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「あなたは顔で人を遠ざける」と言われたけど…徳島で踏ん張る柿谷曜一朗の本心【サッカー、ときどきごはん】

 

J1で優勝戦線に絡んでいきそうな名古屋グランパスから
古巣とはいえいきなりJ2のチームに移籍した
しかも序盤戦は大苦戦
最下位に沈みサポーターから批判も浴びせられた

そんなとき観客席の前に歩み出して話をした
昔とは立場の違う自分がいた
自然と本当の姿が見え隠れする
そんな柿谷曜一朗に2023年の自分とオススメの店を聞いた

 

■今年のチーム成績は自分の責任がかなり大きい

徳島ヴォルティスはシーズン当初苦戦して、第5節から第13節までは最下位やったでしょ。それでも、チームのことを心配したりとか、そういうのをあんまり考えてなかったんですよ。ただこんな勝たれへんの初めてやったし、思いっきりずっと残留争いしてて、しんどかったですね。まあでも、なんとか残留できたんで、安心しました。

みんなが望んでたようなシーズンにはならんかったのは、出だしで挫(くじ)けすぎたっていうのがありますね。そのあとはあまりにもチームが上向きにならないもどかしさはありました。勝てないのが別に自分のせいだと思うほど傲(おご)ってはないんですけど、でも自分の責任ってかなり大きいとはずっと思ってました。

そのころはすごい思い詰めてたけど、自分の中で「どんな形であれJ3リーグに落ちることだけは避けないといけない」って気持ちのスイッチが切り替わって、そうなってからは、なんとか試合に出て勝ち点を取ることだけを考えてやってましたね。

しんどかったし、苦しかったけど、やりがいもあったし。ちょっと怪我したところはあったけど、結果的にはすべて良かったと思います。第18節のホーム・FC町田ゼルビア戦は、首位を独走していて、それまで1試合で2失点以上してなかった相手から2ゴールを奪って勝ちましたからね。その町田戦で自分が80分に決めた決勝点はサポーターの人から「今年のベストゴール」に選んでもらいましたしね。

ベニャート・ラバイン前監督がどんな状況でも顔を上げて明るく接してくる人やったから、それに助けられたっていうのもありますよ。そういう監督だったから、自分たちもズルズル落ちていくんじゃなくて、なんとか踏みとどまれたんじゃないかとは思いますね。

シーズン途中でラバイン監督から吉田達磨監督になったというのはホント申し訳なかったけど、もう一段階パワーを上げるって意味では素晴らしい決断やったんちゃうかなと思います。

とりあえず残留してすべて吹っ切れましたね。自分のおかげで残留できたとは絶対思わないし、まあ……とにかくみんなで頑張りましたよ。

 

(C)TOKUSHIMA VORTIS

 

■自分に言いたいことがあっても、みんな言えなかったんちゃうか?

名古屋グランパスから徳島に移籍したのは、自分の体のこと、自分でわかってるから決断したんです。昔みたいにすべて自分の思うように体が動くとはいかない中でも、まだサッカーができる限りは、若いときにお世話になった徳島にもう一度貢献したいっていう気持ちもあって。

シーズン最初はフル出場できたけど、本当を言うとあれ、多分無理してましたね。自分の気持ち的にも。客観的に見たらもっと休んでよかったと思うし。ただ、別にチームを背負ってやらなきゃいけないと思ってたからってわけじゃなくて、やっぱりJ1に上がるという自分の夢を叶えたかったから。

体がどうであれ、あのころは試合に出る覚悟が必要やったと思うし。それがいいふうに転がるかどうかは別として。当時は結果が出えへんかったけど、一年間走り続けられたんが自分を褒めてあげたい一番の部分かなと思います。

ただね、今回徳島に戻ってきて、昔いたときとは立場も違ったし、それにまあ、ホンマにすべてが変わってるんで。最初は自分に対してのいろんな遠慮も……まだあるかもしんないですけど……クラブからの遠慮はまだ全然感じますね。

