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天皇杯決勝2日前に「契約延長なし」通告。それでも起こした甲府の奇跡。すべてを受け入れる吉田達磨のJリーグ監督道【後編】

 

柏レイソル、アルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府。監督として率いたどのチームでも成果を上げながら、いずれも完成品を現場で見届けることはなかった。それでも、信念をもって突き進んできたからこそ、そのあとには道ができたと言える。
稀有な指導者・吉田達磨の肖像に迫るべくロングインタビューを敢行した。
戦力が均衡し、勝ち続けるのが難しいリーグで指揮官はどう生きるべきなのか。なぜかくも過酷な監督業を続けたいと思うのか。
Jリーグ30周年の到達点として、リアルな監督論を前編・後編に分けてお届けする。

【見出し】
・「何がなんでも出たい」ACLには中毒性がある
・決勝2日前に甲府からまさかの…。初めて明かす天皇杯優勝と電撃退任までの舞台裏
・「俺はいないけどACL頑張って」天皇杯優勝後に選手たちへ打ち明けた真実
・レイソルを見返したいと飛び込んだ新潟で待ち受けていた苦境
・惨敗したら「なにやってるんだ」。外国人監督として代表チームを率いる重圧
・今年は甲府にとってはチャンス到来
・傷だらけでもまだ監督を続けたいと思える理由
監督をやりたかったわけじゃない。「レイソルの監督」をやらなきゃいけないと思っていた。吉田達磨のJリーグ監督道【前編】

 

■「何がなんでも出たい」ACLには中毒性がある

――これだけ指導者間の評価も高く、行く先々のクラブでファンやサポーターに支持されるにもかかわらず、達磨さんはどうして退任までのサイクルが短いのかととても不思議だったんです。

なんだろう、そこは自分の責任の下にあるわけだから、全部受け入れていて。チームを作るスピードというか、「あ、こんな形なんだな」というのが見えるのは多分、結構早いんですよね。レイソルのときも2月17日だったかな、最初のプレーオフのときには前年とは違う姿になって向かいましたし、開幕の神戸戦もネルシーニョと対戦して1-0で勝って、2戦目の仙台戦もスタイル自体が変わってということが出来ていました。新潟に移っても、甲府でもそうだったんですよね。

すぐにそういうところまでは出来るんですけど、やはり変えたものが根付くのには繰り返しが必要なんですよね。スタイルを変えて、選手に納得してもらって、練習に没頭させて、出ている選手と出ていない選手とコミュニケーションを取ってチームを作っていくということに関しては、そこで失敗するという話もよく聞きますけど、そこに失敗した経験は、僕が思っているだけかもしれないけどあまりなくて。シーズンを戦う中でボールを上手く前に運べない試合が出てきちゃうとか、鋭さが欠けちゃう試合が2試合続いちゃうとか。で、引き分けと負けだったりすると、「バックパスばっかりだな」とか「このサッカーはボールをつないでいるだけだ」といった印象のほうが、どうしても強くなったりしてしまう。

それはアカデミー時代からずっと経験してきている。そういう経験をしてきているから「いや、大丈夫だよ、通らなきゃいけない道だから」というところがあるんだけど、プロの世界ではそうも言っていられないところもあり。なので受け入れてます、色々言われることも解任や契約満了となることも。

たまに「おい、ちょっと待てよ」とか「それも俺かー!」「それはないだろう…」みたいなこともありましたけど、でも監督の仕事だから、チームを持つことを引き受けた以上は自分の責任の下にやるというのが、自分の中の決まりだと思っていて。いつも「仕方ないな」、やれるだけはやったという感じで。昨季、甲府を契約満了になったときも、すっきりしていました。クビって言われてますけど、契約を満了しただけなので(笑)。

――天皇杯優勝後に退任の一報を聞いたときには、ACLがあるので経験のある監督がよさそうだけどなと思ったんですけどね。

ACLって本当に中毒性があって「もう一回出たい」と思える大会なんですよね。だから、僕もレイソルを辞めたあと、またACLに出られるようなクラブでと思っていたんですが、新潟のオファーを「よっしゃ、やろう」と引き受けて、そのあとには甲府に行って、ACLのことをまったく考えなくなったんです。レイソルの頃は「あそこに行きたい」「あそこに戻りたい」と思っていたんだけど。それが、甲府で天皇杯でベスト8まで行って手の届くところに来て、「これはなにがなんでも掴みたいな」と。ACLに甲府が出るということは感動的ですし。山梨の人たちにあの舞台を知って欲しいって強く思いましたね。

