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令和時代に望まれるスタジアムのあり方とは?クラブライセンス事務局の「中の人」に訊く(前編)

 

先日、今シーズンになって初めて、FC町田ゼルビアのホームゲームを取材した。その中で印象的だったのが、今季の町田が「J1を目指す」ことを鮮明に謳っていたことである。確か昨シーズンはライセンスの問題もあり、ここまで明確に「J1を目指す」と主張していなかったと記憶する。

周知のとおり、昨年の町田はJ2で4位という史上最高の成績を挙げながら、J1クラブライセンスを持たなかったため、J1参入プレーオフに参戦することは叶わなかった。ライセンスが交付されなかった一番の理由は、スタジアムのJ1基準を満たす改修工事が間に合わなかったことである。

昨年12月のメディアブリーフィングにて、Jリーグのクラブライセンス事務局が「スタジアム基準の改定」を発表している。改定のポイントは「何年後かにできるのであれば『すでにある』という判断でもいい」としたこと。町田市陸上競技場については「観客席増加の改修工事が3年以内に完了」できれば、この条件をクリアできることになり、堂々と「J1を目指す」と宣言できるわけだ。

もっとも今回の「スタジアム基準の改定」について、どれだけのサッカーファンがきちんと理解しているのか、いささか疑問である。かくいう私自身、決して自信があるわけではないので、この機会にきちんとJリーグに取材しておこうと考えた次第。インタビューに応じてくれたのは、クラブライセンス事務局でスタジアム担当の大城亨太さん、37歳である。

大城さんは前職が三菱総合研究所で、主に街づくりのコンサルタントとしてのキャリアを積み、4年前から現職。こちらの疑問に対して、ひとつひとつ丁寧に回答していただいた。スタジアムとライセンスの話は、もちろん町田に限った話ではない。今回のインタビューから、なぜJリーグが「スタジアム基準の改定」を決断したのかについて、その背景も含めて理解する一助になれば幸いである。

 

 

■「スタジアム基準の改定」に影響を与えた欧州視察

──Jリーグで「スタジアムプロジェクト」がスタートしたのが、鬼武健二チェアマン時代の2009年6月。それからちょうど10年というタイミングということで、今回はクラブライセンス事務局のお仕事の中でも、特に「スタジアム基準の改定」についてお話を伺いたいと思います。まずは、この10年の変遷について教えてください。

大城 当初はクラブライセンス制度がなかったので、クラブ経営は企画部で、スタジアム周りは競技・運営部で担当していました。2012年からクラブライセンス制度の開始に伴い、競技・運営部とクラブライセンス事務局を兼務する形でスタジアム推進グループがありました。今はグループという形ではなく、事務局メンバーのスタジアム担当という位置づけになっていますね。

──クラブライセンス事務局はトータルで何人いらっしゃるのでしょうか?

大城 ライセンスマネージャーの青影宜典がいて、その下に8名です。そのうち私を含めた3名がスタジアム担当となっています。(これまでスタジアムプロジェクトを担当してきた)佐藤仁司がスタジアム推進役として統括のようなポジションで、私が主にスタジアム新設、もうひとりが改修やトレーニング施設といったところを担当しています。

──なるほど。ところでJリーグでは、欧州のスタジアムを定期的に視察していて、最後が17年だったと聞いています。大城さんも参加したそうですが、特に印象に残ったのはどのスタジアムでしたか?

大城 まず、オランダのフィテッセが使用しているヘルレドーム。引き出し型のピッチで、設計段階からサッカーの試合だけでなく、コンサートやイベントなど複合的な活用を想定して作られているんですね。それからFCスパルタク・トルナバ(スロバキア)のシティ・アレナ。中央駅から徒歩10分くらいのところに、映画館やショッピングセンターやカジノが一体化したスタジアムがあって、試合以外の日でも人が集まれる場所を目指しているという点で印象に残っています。

──今、調べたら、どちらも2万人前後のキャパシティですね。ドイツやイングランドではなく、オランダやスロバキアといった小さな国のスタジアムを回っているところに、Jリーグとしての明確な意図が感じられます。

大城 そうですね。途中、ミュンヘンのアリアンツ・アレナも周りましたけど、Jリーグの規模感に合わせた視察先を選びました。それとこの時は、各地のスタジアム構想に関わっている建設会社や設計会社やゼネコンにもお声がけして、そういった業界の方々にもイメージしやすい、コンセプトが明確なスタジアムを選んでいます。

──この時の視察を受けて、今回の「スタジアム基準の改定」にも、かなり影響があったのでしょうか?

