WE Love 女子サッカーマガジン

北川ひかる選手(I神戸)となでしこジャパンの物語 怪我との戦い「結構ギリギリな状態でした」(無料記事)

パリ五輪で直接フリーキックを決めた北川ひかる選手(I神戸)は、どのように怪我と戦い日の丸を背負ったのか

「見ている方々には何かを伝えたいという思いでいつもプレーしていますし、そこから勇気や感動を感じてもらえるように、これからより頑張っていきたいと思います。」

北川ひかる選手(INAC神戸レオネッサ)が、WE Love 女子サッカーマガジンの取材に応え、こう語ったのは、令和6年能登半島地震の後……ではなく、2022年1月のことでした。北川選手は、常にファン・サポーターに何を提供できるかを模索しているプロフェッショナルです。

北川ひかる選手(I神戸)  Photo by Ke X→@ke780kx5 instagram→@ke_photo410 TOP写真も

「『また』ここで」北川ひかる選手のサッカー人生は怪我との戦いの連続だった

そして、プロ意識に加えてもう一つ、北川選手を語る上で外せないものがあります。それは怪我です。北川選手のサッカー人生は怪我との戦いの連続でした。パリ五輪も膝の怪我で出場が危ぶまれていました。

「『また』ここで(怪我)か……というのは正直ありました。」

パリから帰国し、羽田空港で怪我について質問を受け、北川選手はそのように答えました。「また」という表現から筆者は2つの怪我を思い出しました。

1つ目はFIFA U-17女子ワールドカップ2014コスタリカでの怪我です。北川選手は準決勝まで全試合に出場。チームの大黒柱としてプレーしましたが準決勝で相手選手と激突。ピッチからそのまま病院へ搬送されました。脳しんと診断されたため、決勝に出場することができませんでした。

もう一つの怪我はFPFアルガルベカップ2017。それは、19歳になった北川選手が、なでしこジャパン(日本女子代表)の一員として初めて挑んだ海外遠征です。高倉麻子監督の率いるなでしこジャパン(日本女子代表)が参加した初の国際大会でもありました。しかし、北川選手は、ここで骨折してしまいます。このとき、チームの主将だったのが熊谷紗希選手(ASローマ)。山下杏也加選手、長谷川唯選手(マンチェスター・シティ)、田中美南選手(ユタ・ロイヤルズ)が、北川選手に寄り添いました……そして、パリ五輪でも。

膝を押さえて倒れる北川ひかる選手(I神戸)  Photo by Ke X→@ke780kx5 instagram→@ke_photo410

金沢ゴーゴーカレースタジアムで膝を怪我 復帰しパリ五輪で活躍するまで

今回の怪我はフランスに渡る直前の出来事。2024年7月13日に金沢ゴーゴーカレースタジアムで行われたMS&ADカップ2024 ~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~のアディショナルタイムでした。対戦相手のガーナ女子代表は退場で1人少ない10人。しっかりと、長いアディショナルタイムをとったことで起こったアクシデントでした。

「結構ギリギリな状態でした。連れて行ってもらえるとわかってちょっと安心しましたけれど、治る見込みはやっていかないとわからなかった。先が見えないときもありました。」

全日程を終え、フランスから帰国した羽田空港で、その時を振り返る北川選手は込み上げる涙を堪えました。

パリ五輪において、北川選手はファン・サポーターの希望でした。日本の切り札でした。今回は「北川ひかる選手となでしこジャパンのパリ五輪」を振り返ります。

北川ひかる選手(I神戸)  Photo by Ke X→@ke780kx5 instagram→@ke_photo410

期待されていたけれど活躍できなかった高倉麻子監督時代

骨折したFPFアルガルベカップ2017から5ヶ月が経過。北川選手は再びなでしこジャパン(日本女子代表)に招集されアメリカで開催された2017トーナメント・オブ・ネーションズで3試合に出場しました。しかし、思ったようにプレーすることができませんでした。

世界の舞台を目指しアルビレックス新潟レディースに移籍

それから、しばらくの間、北川選手はなでしこジャパン(日本女子代表)で活躍する機会を得ることはできませんでした。世界基準のトレーニングを意識。自分と向き合いながら考え悩み続けました。その結果、翌夏に浦和レッズレディース(現・三菱重工浦和レッズレディース)からアルビレックス新潟レディースへ移籍を決断しました。

池田太監督が就任直後に招集したことが2年半後につながる

2021年10月に池田太さんがなでしこジャパン(日本女子代表)の監督に就任。就任直後のなでしこジャパン(日本女子代表)候補 トレーニングキャンプに北川選手を招集しました。翌年、2022年7月に開催されたEAFF E1サッカー選手権2022決勝大会で池田監督は北川選手を起用。しかし、ここからしばらく召集されることはありませんでした。

どうしても世界と戦いたい……北川選手はWE Love 女子サッカーマガジンに胸中を明かしていました。

「もちろん、メンバーに選ばれて国際大会に出場したいという思いがあります。けれども、個のレベルアップがまだまだこれからだとも思っています。自分がやれることをもっとやり、チームが勝ち続けて結果を出して(代表監督に)認められれば、選出されると思っています。今は、日々のトレーニングから地道に工夫して、しっかりと積み重ねて、自信を持って代表に行ける選手になりたいです。絶対に自分は選ばれるという思いを持てるくらいになって選ばれたいです。」

