を向けていきたい。
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