ロクダス

湘南ベルマーレ水谷社長独占インタビュー、コロナ禍で社長は何をしているのか

カメラマン六川則夫と湘南ベルマーレの水谷尚人社長との付き合いはJリーグ開幕のころからだから、かれこれ25年以上のつきあいになる。コロナ禍でJリーグは今中断となっているが、今クラブの社長は何をやっているのか。長年の付き合いがある二人ならではの胸襟を開いたインタビュー取材となった。なお、このインタビューは緊急事態宣言が発動される前に行ったものである。

 

インタビュアー=六川則夫

インタビュイー=湘南ベルマーレ社長水谷尚人

写真・編集=池田タツ 

ロクダスとは

日本サッカー黎明期から取材するベテランカメラマン六川則夫が立ち上げたサッカーの表と裏、清と濁を存分にお届けするWEBメディア。82年スペインワールドカップが六川にとって最初のワールドカップ取材となり、ロシアワールドカップで10度目のワールドカップ取材となった。ロクダスでは貴重な写真とともに、過去のワールドカップを振り返る特集も行っている。

 

 

――今回のコロナウイルス禍が起こる前と後で社長の日常というのはどう違っているのでしょうか。

 

「私はあまりやることは変わってないですね。現実的に変わったところでいうと営業の回数が減りましたね。行けないというか、会いにくくなりました。他のクラブの社長のことは全然分かりませんが、私は営業していることが多いですよ。外回りが多いですね。とは言っても、少なくとも週に1日、2日とか、いや3日くらいは練習を見たいと思っています。見るのも仕事じゃないですか。試合は商品ですから」

 

 

――それは製造工程に立ち会うということですか。

「普段の練習は製造工程でもあるし、研究開発の場でもあります」

 

 

――特にベルマーレは『練習でやっていることが試合に出る』という哲学というか信念がありますよね。

「練習が試合に出ないという哲学を持っている人がいたら、逆に会ってみたいですね(笑)」

 

 

――練習を緩くするというマインドが一切ないじゃないですか。試合のためのために練習を緩くするクラブも多いと思いますが。

「緩くするかどうかはまた別の話だと思います。練習は練習ですから。練習は試合のためのものです。今のような状況になって、練習を見る回数はとても増えています。営業してもアポイントは取りづらいしですし、今敢えてアポイントとるというのも難しいじゃないですか」

 

――どのあたりのエリアを営業されているんでしょうか。

 

「東京と湘南が中心ですね。横浜も少しあります」

 

--やっぱり地元のホームと都心がターゲット。

「ユニホームのスポンサーを見てもらえればわかりますが、東京が多いですよね」

 

――その比率はどれくらいなんですか。

「金額ですか? それは守秘義務ですね」

 

――私が湘南ベルマーレを取材するときは車で行きますが、スタジアムの周りはいろんな企業の工場が多いじゃないですか。あの辺一帯からもサポートしてもらっているんでしょうか。

「もちろんサポートしていただいております」

 

――具体的にはどこでしょうか。

「パイロットから結構なスポンサーをいただいています。本社は東京ですけどね」

 

――パイロットは万年筆だけじゃなくいろいろありますよね。

「ボールペンは世界で売れています。パイロットの協賛で行ったコパ・ベルマーレではフリクションという消えるボールペンを配りました。そうしたらブラジル人の子供たちは本当に喜んでくれて、書いた文字が消えるから『あーっ』と声をあげて盛り上がっていました。ブラジルにもパイロットはあるんですが、宝物のように持って帰ってくれました。そういうのを見るのは嬉しいですよ。それはたぶんパイロットの人も嬉しいと思う。今は製造所長の方が平塚の方で、子供の頃からベルマーレが好きですよ」

 

――でもあの辺りから移転している工場が増えているんじゃないでしょうか。

「移転してますね。第一三共さんの工場もなくなりました。工場があった頃はうちもリゲインとか、ユニホームに入れてもらっていました」

 

 

――社長自ら営業にいくということでしたが、いわゆる歩く社長というか、動く社長ですね。

「運動量は多いほうだと思いますよ。もっとちゃんとした社長さんでしたら会議の数が多いでしょうね。報告してもらう会議とかそういった会議はあまりやりません」

 

――私と水谷社長とは一緒にサッカーもよくやっていましたが、サッカーのプレースタイルに似ていますね。とても運動量の多い選手でした。

「社長にとって会議って重要な仕事だと思うんですよ。全体の状況を知るために報告を受けないといけない。それに応じて指示を出すというのが指揮命令系統として普通の会社としてあり得る。ただ僕は基本的に会議が好きじゃないんで」

 

――経営のトップに立つ人間が常に会社を把握するために会議をやるわけですよね。

「知りたいためにやるんだと思います。でも私の場合、知りたいためだったら会議はいらないと思うんです。皆で集まって何かが産み出されるならいいんですけどね。そういう場は会議以外でコミュニケーションをとって作ろうと思っています。でも会議をやって知っておくことは恐らく大切なことなんですよね。それは何かあった時に。ただ、みんな会議で本当のことを言うかと言ったら、言わないですよね。極論かもしれませんが……」

 

――Jリーグの場合J1の社長は7割~8割くらいが親会社から来ている。J2、J3の場合、親会社のいないチームは地域で頑張っている人とか、志のある人とかが異業種からヘッドハンティングされたりとか、職種的には千差万別じゃないですか。ユニークな経営者だと評価されんないと務まらない職種だと思います。その中にあっても水谷社長というのはある意味社長らしくないというか。

 

「威厳がないということでしょ(笑)」

 

――いや、会社にいるより外回りが多い。

「それはそんなことないですよ。外回りは、求められたら行ったほうがいいじゃないですか。社長が行って決まるんだったら行くし、社長が行って謝って解決するんだったら謝ったほうがいいでしょう」

