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神野卓哉さん(横浜MでJリーグ開幕を経験)が WEリーグ開幕へアドバイス「危機感がプロとしての始まり」

J.LEAGUE/J.LEAGUE/ゲッティイメージズ

WEリーグが2021年9月にスタートし、日本の女子サッカーリーグがプロ化します。今からとても楽しみです。1993年にJリーグが始まった頃と同じように、きっとプレーのレベルが向上することでしょう。スタジアムの熱狂度も増すことでしょう。FIFA女子ワールドカップ フランス2019、東京2020で残念ながら露呈した日本の女子サッカーの課題、球際の弱さ、ボールを奪ってからのスピードは解決に向かっていくでしょう。さらに高いインテンシティで試合が進むかもしれません。そして、これまでと違ったプロ生活が選手の皆さんを待っています。

これから、本格的にプロサッカー選手としての毎日を迎える、選手の皆さんの参考にしていただけるお話を誰にうかがえば良いのか……考えてみると、一人の人物が思い浮かびました。神野卓哉さん(FC琉球 強化部長)です。

神野卓哉さんはJリーグがスタートする4年前の1989年に日産自動車に入社。1992年に、日産自動車は横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)というプロクラブチームになります。神野卓哉さんは、ちょうど、その年にバルセロナ五輪(予選)代表に選ばれエースストライカーとしてプレー。日本代表が初優勝したAFCアジアカップ広島大会では日本代表に招集されています。プロサッカー選手として上り調子でした。ただ、大きな期待を受けたJリーグ開幕の1993年は、ワールドクラスの強力なライバルが出現し、思った通りの活躍をすることができませんでした。

神野卓哉さんがプロ化の時期に考えたことは?不安は何だったのか?解決法は?最後に、女子サッカーのプロ化元年・WEリーグ開幕を迎える選手の皆さんへのメッセージ、指導者へのお願いもお聞きすることができました。最後まで、ご覧ください。

 

神野卓哉さん ニッパツ横浜FCシーガルズの監督も務めた

プロ入りのために高校を卒業し日産自動車へ

—さて、現役当時を振り返っていただきたいのですが、Jリーグが始まるというニュースをどこでお聞きになって、どのように受け止められましたか?

最初に聞いたのは高校3年生のときで、進路を大学にするのか社会人にするのかというところで「プロリーグ化は決定した」ということを聞きました。「プロ化するから大学に行かずに、日本リーグの日産自動車(現・横浜F・マリノス)に入って、高いレベルのプレーを経験してからJを迎えろ」と言われました。正直に言うと大学進学は決まっていました。でも、プロ化の話を、加茂さん(加茂周・当時の日産自動車監督、後に日本代表監督)と鈴木徳さん(鈴木徳昭・当時の運営強化担当、後に2020年東京五輪招致委員会戦略広報部長)らに言われ、プロのサッカー選手になるのが夢だったので飛びついた感じです。

1993年5月15日Jリーグ開幕戦の日に配布された号外

プロ化の思い出は「危機感」と「責任感」

—プロ化の話を聞いて、夢が近づいたインパクトがありましたか?そして、日産自動車でプレーして、事前に抱いていたイメージとギャップはありましたか?

強いインパクトがあったのを覚えています。何しろ、僕が高校3年生のときに、日産自動車は三冠(日本リーグ、天皇杯、JSLカップ)を獲得しているので、三冠のクラブでプロリーグを迎えられるというわけです。

予想と違うと思ったのは、あまりにも僕が通用しなかったことです。元日本代表と現役日本代表の人ばかりのチームでしたから(※さらにはブラジル代表でFIFAワールドカップのメンバーだったレナト選手、ブラジル代表主将だったオスカー選手もチームメイト)。日産自動車の社員でしたが仕事は一切しないプロ(サッカー選手)としてプレーしていたのでこれじゃクビになってサッカー選手をやっていけない」という危機感が、僕のプロとしての始まりです。覚悟を決めて練習したことを覚えています。

—日本リーグが終わって、Jリーグのプレ大会(リーグ戦開幕前の予行演習を兼ねた大会)となった1992年のJリーグヤマザキナビスコカップを迎えます。日本リーグが終わったタイミングで変化はありましたか?

急に変わったわけではなく、徐々に変わっていきました。観客動員も、一気に増えた感じではなかったです。ただ、テレビでの露出が凄く増えたので街を歩いていても誰かに見られる、食事をしていてもいろいろな人に話しかけられるということがあったのは覚えています。練習場に来てくださるファン・サポーターの数が増えました。見られている」ってことで、若い僕なりにも責任感を感じていたのは良かったと思います。ファン・サポーターが練習場に来てくださることで「応援してもらっている」「一緒に戦っている」という気持ちが芽生えたと思います。

—「プロ選手とは」みたいなことを教わることはありましたか?

クラブからは言われました。僕は若くて、やんちゃな方だったので、当時にSNSが無くて良かったと思います(笑)。身なりとか、練習にサンダルを履いて来てはいけないとか、髪の毛をぼさぼさにしないとか注意を受けました。取材やテレビ出演の際は、簡単に何でもかんでもポンポン発言しないでしっかり考えて発言するようにと言われました。ノリで喋るなってことですね(笑)。清水さん(清水秀彦・1991年から監督)にはよく怒られました。

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