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岩政大樹が語る【監督業のリアル②】「クラブや選手に優しすぎていけない」監督1年目で得た苦い教訓

鹿島アントラーズの監督時代は「ほとんど眠れなかった」と言う。古巣での監督経験を経て、サッカー観や監督観はどのように変化したのか。卓越した思考力と言語化能力を持つ岩政大樹氏に「監督1年目の教科書」を聞きたいと思った。

1月、ベトナムのハノイFCで新たな挑戦を始めた「深く考え抜く人」は鹿島退任後初のインタビューでその胸の内を明かしてくれた。

【主な内容】
・監督代行時代に出した結果が仇に…痛感したコーチから監督になる難しさ
・優しさが甘えと弱さを生んだ? 勝ちきれなかった理由
・すべての選手を愛するという方針は変える必要がない

【全3本】
岩政大樹が語る【監督業のリアル①】「鹿島で5位という成績は僕が思っている以上に周りは評価してくれた」【無料公開】

岩政大樹が語る【監督業のリアル②】「クラブや選手に優しすぎていけない」監督1年目で得た苦い教訓

岩政大樹が語る【監督業のリアル③】「鹿島の監督時代はあまり眠れなかった」それでも挑戦を続ける理由

 

■監督代行時代に出した結果が仇に…痛感したコーチから監督になる難しさ

―常日頃から鹿島愛を熱く語っていました。タイトルから遠ざかっている歯がゆさも。鹿島の監督はやりたくて仕方がなかったのか、やらなきゃいけないという使命感だったのか。

僕が2022年に鹿島で監督をやるときは特殊な状況でした。当初監督のレネ・ヴァイラーがコロナ禍で来日できず、コーチに就任していた自分が監督代行でキャンプから指揮して開幕から4試合やりました。今だから言えますけど、レネさんの指示のもと、練習もチームのコンセプトも自由にやっていいと言われていた。レネさんと僕は、最初から最後まで、不思議なほどの信頼関係があったんです。それで4試合やって結果(3勝1敗)が出てしまった。前年までのスタイルからいろいろ変えたこともあって選手たちも楽しんでやっていた。それでレネさんが来日して引き継いだあと、最初は調子が良かったんですけど、だんだん尻すぼみになっていった。そうなるとクラブからも選手からも待望論みたいなのが出ますよね。それがあった上でのレネさんの解任だったので。

―当時、タグマ!の田中滋さんのレポート(GELマガ)を読んでいたら、レネ監督が指揮されているときも岩政さんが練習を任される日があって、そのときの選手たちが躍動していると書かれていました。

これは1つひとつ全部丁寧に説明しないといろいろ誤解になるからあれですけど、レネさんはとても面白い人物で、特殊な監督でしたよ。加えて、僕もいま外国人監督として外に出てみるとわかる部分があるんですけど、やっぱり言葉や文化が違えばなかなか伝えきれないところはある。それとこれは僕が良かったという話ではなく、前年のウチ…鹿島のそれまでのサッカーから脱却して、大雑把な言い方になりますが“モダンなサッカー”をやろうとなっていた。そうした中で僕が代行してああいう結果が出てしまった。そのままレネさんが来日できていれば何も問題がなかったかもしれない。今振り返ると、レネさんにとってはすごく難しい状況だったと思います。ただ、レネさんはスイスで今も結果を出されていますし、独自の考えをもった本当に面白い監督でした。

―レネさんは難しい状況でスタートしたということですね

それは間違いないです。レネさんがやっていたことにヒントはすごくあったし、それを踏まえて僕はレネさんから引き継いだので、そのサッカーを少し踏襲するような形は自分の中で考えてやっていた。結局、代行もその後の監督就任もやらなきゃいけない状況だったし、やってみないとわからないことばかりだったので、後悔はないですけどね。

―大好きな鹿島で監督をやってみて何が一番大変でしたか?

……やっぱり、経験じゃないですか。

―自身の経験不足ですか?

経験でほとんど説明がつきますね。やはり監督としては最初はただの新人なので。札幌のミハイロ・ペトロヴィッチさんは広島で監督を始められたとき、今の“ミシャ式”とは違う形でしたよね。あそこから今の3-4-3に移行するなんて誰もそのときはわからなかった。

ポステコグルーさん(元横浜F・マリノス、現トッテナム監督)と話した時に「焦るな。俺は20年かけてここに来た」と言っていました。「それぐらいの覚悟をもって指導者をやるべきだ」と。おそらく20年前に監督を始めたときと今では全然違うサッカーをやっているんじゃないかと思います。ロアッソ熊本の大木武さんもやっているサッカーがどんどん変わっています。

―昔はスモールフィールドでとにかく狭くでした。

経験して初めて見えてくるものがある。それでもアップデートできなければ、指導者としては難しいんでしょうけど。いろんな課題が自分の中に見つかったというのはありますよ。でも、それは監督をやらなければ知りようがなかった。監督になる前の自分にはわかっていなかったという話です。

 

優しさが甘えと弱さを生んだ? 勝ちきれなかった理由

―実際に監督をやってみるとコーチ時代に見えていたものとは全然違いましたか?

どっちもあります。そのままでいけたなって思うことと、違ったなということ。良いものは残して、足りなかったものは変えていく。その繰り返しで一人前の指導者になっていくんだろうなと。

―反省点というのは具体的には?

いくつもありますよ。

―1つか2つ挙げるとすれば。

やってみて少し自分の中で変わってきたのは、クラブとか選手に対して優しすぎてはいけないなということですね。

―どういうことでしょうか?

 

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