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岩政大樹が語る【監督業のリアル①】「鹿島で5位という成績は僕が思っている以上に周りは評価してくれた」【無料公開】

鹿島アントラーズの監督時代は「ほとんど眠れなかった」と言う。古巣での監督経験を経て、サッカー観や監督観はどのように変化したのか。卓越した思考力と言語化能力を持つ岩政大樹氏に「監督1年目の教科書」を聞きたいと思った。

1月、ベトナムのハノイFCで新たな挑戦を始めた「深く考え抜く人」は鹿島退任後初のインタビューでその胸の内を明かしてくれた。記事は3本に分けて、1本目を無料公開とします。監督業のリアル、ぜひご一読ください。

【全3本】
岩政大樹が語る【監督業のリアル①】「鹿島で5位という成績は僕が思っている以上に周りは評価してくれた」【無料公開】

岩政大樹が語る【監督業のリアル②】「クラブや選手に優しすぎていけない」監督1年目で得た苦い教訓

岩政大樹が語る【監督業のリアル③】「鹿島の監督時代はあまり眠れなかった」それでも挑戦を続ける理由

 

■休むつもりはまったくなかった。すぐに監督の仕事を探した理由

―ベトナムのハノイFCの監督就任には驚きました。おそらく国内外複数のオファーがあったのかなと思うんですけど、その中でハノイFCを選ばれた理由っていうのは?

いや、複数というか……リアルな話をすると12月に入ってフリーになっても空いている(監督の)ポストが少ないというのがまずありますよね。とくにJリーグは12月の段階だと来季の監督はほぼ決まっています。

だから鹿島を離れることになってから……まずは国内でいろいろ探そうとしたのは事実ですね。そうしたら12月の早い段階でハノイFCから打診がありました。ほかにもタイのクラブなどいくつか打診をいただきましたが、獲得の意思があるようだったら具体的なオファーを出して欲しいと伝えました。

国内からはコーチや強化部の仕事の打診をいただいたり、Jリーグの監督のポストも夏ぐらいには空く可能性があるから待てばいいといろんな人が言ってくれて、なるほどと思う時期もあったり。結局思ったのは、クラブにとっての監督選びは最終的には2~3人に候補を絞って、そこから誰にするかを決めるわけです。だから、東南アジアとかJ1とかJ2とかは関係なく、最後のひと声を僕にかけてくれたクラブがもし現れて、心がなびけば行こうと考えていました。

―岩政さんとしては鹿島の監督を退任したあと、すぐにでもまた監督業をやりたいと考えていたのですか?

監督業は立候補制ではないのでクラブの状況によりますよね。いくら自分がやりたいと言っても、そのポストがあるのか、あってもクラブの求める監督像に自分が合っているのか。J1・J2・J3、JFL、社会人リーグを入れても本当に双方の思いがマッチするクラブっておそらく数クラブあるかないかだと思います。だから僕の場合は探すと言っても調査ですよね。監督としてフリーになるのは初めてなので、そもそもオファーを出してくれるところがあるのか、調査から始めていきました。その中で、鹿島で5位という成績は僕が思っている以上に周りは評価してくれていて、必ずチャンスはもらえるよと言ってくれる人が多かった。それは心強かったですね。次第に、自分は「監督をやり切った」と言えるほどの年月をやらなかったので、監督業にはもう少しチャレンジしたいと考えるようになっていきました。

おそらくすべての監督がそうだと思いますけど、仮説を立てて指導を始めてこれは違っていた、これは合っていた、みたいなことがたくさん出てきて、1、2年やった頃にようやく自分の形が出来上がってくる。その頃には最初にやると言っていたスタイルとは少し形を変えていくようになっていくのではないかと。

僕はその鼻先に入り始めたときに監督ではなくなったので(笑)、監督をやりたいというよりも、監督をやることで見えてきたものを確かめたいという感覚が強いですね。

―少し休みたいという気持ちはなかった?

まったくなかったですね。1年ぐらいしかやってないですから。

―正味1年3ヶ月ですね。

おそらく自ら休まれる方って、2年、3年とやってみて、アイデアがちょっと尽きてきた段階で休むんだと思うんです。

―インプットを増やしたり、アップデートしたりするため。

はい。だからそこの段階に至っていないのに「休め」と言われても自分の中では悶々としてるものがあるので、あまりピンとこなかったんです。鹿島のあと、もしJクラブにポストがないのであれば、大学で指導をやろうと思ったこともあったんですけど、また半年とか1年で去るようなことになると学生のためにならないと思ってお断りしたり。
最終的には、自分の目指すスタイルに合った選手がいて、そのスタイルをやりきれそうなチームであるハノイでトライすることに決めました。

―どんな監督でも1年目はうまくいかないケースが多いですよね。ペップ・グアルディオラはバルセロナBから、チャビ・エルナンデスはカタールのアル・サッドから、いまレバークーゼンの監督として話題のシャビ・アロンソはR・マドリーのアカデミーから監督のキャリアを始めています。シーズン途中の就任とはいえ、いきなり鹿島のトップチームの監督をやるというのはリスクが高いのではないかと思っていたのですが、そのへんはあまり考えなかったですか?

考えないというか……日本だとBチームがそもそもないですよね。Jリーグも一時、U-23のチームをJ3に参戦させたりしていましたけど、あれはBチームを発足させるわけではなく普段はトップチームで練習して週末だけ試合をするような形だった。それだと監督としての経験とは少し違う。一年を通してのチーム作りというのをやらないと。それで自分の場合はS級ライセンスを取った後に最初にやるのは大学生がいいと思ったんです。だから、上武大学の監督をしました。

―なるほど。

それで鹿島から監督就任の話がきたときの話ですけど、経験不足というのは考える・考えない以前に事実なので(笑)。キャリアのない指導者がクラブやタイミングを選べるわけでもないですからね。監督は選手と違って1人なので、「まずはJ3から始めたいです」と言ったところで、その枠を自分で取れるわけでじゃない。だから、リスクのことを考えないというよりは、考えても仕方がないという感じですかね。

 

岩政大樹が語る【監督業のリアル②】「クラブや選手に優しすぎていけない」監督1年目で得た苦い教訓

 

岩政大樹(いわまさ・だいき)

1982年130日生まれ、山口県大島郡周防大島町出身。東京学芸大から2004年に鹿島アントラーズに加入し、Jリーグ3連覇、ナビスコカップ優勝2回、天皇杯優勝2回に貢献。3年連続Jリーグベストイレブンに選出された。08年に日本代表に初招集され、11年アジアカップ優勝にも大きく貢献。2010年南アフリカW杯日本代表。13年に鹿島を退団したあとタイのテロ・サーサナ、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て18年に現役を引退。21年に上武大学サッカー部監督、22年から鹿島のトップチームコーチに就任。同年8月にレネ・ヴァイラーに代わって監督に就任し23年も指揮を執る。24年からベトナム・V1リーグのハノイFCの監督に就任。主な著書にサッカー本大賞2018を受賞した『PITCH LEVEL(KKベストセラーズ)、『FOOTBALL INTELLIGENCE(カンゼン)、『FootBall PRINCIPLES(JBpress)、『サッカーシステム大全』(マイナビ出版)、『サッカー守備解剖図鑑』(エクスナレッジ)など

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