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経営者が女子サッカーに惚れる 鳥海由佳選手と株式会社NISHI SATO 横川みどりさん 創設1年NISHI SATOアローレレディース全勝優勝で東京2部昇格の舞台裏

経営者が鳥海由佳選手と女子サッカー新チームに自らを重ねて見えたものとは何か

アローレ八王子スポーツクラブはアローレパークを拠点とし総合型地域スポーツクラブ運営事業を行っています。新たに設立した女子チームは2024年に株式会社NISHI SATOとネーミングライツ契約を締結し、NISHI SATOアローレレディースとして第44回東京都女子サッカーリーグ3部Aブロックに参入。これを全勝優勝し2部昇格を決めました。

株式会社NISHI SATOがネーミングライツパートナーとして応援

チーム一丸となった昇格に大きな力となったのが、立川市で事業を展開する株式会社NISHI SATO 代表取締役の横川みどりさん、そして、日テレベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)や大宮アルディージャVENTUSでプレーした鳥海由佳選手です。

チーム立ち上げ直後から順調な滑り出しに見えたNISHI SATOアローレレディースですが、異例の好スタートの影には人知れぬご苦労がありました。今回は、女子サッカー新チーム立ち上げの苦難、それを上回る夢、そして、大きなやりがいを伝えします。

株式会社NISHI SATO 代表取締役 横川みどりさん

「0から1」を応援したくなる

株式会社NISHI SATOにはたくさんの女性が働いています。大切にしているのは、「人」と「人」とのつながりと「思い」。令和3年度東京ライフワークバランス大賞を受賞する等、その取り組みは地域と行政に広く知られている企業です。 東京都スポーツ推進企業の認定を5年連続で受けています。しかし、横川さんはご自分を「スポーツが苦手で運動会の前日を『雨が降らないかなー』を願って過ごしてきた人間」といいます。なぜ、NISHI SATOアローレレディースを応援することになったのでしょうか。

「アローレ八王子スポーツクラブが女子チームを立ち上げることになり『女性活躍』の活動をしている企業、実績のある経営者を探していました。こちらに来られた営業の人が(アローレ八王子スポーツクラブの)紙本諭代表の人生観みたいなことを語ったのですが、それがすごく面白いと思って興味を持ちました。」

欧州では生活の中にスポーツがあり、プレーする人もプレーしない人もつながる地域コミュニティになっている。それを日本でも実現したいという紙本代表の「思い」に、横川さんは魅力を感じました。また、立川市と八王子は地理的には近いものの、あまり企業交流が多くなく、それでも立川市に営業に来られた点も横川さんは面白いと思いました。そして、何より、女性の置かれた環境を改善したいという「思い」に、そのお話はマッチしました。

「女子サッカーはチームの数が非常に少なくて高校や大学を卒業するとやめてしまう選手が多い。子どもができたら諦めるとか、ライフステージの変化で辞めざるを得ないとか(サッカーに限らず)『女性活躍』の視点で見ると、難しいところがたくさんあります。何とか、いろいろな形でプレーを継続していけるようなチームを創りたいというところが(NISHI SATOアローレレディース)誕生の最初の『思い』ですね。」

株式会社NISHI SATOが大切にしてきた意志を汲み取ったネーミングライツ契約となりました。チーム立ち上げにあたって作成するユニフォームについてはデザイン開発に参加することになりました。ユニフォームはいくつもの色が混じったオーロラカラーになりました。

第44回東京都女子サッカーリーグ3部Aブロックの全勝優勝を決めて記念撮影 写真提供:NISHI SATOアローレレディース

スポーツが企業とタッグを組めば大きな社会活動をできる

株式会社NISHI SATOは1981年に創業。ハンドラベラーやバーコードプリンタの販売を主な事業としてきました。創業者は横川さんのお父様。横川さんは短大卒業後、幼稚園・保育園で務めた後に、この会社で働くようになりました。代表を引き継いだのは2012年からです。

「以前の社屋は三階建てでした。私に子どもができたとき、父に『1階で保育園運営事業をやりたい』と何度か話をしていました。父は『二足の草鞋』は成功しないと言っていたのですが、その後、保育施設の不足が社会問題となっていきました。そこで、2019年に社屋を五階建てに建て直し、保育園運営事業をスタートしました。それまで、会社には50代以上の従業員が多く、会社の先行きに不安があったのですが、保育園運営事業をスタートすると、ハンドラベラー・自動認識ソリューション事業に若い世代が入社してくれるようになりました。平均年齢が10歳以上も下がり、若手が活躍できる職場になっています。

