西部謙司 フットボール・ラボ

実は内部分裂していた初代王者―1993年のヴェルディ川崎と救世主ビスマルク【Jリーグ・タイムトラベル】

崩壊寸前の伝説のチームはいかにしてJリーグの初代王者に輝いたのか? 当時の取材秘話とともに振り返ります。

開幕からゴタゴタ続きで「内乱」勃発

当分はJリーグも再開されそうにないので、過去を振り返ってみることにします。順番にいくかはわかりませんが、とりあえずJ開幕の1993年から。

10チームで開幕したJリーグは2ステージ制でした。ファーストステージ優勝が鹿島アントラーズ、セカンドステージがヴェルディ川崎。チャンピオンシップは川崎が勝って初代チャンピオンとなっております。というわけで、ヴェルディについての記憶を辿ってみます。

当時のヴェルディは優勝候補筆頭でした。ところが、開幕からゴタゴタ続きだったんです。まず、開幕前に監督がペペから松木安太郎に代わっています。ペペ監督はあまり首脳陣のウケが良くなったみたいですね。読売クラブのころから監督人事は不可解なところがあって、JFL優勝監督だったカルロス・アルベルト・ダ・シルバが祝勝会で来季の話をしていたのに、なぜか解任されていたということもありました。ペペの場合も、まあ「覚えがめでたくない」ということだったと思います。

松木監督は就任時35歳という若さ。現役のラモス瑠偉や加藤久のほうが年上ですからね。かつて読売時代に監督を務めたフランツ・ファン・バルコムを呼んできて脇を固めるのですが、これがまた選手の反発を買ってしまう。ラモス、カズ(三浦知良)、北澤豪、柱谷哲二といった主力が代表の遠征から戻ってみると、チームの雰囲気が何だが変わっちゃってた。オランダ人選手が3人入っていて、ヨーロッパ式になっていた。ヴェルディは読売時代から個人技を前面に出す南米スタイルでしたから、違和感バリバリです。

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