森マガ

日本サッカーは英国人にどう見える?…ショーン・キャロルはなぜJリーグを追い続けるのか【サッカー、ときどきごはん】

 

もう何年も前からJリーグの試合で見かけるイングランド人がいる
タイトルがかかったビッグマッチだけではない
どうしてこの試合に来ているのか分からないような
マニアックとも言える試合でも記者席にいる

サッカーを見る視点も独特だ
いろいろな意見に傾聴すべき点がある
こよなく日本と日本サッカーを愛する
ショーン・キャロルに日本サッカーとオススメの店を聞いた

 

■日本に着いてから、急に日本が好きになった

日本に初めて来たときは、日本って絶対に行きたい国というわけじゃなかったね。来たのはそのころの彼女が日本人とのハーフだったから。イングランド大学の学生だったとき付き合い始めて、1年以上経ったときに「夏休みどっか行こう」と相談しながら考えたんです。

そうしたらヨーロッパに1週間行くのと日本に3週間行く費用が変わらなかった。ヨーロッパはホテルや食べ物とかいろいろかかるけど、彼女の家族が東京に住んでいたから実家に泊まってご飯を食べさせてもらえることになったから。

彼女に「同じ値段で日本に行くのはどうか」って言われて、僕は「別にどっちでもいい」と答えたけど、日本に行く前にはなんでかわかんないけど、特に楽しみじゃなかった。ここ行きたいとかこれやりたいとか、あまりなかったから。

僕はアニメとか漫画は全く興味ないし、ゲームもやらない。日本に住んでる外国人はそのケースが多いでしょ。ジブリが好きとか漫画とかアニメが大好き、任天堂もよくやるとか。そういう全体的にオタクと呼ばれるタイプが多いけど、僕は全然そうじゃなかった。

日本料理も多分食べたことなかったと思う。寿司とか蕎麦やラーメンも食べたことなかった。だから「絶対本物のラーメンを食べる」とか「本物の寿司を食べる楽しみ」とかなかった。

けれど日本に着いてから、急に日本が好きになった。全体的に日本の雰囲気とか文化が僕の性格に合うんじゃないかと思う。僕は少し冷静で真面目なタイプ。ある程度ルール守る。ある程度ね。たまに守らないけど(笑)。だから僕の性格は多分日本に合う。それで急に日本好きになりました。2007年の夏。

そのとき彼女の両親は僕がサッカー好きと知ってたから、埼玉スタジアムでヤマザキナビスコカップの浦和レッズ対ガンバ大阪の試合に連れてってくれたんです。そのころ浦和とG大阪はJリーグの中でもいいチームだった。

2005年はG大阪がチャンピオンで2006年は浦和が優勝してて、2006年はG大阪がクラブワールドカップに出てた。2007年の浦和にはまだ小野伸二とか長谷部誠がいたんじゃないかな。

何より思ったよりもサッカーの質が高かった。僕は中田英寿とか中村俊輔ぐらいの、本当に有名な日本人選手しか知らなかったけど、選手のクオリティも思ったより高かったし、スタジアムの雰囲気はすごかった。

それからイングランドとは全然違ってた。試合開始から終了までずっと応援したり、スタジアムに向かってたときにはG大阪のユニフォームを着てる人と浦和のユニフォームの人が同じ車両に乗ってる。イングランドではそれできない。

その1カ月前、彼女とプレミアリーグのチェルシー対マンチェスター・ユナイテッドの試合見に行ってたけど、そのときの体験と全然違ってた。電車降りときには警察が何十人といて普通の人も「マンチェスターファンはこっち」「チェルシーはこっち」とすぐに分けられる。お互いが全然会わないように道路も分かれてる

けれど、埼スタは全然違った。そこで思いましたね。このほうがいいじゃないか。今では最初の印象も少し変わってきて、日本の応援スタイルの弱点も少しわかってきたけど、そのときはそんな光景も印象的だった。

その後は浦和対マンチェスター・ユナイテッドの親善試合も見に行って、まあそれもエンターテインメントとしては楽しかったけど、その浦和vsG大阪は僕が日本サッカーを好きになったきっかけですね。そこから日本と日本サッカーに興味持ちました。

それで一度イングランドに戻って、2008年の1月からは社会人になって働き始めました。勤めたのは出版社で、全然サッカーに関係なかった。心理学だけの大学で使うテキストとかの出版社。内容にあんまり興味なかったし、朝8時半から昼4時半までずっとパソコンの前にいてExcelを使ったりとか、あまり楽しくなかった。

実は働き始める前、僕はこの仕事をずっとするわけないと思ってた。そして日本に行きたいという気持ちが決まりました。まずは1年間だけ。イングランドで少しだけ働いて、できれば2009年から、まずは1年間ワーキングホリデーみたいな感じで日本に行ってやってみようと思った。

 

■外国の出版社は「日本のここは変だよ」みたいな本を売りたがる

僕は1985年、イングランドのブライトン生まれです。ブライトンって日本人は去年まで誰も知らなかったけど、今、三笘薫がブライトンで活躍してるから、薫のおかげで少しだけ有名になったかな。

僕が小さいころ、ブライトンは結構弱かった。3部、4部ぐらい。でも街のチームだからブライトンの試合はよく見に行ってました。ただ毎週じゃないね。

だってイングランドでは男の子って小さいころからほぼ全員サッカーをします。7、8歳からかな。子供のころは土曜日の朝が練習、日曜日の朝は試合。18歳からは練習が火曜日、木曜日の週2回ぐらいで、試合は土曜日になった。

だから週末はサッカーだったけど見るわけじゃなくてやる。楽しかった。今は変わってきてるから女の子もするかもしれないけど。

それに僕はマンチェスター・ユナイテッド・ファンなんだけど、ブライトンはマンチェスターから結構離れてるから、マンチェスター・ユナイテッドの生の試合は年1回、2回ぐらいしか行けなかった。

大人になってもスタジアムでプレミアリーグとか、チャンピオンシップとか生で見ることは少なかった。イングランドの週末はずっと自分でプレーしてたから。

だから僕がサッカーをスタジアムでたくさん見るようになったのは日本なんです。日本に来てから、毎週末、J1、J2たまにJ3とか、Weリーグも見るようになりました。

本格的に日本に来たのは2009年の5月。でもその前の2008年の夏も彼女と一緒に日本に来た。そして2008年からイングランドでイブニングスクールに行って、日本語の勉強を始めました。だから日本に来る前にはもう半年ぐらい日本語を勉強して、挨拶ぐらいは喋れるようになった。

だけど来日したときは日本語すごい下手くそだったね。もう最悪。自分では自信があった。僕は勉強したからなんとかできるんじゃないかって。そしてどれほど下手くそかわからなかった。今そのころのメールを見たり音声ファイルを聞くと、いやあ、恥ずかしいぐらい下手くそだった。

でも、まあいいじゃない? 喋るとき僕はいつも思うけど、日本人は考えすぎ。英語できないとかこれもできないとか考えてる。たとえばカタールに行くと、ブラジル人とかポルトガル人、カタール人、みんな英語で話すけどもちろんペラペラじゃない。だけど、何とか相手が理解できれば十分。

でも多くの日本人はそれやりたくないね。

 

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