サッカー番長 杉山茂樹が行く

森保、池田、鬼木……日本人指導者が取り憑かれる5バックなら守り切れるという幻想

「前からプレスを掛けに行けば後ろにスペースは生まれるわけですから……」。「理に適った現実的な作戦だと思います」と、テレビ解説者は、5バックで守りを固める戦法を否定するどころかむしろ肯定する。森保一監督の表現を借りれば「臨機応変」、「賢く、したたかな戦い方」となるが、日本人の指導者の間ではどうやらこの森保的な思考法がスタンダードとして浸透しているようである。

 

 たとえば、つい2〜3シーズン前まで1試合3点を目標に掲げていた川崎フロンターレの鬼木達監督である。昨季あたりから5バック同然の3バックを頻繁に使用する。攻撃的サッカーを標榜していた監督だったはずが、いまやすっかり両刀遣いに変化した。

 

 池田太なでしこジャパン監督が先の北朝鮮戦(パリ五輪予選最終戦)で、5バックに変えて戦ったことについては前回のこの欄で言及したが、模範的であるべき男女の日本代表監督や、Jリーグを代表するクラブの監督がこの姿勢では「臨機応変」、「両刀遣い」が、日本全国に伝播していくことは見えている。

 

 サッカーには様々な考え方がある、それがサッカーたる所以だが、この問題に関して言えば異を唱える人さえいない。テレビ評論家は揃って肯定する。議論どころか、話題にさえならなっていない。

 

 後ろで守るか、前から守るか。これがどれほど重大なテーマであるかはサッカー史を眺めれば一目瞭然だ。その論争の真っ只中にあったのは1990年代後半の欧州だが、筆者はその頃、年の半分は現地で取材していたので脳裏に鮮明だ。

 

 攻撃的サッカー対守備的サッカー(後ろで守るか、前で守るか)は、日本史に例えれば、関ヶ原の戦いに相当する。天下分け目の戦いだった。イタリアで流行し始めたカテナチオが勢力を拡大。ドイツ、東欧などを中心に欧州的な広がりを見せていた。シェア率は半分近くに迫っていた。

 

 199798年のチャンピオンズリーグ(CL)決勝、レアル・マドリード対ユベントスは、攻撃的対守備的サッカーの代理戦争的な役割を担っていた。この天下分け目の戦いを制したのはレアル・マドリードで、スペイン勢が以降、攻撃的サッカーを牽引していくことになる。

 攻撃的サッカー陣営のバックボーンとなっていたのが、プレッシングサッカーとトータルフットボールだ。サッカー史における2大発明である。トータルフットボールが生まれた1970年代初頭以降、W杯で言えば1974年西ドイツ大会以降が近代サッカーと定義づけられる理由である。その生みの親であるリナス・ミホルスのサッカーにアレンジを加えたものが、アリゴ・サッキが提唱したプレッシングサッカーだ。サッキ自身がそう筆者に語っている。

 

「トータルフットボールの前と後でサッカーの概念は180度変わった」とは、同様にそのサッキの言葉だが、FIFAもその意見に同意するかのようにリナス・ミホルスを没後、20世紀最高の監督として表彰した。

 

 トータルフットボールの前と後には筆者は立ち会っていないが、プレッシングサッカーの前と後で、欧州サッカー界に起きた劇的な変化については見届けている。守備的サッカーとのせめぎ合いを経ながら、攻撃的サッカーに不可欠な要素となっていく姿をこの目に焼き付けてある。

 

 攻撃的サッカー、守備的サッカーそれぞれは、いわば主義、イズム、哲学であり、人生観にも似たけっして軽くない半ば普遍的な思考である。日替わりメニューのように選択することをけしからんと全否定するつもりはないが、歴史を学び、それぞれが水と油の関係にあることを知れば、簡単にはできない選択になる。

 

