東本貢司のFOOTBALL Dungeon

ラグビー観戦の醍醐味を味わう“スコティッシュ”訛り?!

そう、今からきっかり4年前、こんなことを書いていた・・・・・。

根っからのラグビーファンがフットボール(サッカー)をどこか軽んじるような冷めた眼で見ているエピソードは、これまで何度か寄稿文や拙著で触れてきた。さて、今、日本の対南アフリカ勝利に触発されて、おそらく初めてじっくりと、かつ自発的にラグビーの試合を観戦する機会に臨んだサッカーファンは、何をどう感じ取っただろうか。そこであえて問う。物理的身体能力がもろにモノを言うコンタクトプレーやこのスポーツならではの特殊なルールは言わずもがなだが、筆者の知る限り、これまで誰一人として指摘したことのないサッカーとの決定的な違いがあるのだが、さておわかりだろうか。

答えは「レフェリー」にある。つまり、レフェリーに与えられた威厳、権威の差。ここでぜひ胸に手を当てて思い出していただきたい。ラグビーの試合中、一度でもレフェリーの判定にプレーヤーが血相を変えて強硬に抗議する場面があったかどうか。

サッカーでは日常茶飯事の、食ってかからんばかりの執拗な抗議ーーーそれどころか、冷静に何等かの説明を求めるふりすら、ラグビーの世界ではめったにお目にかかれない。いや、もし仮にそんな大胆な真似をしたらどんな処罰が待っているか、もしくはレフェリーがどう対処するか自体、どこかの誰かが口にした記憶がない。俎上にも上がらない。暗黙の了解。あえて恣意的な物言いをするなら、そんな“見苦しい”真似は紳士たる者の名にもとる「恥」なのだ、と。この見解に首をかしげる向きもあろう。ラグビーでは気の弱い人なら多分目くじらを立てそうな、荒っぽい喧嘩まがいのシーンが続発する。筆者の経験で言えば、およそスポーツ精神にもとるような行為も稀ではない。モール、ラックと呼ばれる双方の揃いもそろって重量級のプレーヤーが折り重なった密集状態の中では、暴力と紙一重のアンフェアな行為も“ほぼ許される”!

「ほぼ許される」とは、レフェリーの目が届かなければ、見咎められなければ、という意味だ。しかも、これも経験から、レフェリーも“その程度”を見極めた上で見て見ぬふりをするケースも少なくない。なぜかといえば、それも「紳士の守備範囲」だからだ。ともすれば理不尽でアンフェアな状況すらも「試練」と位置づけ、それを毅然として乗り越えた先の勝利を至高のものとする崇高なる矜持ーーーふーん、それ、ちとカッコつけすぎじゃないのか?かつては誇り高いアマチュアスポーツの象徴だったラグビーも、今やれっきとした職業アスリートの世界。人目を盗んで働く悪意の行為がもとでプロラガー生命を奪われてはたまらない? その通りーーーなのだが、おそらく彼らの“本能”はそれすらも超越している。弱音を吐く、泣き言を言う類には無縁の世界ーーーこれらはその中に飛び込んでみて初めてわかることかもしれない。野蛮なスポーツだと毛嫌いしていたはずの筆者が、ある事情からやむなく見様見真似で取り組む羽目になり、そのうちどっぷりと憑りつかれてしまったように。

フットボール(サッカー)の方は、ある意味でより柔軟だとも言える。レフェリーの威厳に若干の“含み”を感じさせるというべきか、あるいはコミュニケーションの幅認識に余裕があるとでも言っておこうか。彼我の違いと言えば、ラグビーにはより全員参加、およびそれぞれの役割が明確に見えてくるイメージが強いせいか、例えばサッカーでいう「流れを変えるプレー、プレーヤー」は事実上いない、もしくは生まれにくいと言ってもいいだろう。最近こそ「プレーヤー・オヴ・ザ・マッチ」などと表彰する制度ができているようだが、選出された当人は嬉しそうにしながらも実は当惑しきりにも・・・・そう、そんな際立ってその試合で目立った「特定のプレー、プレーヤー」を選ぶということに、まるで後ろめたさのようなものを感じているかのように。その点、サッカーでは往々にして「マッチヒーロー」が躍り出る。ちょうど、この2日間に行われたイングランドのリーグカップで、紛れもなくその称号に値する英雄的プレーを見せた男がいる。リヴァプールのアダム・ボグダン。そこそこのプレミア通でも「えーと・・・・」としばし知識の記憶をたどる必要があるかもしれない。何といって控えキーパーなのだから・・・・

(残り 223文字/全文: 1987文字)

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