サッカー番長 杉山茂樹が行く

10人になっても4-4-1を貫いた日本と、5バックで日本に臨んできた韓国。真の勝者に輝くのは

写真:Shigeki SUGIYAMA

 中国、UAE、韓国を相手に2勝1敗。U-23アジアカップで日本は準々決勝進出を決めた。3戦ともとりわけ監督采配という点において見どころの多い試合だった。

 

 10で迎えた前半17分、西尾隆矢がレッドカードで退場するハプニングが起きた中国戦では、そこから10人でどう戦うかに注目が集まった。選択肢は大きく分けて2つ。それまで通り前からプレスを掛けに行くか。あるいは後方に多く人を配し、ゴール前を固めるか。試合展開は監督の判断1つで大きく変わる。大岩監督は大きな選択を迫られることになった。

 

 具体的には43で戦ってきた布陣をどう変えるかである。43に最も近い布陣は43だが、10人でこの態勢を維持するのはさすがに難しい。41が考えられる限りにおいて最も43寄りの布陣になる。

 

 逆に後ろを固めようとすれば、5バック(51)がわかりやすい選択肢になる。相手に主導権を渡すことを辞さない戦法でもあるので、圧を受けやすいサイドでウイングバックが高い位置を維持する3バック(31)にはなりにくい。

 

 4バックでも41以外に、両ウイングを置かない42という選択肢がある。しかしこちらも51同様サイドで数的不利を招くので、主導権を奪われやすい。守備的な布陣と言える。

 

 大岩監督の選択は41だった。両ウイングを残し、相手の両サイドバック(SB)にプレッシャーを掛けようとする態勢を維持した。

 

 相手の4バックで攻撃参加を仕掛けるのは9割方SBだ。SBとウイングはプレッシング=攻撃的サッカーを象徴する攻防になる。中国戦ではその要素が最後まで失われることなく進行した。

 

 後半の頭からとか、勝利が目の前にちらつけばちらつくほど後ろで守りたくなるものだ。それが日本サッカーの常識だろう。なによりA代表監督がそれを「賢くしたたかな戦いだ」と称し、好んで後ろを固めようとする。

 

 西野朗前監督もしかり。ハリルホジッチからバトンを受け継ぐと、残り2ヶ月しかないというのに、それまで「ハリルホジッチが試してこなかったから」と、最初で最後となった国内でのテストマッチ=ガーナ戦で、当たり前のように3バック(5バック)を試している。

 代表監督のこの姿勢は国内に伝播する。スタンダードな考え方として浸透する。監督予備軍である元選手が担うテレビ解説に、それは端的に表れている。そうした中で10人になっても前からプレスを掛けに行こうとする大岩監督の選択は際立っていた。日本サッカー界においては異彩を放つ選択と言える。

 

 相手の中国は日本ゴールを幾度か強襲。決定的なチャンスを掴みGK小久保玲央ブライアンを慌てさせたが、日本が交代で両ウイングに新たな選手を投入し、プレッシングの強度を高めると、次第にチャンスの数を減らしていく。日本がアップアップの状態のまま辛うじて逃げ切ったという感じではなかった。毅然と対応した日本の強さ、格上感がむしろ際立つ試合になった。

 

 もちろん、5バックで守り倒そうとする森保式でも逃げ切れたかもしれない。しかし少なくともチームにとってどちらの方が有益か。喜びは大きいか。監督のカリスマ性は高まるか。戦術は浸透するか。チームは一丸になれるかとの総合的な視点に立つと森保式は怪しくなる。

 

 森保式と大岩式。たとえば、逆転を許した場合により不幸を味わうのはどちらだろうか。運が3割を占めるサッカーだ。試合はどう転ぶかは分からない。筆者が大岩式を支持する理由は、試合に勝った場合でなく、敗れた場合に基づいている。

 

 攻撃的サッカーか、守備的サッカーか。欧州サッカーは1990年代後半、方向性を巡って大きく揺れていたとは、この欄でこれまで何度か記してきたが、当時、現地で取材を重ねていく中で筆者の心を捉えたのは、指導者、評論家から聞かされた、試合に敗れた場合に納得感が高いのはどちらか。より後悔するのはどちらかという哲学的な視点だった。

