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引退しても日本とのつながりを持ちたい…ミッチェル・デュークが町田でプレーする理由【サッカー、ときどきごはん】

 

ちょっと赤ら顔でいつも笑顔を浮かべる選手が
今日はあまり話したくないと取材陣の前を足早に去る
いつも陽気なプレーヤーなのに
ときに苦難の色を浮かべて顔を伏せる

決していいときばかりではなかったはずだ
だがそれでも日本に戻ってくるのを楽しみにしてくれる
大の日本びいきの外国籍選手
ミッチェル・デュークに半生とオススメの店を聞いた

 

■オーストラリアと日本はいいライバル関係

アジアカップについては……複雑な心境ですね。チームはよくやったと思います。自分のパフォーマンスについては、アジアカップでゴールを決められなかったから満足していないんですけど。それでも僕にとってはすごくいい勉強になった大会でした。

実際、期待された優勝候補たちはどこも結果を残せなかったですね。日本、韓国、オーストラリア、サウジアラビア、イランというアジアのトップ5はどこも決勝に進めませんでした。

日本もチームとして残念な出来だったと言えるでしょう。あのクオリティのチームであれば、もっと勝ち進むことができたはずです。もちろん私たちも一緒です。日本もオーストラリアも決勝まで勝ち進むべきでした。

僕とオーストラリア代表チームということに関しては……僕は、年齢を重ねた今、ちょっと考えなければいけない時期なんです。今、代表チームは次のワールドカップに向けて準備中で、僕がそのワールドカップのメンバーに入る可能性は低いんじゃないかと思っています。

別のストライカーにチャンスを与えるため他の選手を招集する必要があるのは分かっています。だから今後僕が代表チームでたくさんの出場のチャンスを得られるかどうかはわからないと思っているんですよ。まだ監督とそのような話はしていないので、どうなるかわからないんですけど。

僕の代表チームでのプレーについては、2013年7月25日に東アジアカップ(現・E-1選手権)で日本から挙げたゴールを忘れられないと、そう言ってくれる日本人の方もいますね。日本の攻撃のあとに速攻から取った点でした。確かにあの得点はよかったと思います(笑)。

オーストラリアと日本はいいライバル関係だから、正直なところ、日本戦でもっとゴールを決めたかったと思います。日本をよく知っている今の僕が日本と対戦するなら、やはり特別な気持ちになるでしょうからね。

2022年カタールワールドカップ・アジア最終予選での2回を含めてもう何度か対戦しているし、オーストラリア代表を引退する前に、また日本代表と対戦して得点するチャンスがあればいいと思っています。

 

 

■清水でのウイングバックの経験がもたらしたもの

僕にはこれまで何度も辛いときがありました。けれど苦難を経験することで強くなれると思うし、その状況にどう対処するか、どう立ち直るかが大切だと思います。誰にでも人生の中で拒絶されたり、挫折したり、何かに失敗したりというときはありますよね。そのときにどう対応するかで、その人の本当の性格がわかるし、どうやって立ち直れるかがわかると思っているんです。

僕の場合は、サッカーをやっていた若い頃から拒絶されてきました。いつも「実力が足りない」と言われていたんです。でも、僕の周りには認めてくれる人たちもいて、自分には十分な力があると信じることができました。

自分が十分な実力を持っていることを人々に示すには、モチベーションを上げなければいけません。そうやって本来のパフォーマンスを発揮することで、他の人たちが自分について言っていることを信じることなく、自分自身を信じることができたんですよ。

2015年、初めて来日して清水エスパルスに入ったときはウイングバックとしてプレーしなければいけませんでした。2年目には練習中に左膝前十字靭帯損傷して全治6カ月と診断されました。これまでのキャリアで他にもいろいろなことを経験してきたんですけど、ああいう瞬間があったからこそ、今の自分があるんだと思います。

 

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