大城 ありましたね。ひとつ目は、フットボールスタジアムというものを、Jリーグの中でいかに実現させていくかということ。それとアクセスですね。デュッセルドルフのスタジアムは駅のプラットホームと直結していましたし、それ以外にも現実的なビジネスを考えて街中の人が集まりやすいところにスタジアムを建設する傾向が見られましたので。

それと、これも今回の改定で盛り込んだのですが、ビジネスラウンジやスカイボックスなどのホスピタリティ施設。ドイツのレーゲンスブルクは、人口が15万人程度なんですけど、1万5000人のスタジアムにもちゃんとビジネスラウンジやスカイボックスがあるんです。それが当たり前なんですね。

──そういったホスピタリティ施設は、決してVIP限定ではないようですね。

大城 そうなんですよ。普通のファンの方でも、少し余分なお金を支払うことで、試合の前後で美味しい食事を楽しめるんです。そういう文化やビジネスモデルといったものは、われわれも導入しなければならないと感じています。ですので、すぐに「義務化」というわけではないんですが、われわれが考える「理想のスタジアム」の中に明記しておきました。

 

 

■「競技性の公平性」と「基準充足に向けた投資」

──それでは今回の「スタジアム基準の改定」について、昨年12月のメディアブリーフィングで使用された資料をもとにお話を伺いたいのですが。

大城 まず、背景のところからご説明します。これまでにもJリーグは、天然芝のピッチだったり、夜間照明だったり、屋根のカバー率だったり、プロサッカーリーグの興行に必要な基準を定めてきました。今回、基準を改定するにあたっての課題は2つあって、1つ目が「競技性の公平性」、2つ目が「基準充足に向けた投資」でした。

──まずは「競技性の公平性」ですが、資料に《順位要件を満たしても、スタジアムの基準を充足していないために、昇格できないクラブが存在してしまっている》とあります。具体的に言えば、14年のギラヴァンツ北九州、17年のブラウブリッツ秋田、そして18年のFC町田ゼルビアがこれに該当するわけですね?

大城 そうです。いずれのクラブも、プレーオフ進出や昇格の条件を成績面ではクリアしていたのに、いずれもクラブライセンスを持たなかったために見送られました。でも、そもそも競技成績で決まるべきものが、それ以外の案件で決まるというのはインテグリティー上のリスクがあるのではないか。

さらに言えば、ライセンスを持たないクラブが半分くらいあるJ3だと、何のために戦っているのかわからなくなってしまうのではないか? そもそも小さな街のクラブでも、結果を残せばトップリーグまで目指すことができるはずなのに、施設基準によってその機会を奪っていいのか? それが「競技性の公平性」という課題でした。

──今のお話はすごく重要で、実はJリーグは頭でっかちなライセンス至上主義ではなくて、ちゃんと「競技性の公平性」ということも考えていると。その点については、もう少しアピールしてもいいんじゃないでしょうか。では「基準充足に向けた投資」については?

大城 われわれとしては、スタジアムに来ていただくお客様に、素晴らしい観戦環境を提供して、そのことでクラブも潤うことをイメージして(ライセンス)基準の設定をしているんです。ところが、どうしても「数合わせ」みたいな改修が行われる事例があるんですね。1万5000人の基準を満たすために不格好な増席をしてしまうとか、あまり機能しない屋根を形だけ置いてしまうとか。

──ああ、わかります(苦笑)。「とりあえず基準さえ満たせたらいいんでしょ?」といわんばかりのアリバイ的な改修って、私もいくつか思い当たるものがあります。

大城 これに関しても、言い方がすごく難しいんですよね。自治体側としては、基準を満たすために税金を使って改修しているわけですから、本来なら大変ありがたいことなんです。でもそれは、われわれが意図している投資とは、ちょっと違う。せっかくお金を入れていただけるのであれば、たとえばもう少し時間をかけて、小さいけれども劇場のようなスタジアムを作っていただくほうが絶対にいい。そういった思いもあるわけです。

──これもすごく重要な話で、要するにクラブやその向こう側にいる自治体側とのコミュニケーションの問題ですよね? ライセンスに込められたJリーグの意図が、行政側に上手く理解されていない、ということでしょうか?