 

――クラブの大きさで、大きいクラブほど会議が多いんじゃないかなという印象なんですけど。

「それは人数が多いから。把握するためにそうなるんでしょうね」

 

――J2のクラブとかは会社の規模を考えると社長がやっぱり1本釣の営業に動かざるを得ないのでは。

「動かざるを得ないというか、動くのは楽しいですね。社長の立場として思うことですが、うちのクラブが独特かもしれないですが、もっともっと元選手がフロントにいてくれてもいいと思いますね。坂本紘司、島村毅、猪狩佑貴、彼らは本当に素晴らしい働きをしますよ。やっぱり負けず嫌いってサッカー選手のベースにあるんだろうなと、顔には出しませんが。その3人と接しているからこそ思うのかもしれないけど、元選手たちってもっとフロントに多くていいんじゃないかと。そして、元選手じゃないひとたちは彼らに負けないよう働かなくちゃいけないと思います」

 

――いろんなJクラブでは、選手が腫れ物みたいな感じでフロントに入ってきて、横文字のよくわからないポジションを与えられることが多いですよね。ベルマーレの場合は元選手がおもいっきり現場の仕事を普通の会社員と同じようにやるじゃないですか。

「もちろん。それでも給料は選手の時より物凄く下がっているんですよ」

 

--J1の大きなクラブだと、組織の中でお互い一緒にスタッフとしてやっていても、「あの人はどこの課の仕事をやっているのか、試合でいつも顔を合わせるけど分からない」というのをよく聞きます。

「それはあると思います。私はよくお節介になれと言っています。絶対にそうであるべきだと思います。今の世の中はお節介が減っているじゃないですか。でもサッカーってお節介がないと成り立たないじゃないですか。あいつがボールを取られるかもしれないとか、こいつが取りにいくかもしれないという時に、周りはどうするんですかというのと一緒です。それこそ六さん違いですが、野村六彦さん、野村の六さんが昔本を書いたじゃないですか。その本の中で『日本の組織はサッカーの組織』だと書いてるんですよね」

 

--そういう意味では元選手というのは、そういうお節介みたいなものはやっぱり上手いですか。

「それは選手だからと言って分からない。今うちにいる3人は上手いですよ。(坂本)紘司は営業部長の時はめちゃめちゃお節介だった。やっぱり、凄いなって思うくらい人が寄ってきますよ、坂本紘司は」

 

――坂本さんは持ってるひとですよ。あの甘いマスクで寄って来るのは女性だけじゃない。

「本当にそうなんですよ。坂本は、本当に負けず嫌いなのに絶対に顔に出さない。でも自分が営業になった以上、何件くらい取れなかったらおかしいじゃんというのが凄いあるんですよ。だから凄く働いている。人間の基本中の基本ですけど、誰かにお会いして、ご馳走になったら御礼のメールを絶対にするわけですよ。当たり前のことだけど、できない人が世の中にはいっぱいいますよね」

 

――たまに選手から「写真くれ」と言われて渡しても、「ありがとう」の一言もないっていう選手もいるんですよ。坂本選手は選手の頃からできた感じだったんでしょうか。

「変わったと思いますよ。もちろん人間のベースは絶対変わってないと思います。『ありがとう』は絶対に言うタイプです。現役当時は絶対もう少し強く見せていました。それは見え方も必要じゃないですか、プロアスリートとして」

 

--特にイケメン選手ほどありがとうって言わない、これは偏見、もしくは嫉妬かもしれませんが(笑)。イケメンでありながらそういうメンタリティを持っているというのがすごいですよね。

「凄いと思う。でもね、自分が坂本と付き合ってきた中で言うと、やっぱり前目のポジションからボランチになった時に変わったような気がしますね。きっかけがあって、タイミングがあって変わったのかなっていう気がします。本当のところはわかりませんが」

 

――坂本さんの、そういう現役時代からの成長や変化を見て、やっぱり彼をフロントに欲しいと思ったのですか。

「いや、そういうわけじゃなくて、大倉(元Jリーガー、2013年湘南のGMに就任、現在いわきスポーツクラブ社長)が決めたんですよね。大倉から『どう思いますか』と聞かれたので、『絶対いいじゃん』って言って。しかも1年やったら部長にしますと言うので、「絶対いいじゃん」と。当時は大倉がGMだったから。選手を辞める時も大倉と話しているから、そういう意味で言うと私が選手に引退を促すとかは中々難しいなと思っていますよ。これは選手と選手の関係であったほうがやっぱりその気持ちが分かるし、僕らが傍から見ていて、そろそろ決断したほうが次の人生いいんじゃないのかなと思って伝えるのと、引退を経験したことのある人間から言われるのとでは全然違うような気がします」

 

――実際にそう感じたことがありましたか。

「いや、ないんですが、島村が引退する時は紘司と2人で凄く話してたようですよ。それはもう納得して、腑に落ちて、2人で泣いたと言ってましたけど。その時に紘司から事前に島村のことを『どうしましょうか』と、坂本は『絶対にクラブに残って欲しい』と。そういうのは選手同士の関係があると思いますけどね。でもあれですね、今回の一連はクラブとか選手が試されていると思いますよ。去年が終わった時に私が言ったんですが、今年はベルマーレの真価が問われる年だと思ったんですよ。去年のことがあったんで。で、こんなことが起きちゃった。でも皆平等に起きていることだから、ウチがどう乗り越えるのかというのはありますね」

後編に続く

後半はこんな話!

・コロナ禍で求められる選手の強さとは?

・去年試された湘南の選手はコロナ禍でも強い?

・アフターコロナはどう乗り切る?

・水谷語録「なるようにしかならない」の意味

 

後編はこちら

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