しかも自分は結構顔に出すじゃないですか。顔に出てることと思ってることは違うんですけど。こないだ妻にも言われました。「あなたは顔で人を遠ざける」って。自分ではそう思ってないのにそんな顔になってるってよく言われるし。行動を見てもらったら、そんなことないって分かってもらえると思ってるんですけどね。

だから今年は自分に言いたいことがあっても、みんななかなか言えなかったんちゃうかって思ってるんですよ。顔が厳しくても、別にキツイこと言おうと思ってないし、ピッチの上では周りに気を遣ってるんですけどね。だって自分が、ホンマに気を遣わずにサッカーをずっとさせてもらってきて、好き勝手やらしてもらってたサッカー人生やったから。

若いときはちょっと暗かったら先輩が声をかけてくれてたりもしてたけど、ある程度は野放しにしてくれてたから。自分の場合は、いいベテランの人たちに出会えたのが自分のすべてやったと胸張って言えます。

自分がサッカーして喜んでくれる先輩ってホンマにおるんやって思ったし、一緒にやってても「お前がいいプレイしてチームを勝たしてくれ」って言ってくれる先輩がおったりして。そういう先輩たちを見てきてかっこいいと思ってたし、「こういう人のためにプレーがんばりたい」とも考えてたし。

だからこそ、いいベテランになりたいっていう気持ちもあるけど、まだ自分は全然で。自分はやっぱり、先輩からそう声をかけてもらってたから、今、自分も周りの選手にそういうことを言ってるだけやって。そう思っちゃってるから、なんか自分が先輩たちのようになってるとは全然思えてなくて。

それに、いざ自分の年齢が上になると、やっぱりなんでもないようなことが目につくし、敏感に感じ取ってしまうし。それが良くも悪くも自分を苦しめる部分でもあるのかなっていうのも自分でも思ってて。

こうしたらどうかとか、こうしたほうがいいのになって思う選手がいたりするんですけど、それなのになんか……どう声をかけていいか、ちょっと難しくて。自分は声をかけられたくなくて、逆に自分から寄っていってたから、かけ方ってよく分からなくて。

それに自分は、あんまり人を褒めないっすよ。ホンマにいいやつは褒めないし、そういう選手は褒めなくてもできるんで。先輩になったから、昔は甘えときゃよかったけど、甘えさせなきゃいけない部分もあるとは思います。でもまあ、一応、自分もプレーヤーなんで、競争せなあかん部分もあるし。

それから自分の中での「チームはこういうもんや」というのがあって、でも、それって人それぞれ違うじゃないですか。だから、その……言うと、自分の中のセレッソ大阪っていうのがあったから周りとうまくいかなかったのは事実としてあるし、周りだけじゃなくて、監督、スタッフに迷惑かけてたなって今思うんです。

自分の中での絶対的なセレッソ像というのがやっぱり強すぎたんです。それは名古屋に行ってみて気付きましたね。でも……それについては全く後悔してないんですよ。それくらい好きやったっていう感覚があるから。だから……でも、それじゃダメだっていう部分もあるから。

それでも、そこまで好きになれたのはいい経験やったなと思うし、だから徳島に来て、若い選手たちにちょっとでも自分と同じふうに「徳島が好きや」と思ってくれるやつがいたらいいなと思いますけどね。

 

(C)TOKUSHIMA VORTIS

 

■セレッソのときからずっと柿谷曜一朗を演じてきた

シーズン最後のほうは途中出場が続いたけど、体が相当悪かったんですよ。全く構ってあげられてなかったんで。だから残留決まったこともあって休み取らせてもらってた感じです。実は、しっかり休んで、しっかり調整してって、今まで多分やったことなかったんですよ。休んで、そこからいきなりガッツリやってっていうことしかやってきてないから。

みんなが「天才」って言うてくれてたから、「あ、俺は天才なんだ」と。「別に準備運動しなくても天才なんだから大丈夫」という考えになってしまったのも多分ありますよ。だから「天才」って言った人たちが悪いと思ってます(笑)。

 

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