大城 そう捉えています。そこで今回の改定で、初めて「理想のスタジアム」というものを打ち出すことにしたんです。それは、われわれの意図を世の中にきちんと発信できていなかったのではないか、という反省があったからです。行政側に届いていなかったから、彼らも基準を満たすことに重きを置いてしまって、その先のクラブの発展とかスタジアムの理想形といったものに対して、なかなかイメージが至らなかったのではないかと。

──それを行政側に求めてしまうのは、ちょっと酷な話のように感じますよ。行政の人たちにしてみれば、「国体の開会式と閉会式がつつがなく開催できること」が理想のスタジアムだったりしますから(笑)。Jリーグとのイメージのズレが生じるのは、当然のことのように思います。

大城 ですので「競技性の公平性」と「基準充足に向けた投資」という2つの課題を整理して、現行の基準を見直すことで解決したいというのが今回の改定だったわけです。

 

 

■「J1が1万5000人、J2が1万人」を変えなかった理由

──スタジアム基準の改定を検討することになった、そもそものきっかけというのは何だったのでしょうか?

大城 私の部署は、これからJリーグに入りたいクラブの窓口になっていて、入会の審査とか百年構想クラブの対応もやっているんですね。先ほど国体のお話をされましたけれど、これからは地元開催の国体のための施設を当て込んで、Jリーグを目指すクラブが増えてくることが予想されていました。

──なるほど。たとえば、三重とか滋賀とか宮崎あたりですね。

大城 そうです。一方でJリーグとしては、将来的には「フットボールスタジアムが必要」という認識のもとで入ってきていただきたいので、それをルール化するための議論を始めたわけです。するとクラブ社長が集まる実行委員会で、かなり議論が紛糾したんですね。現状のJクラブの半分以上が、陸上競技場をホームスタジアムとしているのに、新たに参入するクラブに対してハードルを上げるのは、上から目線ではないかと。

──実際、Jリーグが始まった頃と今とでは、スタジアムの基準がまるで違いますからね。新たに参入を目指すクラブからすれば「既得権益だ!」と思われても仕方ないですよ。

大城 ですので、まずは既存のクラブのスタジアムをどうするかという検討をした上で、新規参入の決めるべきだろうという議論になって、将来的な基準を見直す検討部会を立ち上げました。それが16年の11月とか12月くらいの話です。議論の中では「2030年までにフットボールスタジアムを義務化する」くらいの強いメッセージを打ち出すことも検討されていました。

──「2030年までに」というのは、Jリーグで策定を進めている「2030年ビジョン」を意識してのことですね?

大城 そうですね。ただし2030年ビジョンの中で、スタジアムだけを突出させるわけにもいかなかったので、結局それを打ち出すことはしませんでした。それでも検討の過程で、今のスタジアムが抱えている課題、あるいは現状の基準がはらむ課題を見直す契機にはなりました。一方で、収容率が半分以下のJ2クラブにフットボールスタジアムを謳ったところで、地元の人には響かないんじゃないかと。「まずは集客アップ」ということであれば、整備の面で後押しする意味でも基準の改定は必要、ということになったんですね。

──議論の末に形になった「スタジアム基準の改定」について、各クラブの反応というものは、いかがでしたでしょうか?

大城 実は基準の影響を受けそうなクラブについては、実行委員会の場だけでなく、個別にお話をさせていただいていました。要するにJ2ライセンス、あるいはJ3ライセンスしか持っていないクラブですよね。ざっくりとした方針をお伝えして、議論を重ねながら詳細を詰めていったので、大きな反発みたいなものではなかったです。

──おそらく議論の中で「ウチのホームタウンは人口が少ないので、本当は1万5000人収容のスタジアムは必要ない」という意見もあったと思いますが。

大城 それはありましたね。実際に実行委員会の場でも、いろいろ議論させていただきました。でもJ1が1万5000人、J2が1万人という入場可能数について、今回は改定しないという結論になりました。というのも、われわれが「J1も1万人でいいです」と言ってしまうと、新たにスタジアムを作る自治体は「じゃあ、ウチは1万人で」ということになってしまう。それはクラブの将来の伸びしろにフタをしてしまうことになってしまうわけです。

たとえば北九州のスタジアムは、J1基準をぎりぎりクリアする1万5300人収容です。今はJ3ですけど、100万都市としての経済規模や自治体のポテンシャルを考えると、もう少し大きなスタジアムを検討してもよかったのではないかという思いもあります。ここで「1万人でもJ1に昇格できます」となってしまうと、行政側は「1万5000人がいいのか? 2万人がいいのか?」という議論をすることなく、ギリギリ基準を満たす決定をしてしまうのではないかと。われわれの決定が、クラブの成長の可能性にフタをしてしまうことを、非常に危惧しているわけです。

(後編はコチラ)

 

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)

写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、スポーツナビを中心に積極的な取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は05年大会から継続中。
10年に有料個人メールマガジン『徹マガ』を開始(16年6月末まで)。16年7月より『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』の配信を開始。

 

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