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「復興五輪」とは何だったのか?後篇 宮城のスタンドから見た東京2020 ちょんまげ隊はなぜ有観客試合を凄いと感じたのか?

前回の前篇では、11言語13枚の横断幕が宮城スタジアムに掲出されるまでの経緯を、「ちょんまげ隊長」ツンさんにお話いただきました。この後篇では2021年7月24日の女子サッカー一次ラウンドから7月31日の準々決勝までのお話、そして、宮城スタジアムで開催された有観客試合の何が凄かったのかをお話いただきます。

「復興五輪」とは何だったのか?前篇 宮城のスタンドから見た東京2020 ちょんまげ隊は何を掲げたのか?

 

「ちょんまげ隊長」ツンさんは、北京五輪の観戦で初めてちょんまげを着用。その後は、手作り甲冑も身にまとい、世界中の大会を行脚しています。2011年以降は震災復興支援に力を入れ、各地で講演、福島県南相馬市の小中学生によるマーチングバンドのドキュメンタリー映画『MARCH』を制作、2つのFIFAワールドカップに被災地の子どもたちを招待する等の活動を行なっています。

世界各国のスタジアムに足を運んできたツンさんは、宮城スタジアムで何を見たのでしょうか。宮城スタジアムで感じた「リアル」を一気にお話してくださりました。私たちが忘れかけていた「復興五輪」とは何だったのか?今一度、皆さんも考えてみてください。

提供:ツンさん

実は簡単ではない横断幕の掲出

海外で観戦された経験のある方はご存知だと思いますが、基本的に、どのような国際大会でも、選手やチームに直接の関係がないメッセージの横断幕を掲出できない運営になっています。試合会場に何かを掲出するのはとても難しいです。無許可で出せば、すぐにセキュリティが飛んできますし、拗れれば、横断幕だけではなくて自分もスタジアムから退去させられるかもしれない。

そこで、僕は、9年前のFIFAU-20女子ワールドカップ日本2012決勝戦で掲出した横断幕の写真が掲載された新聞を持参して宮城スタジアムに行きました。「サポーターの行動にはエビデンスが大事」だとわかっているから(笑)。以前に高評価をいただいた「東日本大震災の復興支援に感謝する横断幕」を掲出したい意図を説明しました。

FIFAU-20女子ワールドカップ日本2012で掲げた横断幕 提供:ツンさん

宮城スタジアムに行ってみて分かりました。セキュリティーの現場の人のほとんどが東北地方の人でした。そうした人たちが、無線で組織の上の人たちに何度も横断幕掲出の交渉してくれました。その結果、横断幕をスタンドに貼れるようになりました。

セキュリティーと一緒に掲出した横断幕 提供:ツンさん

2日目は、セキュリティ、ボランティアの皆さんも手伝ってくれました。こんなことは、今までの国際大会では経験したことがありません。いつも、サポーターとセキュリティは対立するような立場でしたからね。大会が進むと、セキュリティの人たちが、僕たちをスタジアムで待っていてくれるようになりました。一緒に、紐と布テープを使って横断幕を貼りました。

僕がチケットを入手できていたのは1日目と2日目だけでした。1日目に僕が出した横断幕のことが記事になり、記事を見た女川町(宮城県・被災地)の人が連絡をくれて3日目、4日目、5日目のチケットを譲ってくれました。

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