WE Love 女子サッカーマガジン

引退・鮫島彩選手(大宮V) 女子サッカー激動の時代に「際(きわ)」を歩んだプリンセス 

マリーゼで幕を上げVENTUSで幕を下ろす鮫島彩選手が歩いた道 

筆者が初めて鮫島彩選手のプレーを見たのは2006年5月28日。左サイドをドリブルで駆け上がる姿と東京電力女子サッカー部マリーゼのサポーターから湧き上がる大歓声を今も鮮明に覚えています。当時、鮫島選手は常盤木学園高校を卒業したばかり。対戦相手は、なでしこリーグ1部に初昇格したばかりのINAC神戸レオネッサ。東京電力女子サッカー部マリーゼもYKK東北女子サッカー部フラッパーズから移管2年目で、全てがフレッシュな対戦でした。左のミッドフィルダーで出場した鮫島選手はチーム最多・3本のシュートを放ちました。 

2023−24 WEリーグ最終節が最後の試合に 

鮫島選手が引退を表明し大宮アルディージャVENTUSを通してコメントを発表しました。 

「自分が想像していたよりも遥かに、学びの多い、素晴らしいサッカー人生を送ることができました。」 

2024年5月25日(金)に開催される2023−24 WEリーグ最終節が女子プロサッカー選手として最後の舞台となります。試合後に行われる記者会見で、何を語るのかに注目が集まります。 

コラムの作成において、東京電力女子サッカー部マリーゼを応援されていた生田目陽一さん、青木アキヒロさんに助言をいただきました。ありがとうございました。 

鮫島彩選手は日本の女子サッカーを牽引する存在 写真提供:WEリーグ TOP写真も

日本、アメリカ、フランスで活躍 

鮫島選手は女子サッカー激動の時代に現れたプリンセスでした。女子サッカー史の「際(きわ)」を歩み続けました。 

東京電力女子サッカー部マリーゼは東日本大震災により休部。移籍したボストン・ブレイカーズはアメリカ女子プロサッカーリーグ・WPSが休止したためにチームの活動を停止。すると、フランス女子プロサッカーリーグ・D1のモンペリエHSCに移籍。ちょうどこの年、オリンピック・リヨンがUEFA女子チャンピオンズリーグを初制覇。ここから8度の優勝を達成していく時代の転換期です。世界の女子サッカーの主導権はアメリカから欧州に移っていきます。 

福島県のメディアは鮫島彩選手を大きく扱った グッズ提供:青木アキヒロさん

帰国後も常に話題の中心に 

東京電力女子サッカー部マリーゼのチームメイトの大半が新設されたベガルタ仙台レディースに移籍すると鮫島選手も帰国し移籍。今のマイナビ仙台レディースへの系譜をつなぎました。2015年にINAC神戸レオネッサへ移籍。澤穂希さんをはじめ、当時のスター軍団の仲間入り。鮫島選手が加入すると、INAC神戸レオネッサは3千243人だったレギュラーシーズンの平均入場者数を4千782人にまで戻しました(年間最多はFIFA女子ワールドカップ ドイツ2011優勝直後・2011年の8千871人) 

WEリーグの設立が発表されると、新チーム・大宮アルディージャVENTUSに移籍。大宮で日本の女子サッカー史に新たなページを刻みました。  

社会人プレーヤーとしての起点となった福島県 

鮫島選手が社会人として最初に所属した東京電力女子サッカー部マリーゼは、日本の女子サッカー史において、最後に輝いた企業チームでした。「鮫島彩・丸山桂里奈の二枚看板」を揃え、東京電力の部活動でありながら多くのファン・サポーターを集めました。 

(残り 1418文字/全文: 2933文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