 2つの大きな発明を経てサッカーの進歩に貢献してきたのは、競技の概念を180度変えた攻撃的サッカーだ。それを極端なサッカーと述べたのは西野朗元日本代表監督だが、とんでもない誤解である。7割強と言われるシェア率、浸透度を踏まえれば、これぞ王道を行くオーソドックスなサッカーなのだ。極端なサッカーはむしろ守備的サッカーの方である。歴史はそう語る。それぞれは5050の関係にはない。せいぜい7030であることを忘れてはならない。両者を使い分ける監督がいることも確かだが、それが主流になったことはない。それで王位に就いた監督は、インテルの監督として2009-10シーズンにCLを制したモウリーニョが最後になる。

 

 グアルディオラとモウリーニョはその時ライバル関係にあった。その2009-10シーズンでは準決勝で対戦。モウリーニョが制していた。だが、それから両者の10数年間の流れを比べると優劣はハッキリする。グアルディオラが昨季3度目の欧州一監督の座に就いたのに対し、モウリーニョは今季、ローマ監督の職を解任された。大きな差がついた印象だ。

 攻撃的サッカーが繁栄した理由はわかりやすい。効率的であるからだ。サッカーの本質を突く考え方だったからだ。「前からプレスを掛けに行けば後ろにスペースは生まれるわけですから……」とは、冒頭で紹介した「臨機応変」を肯定するテレビ解説者の言葉だが、前からプレスを掛けに行くことと、後ろに多く人を割いて守ることと、どちらが効率的かと言えば、前からなのだ。

 

 効率的は言い換えれば、勝ちやすい、となる。勝利を求め5バックに変え、後ろの守りを固めようとする人、臨機応変に対応しようとする人は、なぜ自らが多数派でないかについて、サッカーが進歩してきた歴史的背景から学ぶべきだろう。答えはその中に潜んでいる。

 

 選手の技量がアップしたことも見逃せない。守りを固めても、それをこじ開ける選手の技量が上がっている。とりわけストライカーの質が上昇した。試合の主導権を相手に渡すことが、年を経る毎にリスクになってきている。守りを固めてもこじ開けられる可能性が高まっている。

 

 5バックの体制で後ろを固めることは安全策ではない。今日的な守備固めとは言えないのだ。また「臨機応変」は、監督のカリスマ性を低下させる危険がある。問題は失敗したときだ。前からプレスを強調していた監督が一転、後ろで守れと言い出した後、失点を許せば監督の采配ミスは顕著になる。

 

 どっちつかず。ブレたと言われても仕方がない。なぜプレスを掛けるのか。説得力を失う。監督のカリスマ性の低下に繋がる。

 

 負け方としてよくないのだ。守備固め=プレスの強化とした方がサッカーの本質に合致する。ウイングの足が止まったら、そこにプレス要員としてサイドバックを投入する。この方が5バックで守るよりサッカー的だ。

 

 後ろを固めること=効率的との考え方は、他の競技では成立するかもしれない。一般論では「臨機応変」で「現実的」さらには「賢く、したたかな戦い方」かもしれないが、サッカーでは、臨機応変とも、現実的であるとも言い切れない。サッカーの専門家であれば、むしろその逆である可能性が高いと危ぶむべきではないか。

 

 やはり、攻撃的サッカーを効率的サッカーであると捉えることができずにいるからだろう。極端なサッカーと称した西野さんの見解が、現在の日本のスタンダードと見る。攻撃的サッカーとプレッシングを信じることができていない。カテナチオではなくプレッシングが興隆した理由が理解できずにいるからだ。

 

 さらに言うならば守備的サッカーは面白くない。CLを中心とする欧州で守備的サッカーのシェア率が伸びないこれも大きな原因だ。観客にエンターテインメントを届けようとする監督の気概が日本人監督には不足している。その予備軍であるテレビ解説者ともども、守備的サッカーのデメリットについて欧州サッカー史とともに学ぶべきである。

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