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岩渕真奈選手現役引退 「天国から授かる日本の奇跡」が16年間のプレーを終え女子サッカーの未来へ踏み出す なでしこジャパン優勝メンバー 

2023年9月8日、アディダスジャパンで岩渕真奈選手の現役引退記者会見が行われました。緊張した面持ちで登場した岩渕選手は、これまでのサッカー人生を振り返るとき、そして、澤穂希さんが花束を持って登場したときに涙を堪えることができませんでした。 

澤穂希さんのサプライズ登場で溢れる涙 岩渕真奈 現役引退記者会見

トップレベルのプレーヤーとして16年間の現役選手生活は涙まじりの笑顔でフィニッシュしました。サポーターへのメッセージには岩渕選手らしい表現が盛り込まれていました。世界一、ロンドン五輪銀メダル、リオ五輪予選敗退、東京2020大会……そして怪我との戦い。女子サッカー界の波に揺られながらも、常に前向きにプレーしてきたから生まれた心のうちだったのでしょう。 

「継続して応援してくれて、自分が上手くいかないときも支えてくれた本当に大きな存在でした。ありがとうございましたと伝えたいです。」 

バックボードには「沢山の応援ありがとうございました」という、美しい自筆のメッセージが大きく掲出されていました。 

自分の言葉でしっかりと伝える岩渕真奈選手らしい会見に 岩渕真奈 現役引退記者会見

女子サッカーのために何かをできる存在に 

話題が引退後のプランに差し掛かったとき、岩渕選手の表情がやっと明るくなりました。 

「今まで本当にたくさんの人に応援してもらい、自分が好きなことをやってきたので、これからは人のために、そして、女子サッカーのために、何かをできる存在でありたいと思っています。サッカーというものに恩返しする気持ちも込めて、未来の子どもたちに向けてやっていけたらと思っています。」 

翌9月9日、岩渕選手は、澤さんと一緒に高円宮記念JFA夢フィールドのピッチに立っていました。JFA Magical Field Inspired by Disneyファミリーサッカーフェスティバル“F irst Touch Premium“ in 千葉へのゲスト参加です。午前・午後を合わせて応募164組の応募があった人気イベント。親子49組98名(午前中のみ)とボールを追いかけました。現役引退記者会見とは全く異なる表情。明るく楽しく、次の目標に向けた第一歩を踏み出しました。 

子どもたちの好プレーに喜ぶ岩渕真奈選手と澤穂希さん

澤さんはプロジェクトのキャプテンを務めます。記者会見から一夜明けた岩渕選手のゲストとしての姿について、こう話しました。 

「ぶっち(岩渕選手)自身も私から見たらすごく楽しそうにやっていたかな。2011年のワールドカップを見てくれてるお父さん、お母さんが多いからか、すごく親しみやすくやっていました。子どもたちの憧れの選手だったので、一人でも多く、そういう彼女の良いところを知ってもらいたいです。このような機会があれば、いろいろなところに一緒に行きたいです。」 

親子でお揃いのディズニープリンセスのシャツを着てサッカーを楽しむ

世界中から称賛された Manna 

岩渕真奈選手が引退を表明すると、過去の所属クラブが、これまでのプレーを労うメッセージを発信しました。バイエルン・ミュンヘン、アストン・ヴィラ、アーセナル、トッテナム・ホットスパー……岩渕選手は世界中から愛され続けてきました。 

岩渕選手が初めて世界中からの注目を集めたのは2008年です。F I F A U-17女子ワールドカップ ニュージーランド2008でファンタスティックなプレーを披露。当時のF I F Aの公式サイトは、これ以上ない賞賛を詩的に行いました。 

Japan’s Mana from Heaven 

「Mana from Heaven」は旧約聖書に登場する Manna を連想させる表現です。Mannaとは旧約聖書に書かれた「神により天国から授かる奇跡の食べ物」のこと。「天国から授かる日本の奇跡」は15歳でU-17のゴールデンボール(MVP)を受賞しました。 

アディダスジャパン本社ロビーにも「沢山の応援ありがとうございました」という岩渕真奈選手からのメッセージ 岩渕真奈 現役引退記者会見

岩渕真奈30歳。残念ながら、ニュージーランドから始まった物語はニュージーランドにつながらず、FIFA女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド2023のメンバーに選出されることはありませんでした。どうしても、そのことが引退理由としてフォーカスされがちですが「ワールドカップに行けたとしてもワールドカップで最後かなと思っていたので、本当に昨シーズンを通して考えた結果」と岩渕選手は言い切ります。 

女子サッカー界のスターとしてプレーし続けてきた

2023年6月13日、FIFA女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド2023を戦う23人が発表になりました。そこに岩渕選手の名前が読み上げられることはありませんでした。会見の開始直後は明るい表情だった日本サッカー協会の会長の田嶋幸三さんは、下を向き、険しく悲しげな表情になりました。 

その数日後、筆者はあるパーティ会場でお会いした日本サッカー協会の会長経験者と久しぶりに一対一で話をする機会を得ました。話題はなでしこジャパン(日本女子代表)のメンバー選考となり、その方から「どうしてこんなことになってしまったのか……」と岩渕選手の話を切り出されました。この世代にとって、岩渕選手は今でも「天国から授かる日本の奇跡」。その方は、今でも岩渕選手を「真奈ちゃん」と呼んでいました。 

FIFA女子ワールドカップの2つのメダル 岩渕真奈 現役引退記者会見

岩渕選手は初めて女子選手単独で週刊サッカーマガジン(2009年10月5日号)の表紙を飾った選手です。見出しは「世界的少女」。上から見下ろすようなアングルから撮影をした、アイドル雑誌のようなビジュアルは制服姿。鮮烈な印象を残しました。岩渕選手は女子サッカー界のスターとして、プレッシャーも背負いながらプレーし続けてきたのです。  

市原臨海でデビューしたあの日 なでしこジャパンはフクアリでマルタ選手と対戦していた 

岩渕選手の日テレ・ベレーザ(当時)でのデビュー戦の舞台が市原緑地運動公園臨海競技場(現・ゼットエーオリプリスタジアム)だということはあまり知られていません。目撃した観客はわずかに320人しかいません。なでしこリーグカップ2007予選ラウンドの第1節でした。13時のキックオフ直後から、サイズが合わずダブついた緑のユニフォーム姿の見知らぬ中学生がフィールドを席巻していました。それが、当時の岩渕選手の印象です。信じられないような変幻自在なドリブルがジェフユナイテッド市原・千葉レディースのディフェンスを切り裂き、日テレ・ベレーザは得点を重ねていきました。 

試合終了から約1時間後の16時。移動距離が30分ほどの場所にあるフクダ電子アリーナで、なでしこジャパン(日本女子代表)はブラジル女子代表戦をキックオフしました。FIFA女子ワールドカップ中国2007の前哨戦。10番のマルタ選手が初めて日本でプレーした試合です。ブラジル女子サッカー界のレジェンドは2006年から2010年まで5年連続でFIFA 女子最優秀選手を受賞した全盛期。誰にも止められないのではと思わせるダイナミックなドリブルでスタンドは大いに湧きました。  

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