2008年12月6日、J1最終節(海江田哲朗)
『タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。
東京ヴェルディの新しい指揮官は城福浩監督。15日、就任会見が行われた。
2008年12月6日、J1最終節(海江田哲朗)[えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]八十三段目
■城福監督とヴェルディとの意外な繋がり
東京ヴェルディは2年連続、シーズン途中での監督交代となった。6月13日、堀孝史監督が双方合意の上での退任となり、城福浩氏の監督就任が発表される。オフ明けの15日には就任会見がクラブハウスで開かれた。
あいにく日本代表の森保一監督の会見と重なり、案内が急だったこともあって集まった記者は僕を含めて4人だけ。テレビクルーはなしという、こぢんまりとした場である。
そこで、城福監督は所信表明を行い、メディアとの質疑応答のなかで「これは……まあ……セーフですね。先ほどフロントの方には話しましたので」と言い淀みながら話す場面があった。
「(J1における)最後のダービーとなった2008年、FC東京は最終節でジェフユナイテッド千葉と対戦し、途中まで2‐0でリードしながら4点取られて敗れ、6位でシーズンを終えました。最終節の結果、奇跡的にジェフが残留し、ヴェルディは降格。その事実は、プロの監督としてかかわってきたなかで深く心に刻まれています。自分のせいというのは語弊がありますけれども、今回、お話をいただいたときに僕は運命的なものを感じました。新しいヴェルディをつくり、一番上のリーグで戦わせることが、日本サッカーへの大きな貢献になるのではないかという思いもあります」
そうか、あのときのFC東京は城福監督だったのか。やった、やられたの話では、やられた側はいつまでも脳裏にこびりついていると言われるが、案外そうでもないらしい。僕はすっかり忘れていた。
■鮮明に思い出す事ができるあの瞬間
14年前のあの日、味の素スタジアムの光景が記憶の底から呼び覚まされる。
2008年12月6日、J1最終節。残留争いはコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)がすでに脱落し、15位ジュビロ磐田(勝点37 得失点-7)、16位東京ヴェルディ(勝点37 得失点-10)、17位ジェフユナイテッド千葉(勝点35 得失点-19)の3チームに絞られていた。当時は18位と17位が自動降格、16位がJ1・J2入替戦に出場というレギュレーションである。
最終節は磐田が12位の大宮アルディージャと、東京Vが3位の川崎フロンターレと、千葉が5位のFC東京と対戦。川崎とFC東京にはACL出場権が懸かっている状況だった。
最も早く動きがあったのはフクダ電子アリーナ。39分、カボレのゴールでFC東京が先制する。後半に入って53分、さらに長友佑都のゴールで2点差とした。こうなると現金なもので、カボレ、長友サンキュー! である。どのツラ下げて言ってんのか、やってくれると思ってたぜ、と調子のいいことこの上なしだ。
一方、東京Vは26分、福西崇史を一発退場で欠き、64分、レナチーニョにゴールを許して0‐1。だが、このまま推移すれば何も問題はない。千葉が引き分け以下なら少なくとも自動降格は避けられる。本来、ひとつ上の磐田をまくって入替戦を回避しなければならないのだが、正直、数的不利もあってそこまでは考えられなかった。
再び、フクアリが動いたのが74分だ。新居辰基のゴールで1点差。3分後、谷澤達也の得点で2‐2の同点に追いついた。あのときの記者席のザワつきはありありと思い出せる。
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