デジタルピヴォ! プラス

[特別寄稿]故 北野徹くんのこと。(しながわシティ 岡山孝介監督)

バルドラール浦安シト初代監督時代の岡山孝介コーチ兼強化部長(左から2人目)と北野徹GKコーチ(左端)

 

3年前、1人の著名なフットサルGKコーチが41歳の若さで亡くなった。北野徹さん。日本にまだGKコーチングメソッドらしきものがなかった時代から指導をスタートさせてきた人だ。

入替戦の後、岡山監督と昔話をしている折にたまたま浦安の話が出て、北野さんの話題になった。このことに強く気を引かれたボクは、監督はあまり乗り気ではなかったが、デジタルピヴォ!plusの記事にすることで「みんなに思い出してもらえることのメリット」を中心に説得し、掲載に至ったのだった。

 

Pivo!  2月12日に入替戦でF1昇格を決めた後、3年前の6月1日に41歳の若さで亡くなった戦友であり友人の北野徹さんの墓前に報告をしたそうだが。

岡山  正確には、入替戦の3日後です。
ふとしたときに会いにいきたくなるので、今までも命日とか誕生日とかに限らず、フラッと立ち寄ることが多かったです。
わたしと彼の関係からすると、そういう会い方のほうが、照れがなくて自然なように感じるので、そうしています。

わたしは彼のお葬式には参列していないのです。
いろいろな思いが込み上げてきてしまい…とてもそういう気持ちになれなかったからです。
彼を弔う気持ちこそが大切であると思っているので、自分の気持ちが整理できたタイミングであいさつにいくことにしました

逆に、お葬式とかのときだけでなく、これから先も、彼を忘れずにい続けることのほうが大切なことだと思っています。
今回のインタビューを承諾することにしたのも、みんなに、そういう男がいたことを思い出してほしかったからでもあります。

ちなみに、この日は彼が好きだったハンバーグ屋に立ち寄ったのですが…その店の看板を見る度にわたしは彼を思い出します。
思い出すのが食べ物屋なんて、感動的でも何でもないのですが…それでも、それが彼らしくもあるし、わたしの中で生き続けていることのキッカケになっているので、自分にとっては大切な思い出のひとつです。

Pivo!  3年前といえば岡山くんがF2トルエーラ柏(現しながわシティ)の監督に就任した年だが、そこからスタートした本格F1昇格プロジェクトについて北野さんと語り合ったことは? それに対して北野さんはどんな反応をしていたか。

岡山  トルエーラのことはあまり話していません。
町田時代は練習を見にきてくれたり、会場などでちょくちょく会うことがありましたが、トルエーラに移籍してからは、会う機会は激減していました。
会う度に、「今後、ご飯いこう!」と話していましたが、わたしはシーズン中にあまり人と会ったりしないこともあり、実際にプライベートで会うことはほとんどありませんでした。
今思えば、無理してでも会うべきだったと思っています。

Pivo!  北野さんとはどんな関係だったのか? また、北野さんとの一番の思い出としてどんなことを思い出すか。

岡山  浦安時代は、夫婦のような関係でした。けんかしながらも支え合うような…
実際、わたしが浦安の監督時代は、誰よりも一緒にいたので、本当にいろいろな話をしました。
いつも、チームを、そしてフットサル界をどう前進させていくか、というような話題が多かったように記憶しています。

あとは、くだらない話をして、たくさん笑いましたね。

そんな感じで、特筆すべき思い出というものもないのですが、いつもわたしのことを励ましてくれていました。
あまり芯を食ったことをいわれた覚えはないのですが(笑)、それでも負けた後とかに、「今回は審判が悪かっただけで、次はいけるっしょ!」なんて軽く言ってくれる感じが心地よく、少し明るい気持ちになれたことはよく覚えています。

監督は孤独な職業です。場合によっては、相手チームだけでなく、自らのクラブ、選手、サポーター、すべてに責められることがあります。
そんなときでも彼はいつも一緒にいてくれました。それだけで救われる気持ちになるものなのです。

お墓参りをしたときも、「さすがです! 岡ちゃんならF1も余裕っしょ!」って言われた気がしました。
いいかげんなところも多分にある人間でしたが、人への愛情深さは誰よりもある男でしたね。

Pivo!  北野さんはGKコーチとして一時代を築いた人だが、どんな指導者だったか?

岡山  戦術的な話をしても頼りない答えしか返ってきませんでしたが、GKの話になった途端に語尾が強くなり、それを頼もしく感じていました。
GKトレーニングも、毎回違うものを用意し、テニスボールを使ったりするのも、日本の中では最も早かったのではないかと思います。

また選手への愛情が強く、それが励まし方にもあらわれていました。そこは、指導者にとって、最も重要な部分のひとつなのです。

彼のような、選手への愛情を強く持った指導者が、もっと増えていくことを心から願っています。

そして最後に。北野徹という男が、何もない時代から、フットサル界を支えてきたことを、頭の片隅にでも入れておいていただけるとうれしいです。

2011年のバルドラール浦安を率いる岡山孝介監督と、彼のもとでGKコーチを務めた北野徹さん。

 

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