再び移籍しINAC神戸レオネッサへ

北川選手は全力でプレーを続けました。再び、厳しい環境に身を置く決断をし、2023年夏にINAC神戸レオネッサへ移籍します。スペイン流の対人守備を導入したジョルディ・フェロン監督により、一対一の守備力も高めていきます。INAC神戸レオネッサでの経験について「運動量の面で自分自身に自信が持てた」と語っています。池田監督から、なかなか声はかからない。しかし、国際舞台への復帰を目指していました。

地元・石川県を襲った令和6年能登半島地震

2024年1月1日、16時10分に大きな揺れが能登半島を襲いました。令和6年能登半島地震の発生です。その日、北川選手は出身地の金沢市にいました。そして1ヶ月後、WEリーグがウインターブレイクに入った期間を利用し、父の仕事を手伝うために能登半島を訪れました。取材に対し「本当に悲惨だった」と、目に焼き付けた光景を語り「地元にパワーを送るためのプレー」を誓いました。

パリ五輪出場を賭けた大一番でなでしこジャパン(日本女子代表)に復帰

長期に渡り努力する日々が続きました。そして、思いが実る日は突然に訪れました。朝鮮民主主義人民共和国(DPR KOREA)女子代表との大一番で、 なでしこジャパン(日本女子代表)に復帰。試合に出場することになったのです。最後の出場から、なんと3年近くを要しました。

朝鮮民主主義人民共和国(DPR KOREA)女子代表戦の1週間前に緊急招集

2024年2月17日、北川選手はなでしこジャパン(日本女子代表)に合流しました。2月24日に第1戦、2月28日に第2戦が行われる女子オリンピック サッカートーナメント パリ 2024最終予選の直前、すでに始まっていたトレーニング合宿への途中合流でした。同じ左利きの遠藤純選手(エンジェル・シティ)が帰国直前に怪我をしてしまったのです。

池田監督が就任直後の2021年、チームのコンセプトを固める段階でトレーニングに参加して得ていた経験が北川選手の運命を変えました。

取材陣の多くもノーマークだった第2戦での出場

女子オリンピック サッカートーナメント パリ 2024最終予選を勝利しなければパリ五輪の出場権を獲得することはできません。第1戦のアウェイゲーム(サウジアラビアで開催)は守備を重視。4バックを採用し左サイドに古賀塔子選手(フェイエノールト)が起用されました。北川選手は出番なくベンチ。

女子オリンピック サッカートーナメント パリ 2024最終予選 第2戦 前日練習

第2戦の開催地は国立競技場。前日練習を終え、ミックスゾーンで取材陣が北川選手を囲む場面はありませんでした。わずかに数人が北川選手の話を聞きました。 

「自分が出場したときに何をできるか考えながら(第1戦を)見ていましたし。もっと攻撃的に縦に差し込むところが自分の特徴なので、それは出そうと思っていました。第2戦に出場する機会があれば、そういった攻撃的な部分を積極的にやっていきたいと思います。

合わせる時間が少なく、今できることが限られていますが、代表というのはそういう場ですしそれはしょうがない。(呼ばれたのは)初めてではないですし、知っている選手も多いので、(合わせるための)コミュニケーションのとりやすさはあると思います。」

出場を予想したメディアは多くなかったかもしれません。しかし、実は、このとき、すでに第2戦で起用されることが本人に告げられていました。

得点に絡む大活躍で注目選手の一人となる

池田監督は第1戦でスカウティングし、朝鮮民主主義人民共和国(DPR KOREA)女子代表のやり方を短時間に分析した上で第2戦は3バックを採用。ワイドのポジションで北川選手を起用しました。ファン・サポーターは北川選手を大きな声援でピッチに迎え入れました。先制点は北川選手のフリーキックから高橋はな選手(三菱重工浦和レッズレディース)のシュート。2万人を超える大観衆の集まった国立競技場は絶叫に包まれました。

女子オリンピック サッカートーナメント パリ 2024最終予選 第2戦  Photo by Ke X→@ke780kx5 instagram→@ke_photo410

試合を終えると、北川選手の周囲は、前日と全く異なる状況になっていました。試合後のミックスゾーンで、たくさんの取材陣が北川選手を囲みました。矢継ぎ早に飛んでくる質問に、北川選手は一つひとつ答えました。

「まずは使ってくれた監督に感謝したいです。長い道のりでたが、計画的にやってきました。これから、より勝負になると思っています。遠回りしたかもしれないですけど、アルビ(アルビレックス新潟レディース)に行ったとき、INAC(INAC神戸レオネッサ)に移籍して、自分がやるべきことを学びながら成長してきました。それが今、生きていると思います。」

常に自分にとってベストな環境を選び、たゆまぬ努力を続けてきた北川選手が、パリ行きに名乗りを上げました。

(2024年8月7日 石井和裕)

ここまでが前半です。この続きは、こちらでお楽しみください。

北川ひかる選手(I神戸)とパリ五輪の物語 決死の覚悟で幾多の試練を乗り越えた日々

過去の北川ひかる選手記事

自信を持って代表に行ける選手になりたい WEリーグ後半戦での巻き返しを誓う北川ひかる選手(新潟L)

なでしこジャパン(日本女子代表)前日練習写真25点 左の切り札・北川ひかる選手(I神戸)投入は? 長谷川唯選手(マンチェスター・シティ)は東京ヴェルディ開幕戦のような国立競技場の雰囲気に期待(無料記事) 

苦労が報われるなでしこジャパン 選手の進言と監督の決断でパリ行きを決めた 

手のひらとハートを散りばめた点字シャツ発売 ヒュンメルがINAC神戸レオネッサと視覚障がい者支援を実施(無料)

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