 

 5バックにして守備的に構えたにもかかわらず、ゴールを決められてしまったら、何のために後ろを固めたのか分からなくなる。ならば最初から攻撃的に、高い位置からプレスを掛ける戦いをした方がよかったと考える人が多いのではないか。守備固めに出たにもかかわらず失点を許せば、論理的に破綻する。大きな矛盾がチームを支配することになる。攻撃的に戦って敗れるよりチームのムードは格段に悪い……

 

 日本の指導者からこうした深い話を聞かされたことは、それから何十年経過したいまなおない。5バックへの変更を「臨機応変とか、賢くしたたかな戦い」とこだわりなく自賛する代表監督に否定的な目を向ける人は少ない。

 

 欧州の指導者、評論家の中には使い分けることの難しさについて説く人もいた。試合の途中から攻撃的サッカーに転じることは簡単ではない。前からプレスを掛けに行けと言っていた監督から、以後は後ろで守れと言われると、次から前から行けと口酸っぱく言われても、苦しくなれば5バックで守ろうとする監督の姿勢、すなわちプレッシングを信じていない監督の姿が読めるので、プレスの練習に100%実は入らない。苦しくなると5バックで守る、監督のどっちつかずの正体が明らかになれば、選手は半信半疑でプレッシングに臨むことになる。その威力は自ずと低下する。

 

 プレッシングを生み出したアリゴ・サッキは言う。

 

「守備と言えば守る。守ると言えば下がるという人間が備える本能的な概念を、180度ひっくり返したのがプレッシングだ。その感覚をチームとして身につけるまで当然、時間が掛かる」

 

 サッキが言うように、普段から人間が守備に抱いている一般的な概念は非プレッシングだ。守備固めと言えば、野球式(非プレッシング)を連想しがちな日本人の場合はならなおさらだ。したがって試合中に守備的(非プレッシング)から攻撃的(プレッシング)に意識を変えることは簡単ではない。ハードルが高い。後ろで守るサッカーをしながら点を奪われた時、直後から、さあ今度はプレッシングだと言われてもパッと切り替えることはできない。つまり、非プレッシングはプレッシングに移行しにくいという現実問題を抱えている。

 

 3戦目の韓国は前2戦とは一転、5バックで日本に臨んできた。その結果、10で勝利を収めた。まさに森保式サッカーで日本に勝利した。守り切られてしまったわけだ。しかし敗北感は思いのほか薄い、もう一度戦えば、もう少しやり方を工夫すれば勝つのではと楽観的になれる、ガッカリ感の低い敗戦であったことも確かだ。ボール支配率も6139で大きく勝っていた。

 

 それでも負けてしまえば身も蓋もないと言う人はいるだろう。だが日本に少し運があれば、勝っていたかもしれない試合であったことも事実だ。実際勝ち負けが紙一重の関係にある試合だった。韓国が運なく敗れていたら、5バックで引いて構えるファン・ソンホン監督の選択は批判を浴びていた可能性が高い。石橋を叩いて渡る手堅い作戦と言い切れないギリギリの内容だった。

 

 森保監督が「賢くしたたかな戦い方」と自画自賛する理由は、これまで失敗した例が少ないからだ。サンフレッチェ広島時代は、5年半の任期で3度優勝を飾っている。日本代表監督としてもカタールW杯でベスト16入りをはたしている。しかし世界を見渡せばそれは多数派ではない。

 

 先述した1990年後半以降、守備的なサッカーは一時代を築いていない。歴史が証明している。プレッシングと同系列のトータルフットボールによって、サッカーは進化してきたという大河の流れを無視することはできない。守備的サッカーで戦ったにもかかわらず失点したらどうするのか。逃げ切れなかったらどうするのか。守備的サッカーは明確な答えを出せずにいる。攻撃的なグアルディオラと森保的なモウリーニョの現在を見れば、後者が少数派に留まる理由は鮮明になる。

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