ラウドルップが来ていたら―Jで唯一欧州の香りを漂わせた1994年のサンフレッチェ広島の完成度と限界【Jリーグ・タイムトラベル】
2年目のJリーグで一世を風靡したサンフレッチェ広島。Jでも異質の輝きを放ったチームの魅力と現在まで受け継がれるDNAを振り返ります。Jリーグ、タイムトラベル!
ゾーンディフェンスの先駆け。現在にも受け継がれるチームの清涼感
Jリーグ2年目、ファーストステージはサンフレッチェ広島、セカンドはヴェルディ川崎が優勝。チャンピオンシップはヴェルディが勝って2連覇を成し遂げています。ただ、この年のヴェルディはネルシーニョが途中でヘッドコーチに入って立て直しましたが、前年ほどの圧倒的な力はなく、チャンピオンシップも鼻の差で逃げ切った感じでした。
印象的だったのはファーストを獲った広島でしたね。スチュワート・バクスター監督が率いて、日本ではたぶん初のきっちりしたゾーンディフェンスを導入しています。
バクスターは父親もアストン・ビラなどの監督、本人は選手としてオーストラリアやスウェーデン、米国でもプレー。指導者としてはスウェーデン、ポルトガルのクラブで監督を経験した後に日本に来ています。国際経験が豊かだったので日本にも馴染みが早かったのかもしれません。確か空手もやっていたと思います。その後も南アフリカ代表監督やイングランドU-19代表監督、フィンランドやトルコにも行っています。
バクスター監督は4-4-2のかっちりしたゾーンディフェンスと、システマティックなカウンターアタックで、ファーストステージでは鮮やかなプレーぶりを披露しました。南米流が多かった当時のJリーグでは異質なチームだったといっていいでしょう。
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