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篠崎隆樹(ペスカドーラ町田) 蹴球自分史6 ~高校2年、先生とぶつかる~(2016/12/6)

 

1984.2.22 生まれ 
1991~1996 まつひだいSC
1996~1999 まつひだいクラッキス(現FCクラッキス松戸)
1999~2002 船橋北高校
2002~2003 Santo Andre(BRASIL)
2004~2007 CRAQUES
2007~2008 湘南ベルマーレフットサルクラブ
2008~ ASVペスカドーラ町田

 

サッカー部担当教師の方針に疑

船橋北高校時代のサッカー部の指導者はずっと、金子先生でした。
その方は日本サッカー協会のスタッフでもあって、中学時代に入ってたクラブチーム、まつひだいクラッキスの古川コーチの知り合いということで勧められて決めました。ただ、思った以上に協会の仕事が忙しかったようで、意外に部活に来れる時間が少なかったんです。だから僕らが入った年の3年生とかは自分たちでメニュー決めたりとか。あとは放課後になると協会へ行っちゃうので、先生が学校にいる時間にメニューを聞いて、練習するみたいな感じでしたね。

その金子先生の指導方針で、思い出に残っていることがありますね。
僕らが2年で一番上になったある大会のときに、先生がやっぱりあんまり来なかったんです。今までの歴代の先輩とかは先生のとこ行ってメニュー聞いて行動してたんですけど。でも、キャプテンの僕はちょっとそこに疑問を感じてて。やっぱり毎回の練習見てないし、例えば試合に来るけど、その試合しか見ないわけじゃないですか。どうやって練習してるのかっていうところも多分ほぼ見れてなかったと思ってて。だからなんか、口頭だけで、“これやっとけ”っていわれるのがすごく腑(ふ)に落ちなかったんですね。

ボール使いながら追い込む練習に転換

それで、一回、先生とぶつかり合ったというか。なんか、“お前ら走っとけ”ぐらいの感じだったんで。いや、僕は走るよりもやることがいっぱいあると思うっていう話を先生にいって。で、先生も結構怒って。“じゃ、お前の好き勝手にしろ”と。“その代わり全部メニュー決めて全部やれよ、大会まで”っていわれて。で、その大会までの2か月ぐらいを2人の副キャプテンと授業中にメニュー考えて。

それで、なんかこう、やっぱり、質を上げていこうって話をしながら、いろんなこと試行錯誤して。フィジカルも、ただ走るよりも、ボール使いながら追い込む練習に変えて。対人練習をとにかくやって。

もちろんその時期にやらないといけないことあると思うんで、筋トレとか、フィジカルベースを上げていく練習は絶対必要だったと思うんですよ。協会にいる先生なんで、多分先生のほうが絶対知ってると思うんですけど。ただ、僕的には、やっぱり走るだけじゃ何の意味もないなと。ゲームに使える筋肉だったり、ゲームに使える心肺をつくり上げるほうが、僕はいいって考えだったんで。ただ単にグラウンドをまっすぐに何本も走るよりは、常にいろんな動きを入れながら、やるほうがいいというのが僕の考えでしたね。

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