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湘南・久光重貴「徳島RAPAZの吉岡代表は僕の大親友。前田ヨシさんにFリーグに上げてほしいです」(2014/4/5)

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久光重貴選手は徳島RAPAZの吉岡代表と帝京高校サッカー部の同期だった。

 

▼日本対がん協会の「フットサル大使」に就任

湘南ベルマーレの久光重貴選手が4月1日付けで、日本対がん協会の「フットサル大使」に就任することが発表され た。昨年、右上葉肺腺がんが見つかり、現在も治療を続けながらフットサル選手としてFリーグでプレーしていることは、皆さん、ご存知のとおり。

日本対がん協会 http://www.jcancer.jp/news/4931

一方で、先月のPUMA CUPで現役引退した元日本代表の前田喜史さん(前ペスカドーラ町田)が強化責任者として徳島RAPAZ(四国リーグ)入りしたことが、Fリーガーのセカンドキャリアとして話題になったばかり。しかもその徳島RAPAZの吉岡代表が久光選手と帝京高校サッカー部時代からの大親友だったことが判明した。吉岡代表から徳島RAPAZ強化の相談を受け、強化責任者への就任も要請されたた久光選手だったが、上記のとおり発病したことから断念したという。その久光選手が、Fリーグ入りを目指す徳島RAPAZへのエールを贈る意味で、喜びも苦しみも共にした高校時代のことから、徳島のフットサルの普及に尽力したことなどについて、当サイトの電話インタビューに応えてくれた。

まとめ◆デジタルピヴォ! 山下

 

▼全国リーグなら四国からチームを

 

Pivo! 徳島RAPAZの吉岡代表からチームの強化について最初に相談を受けたのはいつごろか。

久光 確か、6年くらい前ですね。当時、僕がフットサルをやり続けている中で、吉岡から自分のチーム、徳島RAPAZでフットサルクリニックをやってほしいという話がありまして、一度行きました。Fリーグができたばかりのころで、日本の全国リーグであれば四国にチームがあったほうがいいという思いもありまして。吉岡とも話をしながら、フットサルというスポーツはサッカーをする子どもたちにとっても大事だし、徳島という町を盛り上げるスポーツになってくれればうれしいという思いもあって。それから年に1回、向こうに行くようになったんですよ。その中で吉岡とも話をして、自分の選手生活が終わったときに徳島のフットサルの普及活動であったりとか、チームを強くして、で、徳島からFリーグのチームをつくろうという話をもらった中で、年に1回もしくは、神戸でアウエーで試合があった際にクラブ(湘南)にお話をして神戸から近いのでそのまま徳島に入って1日、子どもたちのクリニックをやってました。

Pivo! “選手生活が終わった来てくれないか”という話があったということだが、それは今回の前田さんのような形で来てほしいという話だったのか。

久光 徳島RAPAZはその当時、法人化もしてないですし、クラブとして動きが全くなかった中で、いい方は変ですけど、地域のエンジョイのチームと変わらないようなチームだったので、連絡をとりあう中で、じゃあ、自分自身も徳島に行って何もないところから始めるよりも、選手でこっちでやっていきながら、向こうでクラブの組織的なところを法人化してスクールを立ち上げてっていうところを進めてもらえれば、僕が引退して行ったときに、何もないところからスタートするのとでは全然違うという話をしていて。で、着々と準備をしてもらいながら、何よりもその地域で絶対に負けないチームづくりを目指してもらって。そのうえで徳島という名前で看板を掲げることができれば、いろんな協力者も出てくると思ったので。そのために絶対に負けないチームづくりで、なおかつ、下部組織も少しずつつくりながら活動してほしいということで。ま、いろいろ自分もいろんな方々からアドバイスをいただいて、それを向こうに伝えて、で、今、スクールとしても成り立っている中で、クラブとしても一歩進んだのかなと思っています。

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