20年後のトルシエ人気から、改めてFIFA女子ワールドカップを招致したいと考える
2022年6月7日……札幌でアルゼンチン代表とイングランド代表が対戦し20年が経ちました。この週末で、日本人にとってFIFAワールドカップ日韓2002が、どれほど大きな出来事であったかを筆者は思い知ることになりました。
ヨコハマ・フットボール映画祭2022にフィリップ・トルシエさんが登場
ヨコハマ・フットボール映画祭2022に日本代表を初のグループステージに導いた、元日本代表監督のフィリップ・トルシエさんが登場しました。FIFAワールドカップ日韓2002のアンセムが流れるとトークイベント「サロン・ドゥ・トルシエ 言いたいこと全部言いますSP!」の会場に登場。大会の思い出、日本サッカー協会役員との本当の関係、選手選考の理由などを熱弁。予定終了時刻を大幅に超過するまでステージは盛り上がりました。
一つ、裏話を紹介すると、ステージ開始前に、トルシエさんは通訳の藤本忠教さんに「エモーショナルに、自分が怒っているときは怒っているような喋る方で通訳してくれ」と強く注文をつけていました。そして、通訳だけではなく、身振り手振りも自分と同じように動かすことを要求していました。ということは、FIFAワールドカップ日韓2002の通訳を務めたフローラン・ダバディさんの熱意あふれる通訳は、トルシエさんの強い要求から生まれたのかもしれません。
熱気にあふれたファンとの交流
トークイベント終了後、来日前から「日本のファンと交流したい」と望んでいたトルシエさんは、トークイベント終了後にフットボールエキスポ会場に移動。希望する全てのファンとの写真撮影、サインに応じました。
その姿は紳士、そして徹底したレディーファースト。2002年当時のマスコミを賑わせたエキセントリックにメディア批判繰り広げていた印象はありませんでした。誰もが、その人柄に魅了され、会場を去るまで、人の輪がトルシエさんを包んでいました。
ぜぜぜ、是非清水の監督にななななって下さい???#yfff2022#フィリップ・トルシエ pic.twitter.com/aU4ihXCGnu
— やぎっち(TAWAGOTO) (@TAWAGOTOygc) June 5, 2022
誰もが今でも覚えている
改めて思い知ったのはトルシエさんの知名度、そしてFIFAワールドカップ日韓2002から20年を経ても、強烈に残っている当時の印象です。
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