私は『0から1を生み出すこと』が大好きです。以前からあるものにお金をかけることは、お金さえあればいくらでもできるから、あまり魅力を感じないですね。中小企業だからかもしれませんが、これから何かを創造する面白さや、今までなかったことを広げていく活動が好きですよ。」

女子サッカーを通した新しいカタチの女性活躍・地域振興・多様性推進に期待する株式会社NISHI SATO 代表取締役 横川みどりさん

今、横川さんは、スポーツの魅力をどのように捉えているのでしょうか。ネーミングライツ契約をする以前に、その価値に気がついた出来事があったと言います。立川市で活動するバスケットボールチームとフットサルチームの試合観戦に誘われたのです。

「何千人という人の心を動かすことがすごいと思いました。私は『中小企業からニッポンを元気にプロジェクト』のSDGs委員だったのですが、活動に、なかなか人が集まらないことがありました。スポーツが企業とタッグを組めば大きな社会活動をできると思いました。」

横川さんは立川アスレティックFC(Fリーグ ディビジョン1)、立川ダイス(B3)の協力を得てSDGsの活動を進めました。

自分の没頭できるものに時間を使うことを惜しまない

そこに飛び込んできたのが、記事の冒頭で紹介した女子サッカーチーム立ち上げの話です。お父様の事業を引き継いで以来、横川さんは、母として経営者として走り続けてきました。その思いと女子サッカー選手の境遇には重なる部分があったようです。

「私は中小企業の経営者だから、仕事が趣味みたいな感覚になってしまって一日中ずっと何かに取り組んでいる毎日です。自分の没頭できるものに時間を使うことを惜しまない。

女子サッカーの選手は、仕事が終わってから練習して、また、翌日に普通に働いている。すごいと思いました。自分の没頭できるものに時間を使うことを惜しまないという点では、私と似たようなところもあると思います。加登友佳選手は色が白くてかわいいので、私は初めて会ったときに見た目で『サッカーしたことあるの?』と失礼なことを聞いてしまいました。プレーを見たら、とても強い選手です。これまで、生きてきたところは全く違うけど目指す方向性や境遇は、私たち女性の経営者とちょっと似ているところがある気がしています。」

事業と女子サッカーについて熱く語る株式会社NISHI SATO 代表取締役 横川みどりさん

「多摩地域から女性の輝く姿を発信する!」……2024年3月1日、ネーミングライツパートナーの力を得て、NISHI SATOアローレレディースは静かにスタートを切りました。

苦難の末に八王子市に活躍の場を求めた鳥海由佳選手

鳥海由佳選手は身長148センチの小さな選手です。日テレ・メニーナ(現・日テレ・東京ヴェルディメニーナ)から日テレ・ベレーザに昇格した当初は、ユニフォームの袖を余らせるようなシルエットで切れ味鋭いドリブルをしていた姿が印象的でした。

鳥海由佳選手

2024年シーズンはNISHI SATOアローレレディースでプレーしました。全勝優勝の要因を振り返ってもらうと、全く予想外のところから話が始まりました。

「『今のままでは試合ができない状況』からのスタートだったので、正直、選手を集めるのがすごく大変でした。9月のリーグ戦開幕までに11人が揃うのかも心配でした。私は、所属チームの決まっていないインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)出場選手のリストを作って連絡する地道な活動から加入のお誘いを始めましました。

優勝できたのは皆のおかげです。加入した選手が仲間に加入を誘ってくれたり、ブランクのある選手がもう一度プレーするために集まってくれたりしました。人数がギリギリのときに助けてくれた選手もいます。」

2024年8月に加入した加登友佳選手は帝京平成大学を卒業後にプレーから離れていたがNISHI SATOアローレレディースで競技生活に復帰 写真提供:NISHI SATOアローレレディース

「不完全燃焼だけれど、このまま辞めることになるかもしれない」と思った春秋制と秋春制の狭間

鳥海選手のサッカー人生は、順風満帆とはいえませんでした。

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