 

■決勝2日前にクラブからまさかの…。初めて明かす天皇杯優勝と電撃退任までの舞台裏

――退任が決まったのはどのタイミングだったんですか。

優勝する2日前ですね。なんとなく獲れそうな気がしました。

その前にちょうどリーグ戦で7連敗していて、それだけの連敗は僕も経験したことがなかった。7連敗の理由はいろいろあるんだけど。その中にはアウェイの大分戦もありましたね。アディショナルタイムに長沢駿に決められて。

――あれは大分にとっても節目のような試合でした。

そうですね。本当にそう。本当にいい試合でした。こちらは4バックに変えて臨んで、打ち合う中でかなり優勢に進めることが出来ていて、シモさんや哲平(西山GM)にも「甲府強いねえ、なんでこんなに負けてるの」って言われて「俺たちには長沢駿がいないからね」なんて話していて(笑)。でも本当に、点が入るか入らないかっていうのが大きくて。そこで点が入らないから結局、取られちゃうんですよね。サッカーが浸透すればするほど結果から遠のいていくというジレンマみたいなものと戦っていた時期なんですけど。

連敗しはじめたのが、土曜日にアウェイで徳島に負けてから。すぐに水曜日に天皇杯の福岡戦でアウェイに行ったんです。延長戦までやって勝ったあと、中2日でホームの大宮戦だったんですけど、ボロボロで全然ダメで0-3で負けちゃった。その2連敗で順位も落ちて勝点も開いて、そこでJ1参入プレーオフはいよいよ難しいねとなった。天皇杯のほうはベスト8に行った時点で選手には「ここからはアジアに向けての戦いだ」と伝えていました。それまでの札幌とか鳥栖とかに対しては「思い切ってやろうぜ、J1相手にガンガンやって、勝っても負けても得るものはあるだろう。鳥栖も札幌もいま好調だし、いっちょ見せてやろうぜ」っていう感じだったんですけど、ベスト8からは違うぞと。「本当にすごい大会。ここからはそこを目指す戦いになるから、ちょっと違うよ」と言って臨んだ福岡戦に勝てて、リーグの大宮戦に負けたところで、いよいよACLに照準を絞っていこうということをクラブと共有しました。

そうはしたものの、リーグでなかなか勝てなくて。あの9月は天皇杯に勝って自信もついてきて、ボロボロだった大宮戦以外は試合内容もいいんですよ。スタッツで見ても上位陣に対して互角以上に戦うことが出来ていた時期で、だけど結果だけが出ないというジレンマ。その戦いの中で狙いを絞った天皇杯で勝っていけたというのもあった中で、リーグにおいてもいいデータは出ていた。それはいわゆるポゼッション率とかではなく、ペナルティーボックスに何回進入したかといった数字。なにが出来ているか出来ていないかを示すAGI(※1)もKAGI(※2)もリーグで4番目(FOOTBALL Lab参照)、攻撃のCKもリーグでいちばん多かったし、ボックス内進入回数も2位か3位で、ほとんど攻め込まれてもいない。だけど点が取れなくて取られてしまう。そういう試合を繰り返したから、「これ以上、俺の力で出来ることってなにがあるんだろうな…」って、ちょっと考えていたんです。すごい人がこのチームを率いたとして、このサッカーの最後に点を取るとか取られないとかいうところをやれる人がいるのかな、と思いながら、これ以上やるのは自分には役不足なのかなと、ちょっと思っていたんですよ。自信を失うのとは違うんですけど。

そんな中でクラブと話をしました。天皇杯の広島戦をスカウティングしていて、横浜FMのGKコーチの松永成立さんにも「お前らすごいな」と連絡をくれたところから「いま広島はJでいちばん強いんじゃないか」と話したりしながら、スカウティングを進めるほどに「これはヤバいな、いままでの相手とはわけが違う」と。そういう状況下で、リーグで勝っていないからクラブとも話さなきゃいけないよね、というところで、「もしクラブの考え方が決まっているのだったら、早く僕も整理したい」ということは言ったんですよね。集中したいし。

 

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