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フクアリ周辺に固いプリンと幻の絶品カツ丼のあるカフェ 「川崎町」から川崎製鉄の痕跡を探す #女子サカ旅

ジェフユナイテッド市原・千葉レディースのホームスタジアム。フクダ電子アリーナの住所は「千葉県千葉市中央区川崎町1−20」です。千葉なのに川崎なのはなぜでしょう。実は、この場所が、以前は川崎製鉄(現・J E Fスチール)の敷地だったことに由来しているのです。蘇我駅前に設置された地図を見ると川崎町が広大な面積だということがわかります。

蘇我駅前に設置された地図

今回の #女子サカ旅 は、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの試合観戦のついでに、フクダ電子アリーナの周辺で川崎製鉄の痕跡を探します。そして、かつては製鉄所の皆さんや取引先のサラリーマンに大人気だったという絶品カツ丼の店の跡が、この辺りにあるという噂。しかも、今はカフェだとか。そのお店も探してみます。

フクダ電子アリーナ付近から見える景色

川崎町という地名は全国に点在します。愛知県半田市の川崎町は蘇我の川崎町と同じく川崎製鉄に由来し、兵庫県明石市、岐阜県各務原市、香川県坂出市の川崎町は川崎重工業に由来します。筆者の記憶によれば、かつての川崎製鉄(現・J E Fスチール)の入り口は、国道357号線にある陸橋のあたりにありました。そして、入り口から奥の製鉄工場の建物までは広大な空き地が広がっていました。なぜ、そのようなことを覚えているかというと、川崎製鉄の入り口を通り敷地に入り、その空き地で川崎製鉄の商品説明ビデオ(動画)を撮影したことがあるからです。

バス停「J F E前」

不思議な場所にある「J F E前」バス停

蘇我駅から、少し脇に流れて裏道を歩くとバス停を見つけました。その道は今でこそ裏道ですが、かつてはメインストリートだった房総往還です。バス停には「J F E前」と書かれています。「J EF前」ではありませんから、どうやら、かつて、この辺りは川崎製鉄の入り口前だったようです。バス停の横には「ゆたかストア」の建物があります。もしかすると、ここは川崎製鉄(現・J E Fスチール)の門前にあたる一等地だったのかもしれません。現在のJ E Fスチール正門はフクダ電子アリーナの前を右折しハーバーシティ通りを北側に進むと左側にあります。川崎さくら広場公園の前です。「ゆたかストア」から500メートルくらい進んだ海側です。その間にはユニクロ、牛角、くら寿司等があります。「J F E前」バス停の位置は、今の正門から手前すぎる印象です。やはり、陸橋のあたりに、かつては川崎製鉄の入り口があったのではないか……。この辺りから痕跡を探索することにします。

ゆたかストア

かつては万数千人が働いていた川崎製鉄の千葉製鉄所

では、ここで川崎製鉄の千葉製鉄所について確認しておきましょう。戦後ほどなく、千葉県と千葉市による誘致活動が行われ、川崎製鉄は1951年に千葉製鉄所(現・J E Fスチール東日本製鉄所)を開設。1953年に第一高炉の操業を開始しました。最盛期には勤務する人は万数千人、家族を合わせると約5万人が、川崎製鉄に関連する人だったそうです。時は高度経済成長期。漁業中心だった地域の産業構造が激変しました。現在、操業を続けるのは第6高炉のみ。フクダ電子アリーナが完成した当時は、すでに第高炉の解体作業が進んでおり、試合中に、突然、大きな音と振動がメインスタンドに伝わってくることがありました。今はもう、世界最大級といわれた第高炉の姿はありません。その歩みはフクダ電子アリーナから徒歩5分ほどの場所にある「西山彌太郎・千葉歴史記念館」で見ることができます。

フクダ電子アリーナと隣接するJ E Fスチールの敷地

かつて、筆者が撮影した広大な空き地は、工場が沖合い埋立地区への移転したために生じた大規模な工場跡地です。この工場跡地を千葉市は有効活用し、新たな都市としての再生を目指して都市基盤施設等の整備を進めてきました。その一つがフクダ電子アリーナであり、ジェフユナイテッド市原・千葉の練習場・ユナイテッドパークです。

蘇我特定地区 千葉市の資料より

コンクリートの壁沿いを探すと川崎製鉄の入り口があった

さて、かつて筆者が通った川崎製鉄の入り口はどこにあるのでしょうか。探して見ましょう。国道357号線にある陸橋から見下ろすと川崎町の周囲にはコンクリートの壁があるようです。この壁は川崎製鉄の敷地と道路を隔てる壁だったようです。陸橋を渡り、すぐ下の壁を観察しますが、ここに入り口の痕跡は見つかりません。そこで、壁沿いに国道357号線を歩いてみます。ユニクロの看板のある北側に向かいます。

国道357号線に並行して続くコンクリートの壁

ハーバーシティ蘇我の街区の一つとなるベイフロント蘇我の敷地内にあるくら寿司の看板の横に駐車場の入り口があります。コンクリートの壁は途切れ、そこには、大きな金属製の門のような構造があることがわかります。よく見ると、かつての道は左右にあり右側だけが金属製の門で閉じられたままになっていることがわかります。ここでした。川崎製鉄の入り口は、今の蘇我駅から真っ直ぐに伸びる道の延長線上ではなく、少し北側にあったのです。かつて、筆者は、ここから川崎製鐵の敷地に入ったのでした。

そして、国道357号線を挟んでくら寿司の反対側にあるのが「ゆたかストア」の建物。調べてみると、国道357号線は川崎製鉄の創業よりも、かなり後に開通しています。先ほど見た「J F E前」バス停は、まさに川崎製鉄の入り口の目の前にあったバス停だったことがわかります。

コンクリートの壁が途切れる場所

左右の道の中央には「川崎製鐵株式會社千葉製鐵所」と形作られたレリーフが残されています。この土地の重厚な歴史を感じます。多くの人が、この入り口を通って通勤していたのです。

川崎製鉄の入り口跡

白壁のフレンチ・カフェに置かれた七味の缶、食堂「かつ梅」の痕跡は白いフランス風の一軒家にあった

川崎製鉄の痕跡を探していたら、入り口と蘇我の街が今より少し北側にあったことに気がつきました。フクダ電子アリーナの誕生と共にショッピングセンターが誕生し、道が広がり、街は少し南側に重心を動かしたのです。次に、もう一つの痕跡を探してみましょう。食堂「かつ梅」の痕跡です。食堂「かつ梅」は、グルメの達人をも唸らせる絶品カツ丼の店として広く知られていました。昼の営業時間は平日の11時30分から13時までの90分間。昼のメニューはカツ丼のみ。連日、満席で行列ができていたため、食べることができた人は少なく、食通から幻のカツ丼と呼ばれていました。そして、惜しまれながら2016年に閉店してしまいました。食堂「かつ梅」の痕跡も、また、蘇我駅から少し北側にあったと語り継がれています。

カフェ・ル・プランタン

立派な門を構える福正寺の斜め前に、その痕跡はありました。鮮やかな花々が飾られた白いフランス風の一軒家。テラス席もあるフレンチ・カフェです。カフェ・ル・プランタンといいます。優雅な雰囲気が漂います。入ってみると、そのヨーロピアンな内外装には似つかわしくないものが置いてありました。七味です。

カフェ・ル・プランタン店内のテーブルに置かれた七味の缶

実は、このカフェの建物は食堂「かつ梅」の痕跡。跡地に建てられています。

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