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ウズベキスタン女子代表監督 本田美登里さん パリ五輪一次予選を3連勝・19得点0失点で1位突破 その原動力とプロのこだわり

ウズベキスタン女子代表が快進撃を続けています。パリオリンピック出場を目指し一次予選A組3試合を3連勝。19得点0失点で1位突破しました。10月23日(月)から10月31日(火)まで開催される2次予選(会場未定)では、なでしこジャパン(日本女子代表)と対戦する可能性があります。

今回は、ウズベキスタン女子代表を変えた本田美登里監督についてお伝えします。本田監督は、中央アジアの地で、どのように、チームを束ねていったのでしょうか。そして、なぜ、本田さんの指導に魅力を感じる人たちが支援の手を差し伸べるのでしょうか。本田さんのお話に、関係者の証言を加えてご紹介します。 

世界レベルの選手を育てた日本の女子サッカーのトップランナー 

本田監督は、どのような人なのでしょうか。まず、初めにお話をお聞きしたのはノジマステラ神奈川相模原でプレーする藤原加奈選手です。藤原選手は、静岡SSUボニータ(当時・静岡SSUアスレジーナ)に所属していた際に本田監督の指導を受け才能を開花させました。現在はWEリーグで活躍中です。本田監督の印象をこのように話しています。

「サッカーの面白さ、奥深さ、自分に期待すること、そして自分を信じることの大切さを教えてくれました!本田さんのこだわって追及していく姿勢や、指導者としてチャレンジしている姿は選手としてもすごく刺激になりました。私がノジマへ移籍する決断をしたときも不安はありましたが、本田さんのチャレンジする前向きな姿勢に刺激を受け、移籍を決断するつのきっかけになりました!」

藤原加奈選手(N相模原)

皆さんは、本田監督について、どのようなイメージをお持ちでしょうか。テレビ東京『F O O T×B R A I N』に出演した際の温和な表情を思い出す方、厳しい指導を連想する方、古い関係者の中には日本女子代表として活躍していた頃を思い出す方もいるかもしれません。

本田監督は、選手として清水第八スポーツクラブでプレーし、皇后杯 JFA全日本女子サッカー選手権大会の第2回大会(1980年)から第5回大会までの四連覇に貢献しました(清水第八スポーツクラブはその後も優勝を続け七連覇)。1985年からは読売ベレーザに移籍し活躍。日本女子代表初の国際試合出場となったアジア女子選手権香港1981(現・A F C女子アジアカップ)、FIFA女子ワールドカップ中国1991(当時は第1回女子世界選手権中国大会と呼ばれた)のメンバーでもあります。

本田美登里監督

指導者としては、岡山湯郷Belleにチーム立ち上げから関わり強豪チームに育てたことで知られます。本田監督の指導で育った宮間あや選手、横山久美選手が世界的なプレーヤーになりました。そして、チャレンジリーグで戦っていたAC長野パルセイロ・レディースの監督に就任すると、これをなでしこリーグ1部昇格に導きました。さらには、2016プレナスなでしこリーグ1部で平均入場者数が3千647人を記録しAC長野パルセイロ・レディースをリーグで一番の人気チームにまで育てました。女性指導者としては初となる日本サッカー協会公認 S級コーチライセンスを取得した女子サッカー界のトップランナーです。

ウズベキスタン女子代表のトレーニング会場となるタシケント州立交通大学グラウンド

集合時間に来たのは3人……から始まった強化合宿

本田監督が日本サッカー協会の国際交流・アジア貢献活動の一環としてウズベキスタン女子代表監督に就任したのは2022年1月。ゴールキーパーコーチの堤喬也さんと一緒にタシケントに向かいました。就任した当初は驚くことが多かったと言います。戸惑いの始まりはトルコ遠征でした。

1月の終わりに赴任し、2月中旬にトルコ遠征がありました。集合時間に来たのは3人。あと20人くらいは集合時間までに来ませんでした。レストランに行くときにスリッパで来るのも普通……まずディシプリン(規律)のところで驚きました。」

その2ヶ月後には、世界最強の米国女子代表と2試合の対戦するため米国遠征を行いました。結果は1−9、0−9の連敗。13日に対戦した第2戦はキックオフから26秒でオウンゴールによる失点を喫したところから始まりアシュリー・サンチェス選手の90分の得点まで、ウズベキスタン女子代表は良いところを出すことができませんでした。2試合を通じて放ったシュートはわずかに1本でした。遠征前には「米国に勝つ」と息巻いていた選手たちは衝撃を受け、初めて世界を知りました。

本田監督はウズベキスタンの女子サッカー界でレジェンドとされている主力選手を代表チームから外していました。ディシプリン(規律)を守れなかったからです。米国遠征のメンバーにも加えていません。ウズベキスタンサッカー協会からは「なぜあのレジェンドを外すのだ」とクレームを入れられることになりました。それでも本田監督は考えを曲げません。しばらくすると、外された選手は態度を改めました。

「『本田さんに逆らうと代表から外されちゃう』と、怖さが浸透したのだと思います(笑)。」

本田監督は97日から14日まで行った日本遠征で、再び、その選手を代表召集しました。ウズベキスタン女子代表は、ジェフ千葉レディース、吉備国際大学Charme岡山高梁、INAC神戸レオネッサとトレーニングマッチを行い、すべての選手が貴重な経験を積み上げました。同じアジアでもウズベキスタンとは異なる充実した施設、トレーニング方法やボディケア方法を体験しました。

大きなポテンシャルを感じるウズベキスタンの女子サッカー選手たち

苦労していた選手とのコミュニケーションに手応えを感じるきっかけは、やはりライバルチームからの勝利でした。ウズベキスタン女子代表はC A F A(中央アジアサッカー協会)女子選手権を優勝しました。参加したのはウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、イランの女子代表チーム。ウズベキスタン女子代表は、双方が無失点の全勝同士で迎えた最終節で宿敵・イラン女子代表戦を1−0で下しました。


「いつも、イラン女子代表とは勝ったり負けたりという実力だったのですが、今回はイラン女子代表を完全にハーフコートに押し込んだ状態で勝つことができました。この大会に優勝した頃から、選手たちが『こういうことなんだな』と理解して、お互いにフィットし始めたと思います。」

首都・タシケントの地下鉄

では、肝心のサッカーの面では、どのようなトレーニングをしたのでしょうか。

「ウズベキスタン女子代表のレベルはなでしこリーグ1部の中位くらいのイメージです。まだまだサッカーの奥深さを知らない選手たちが多い中で、パリオリンピックの予選を突破しなければいけないので、ゴール前のバイタルエリアの崩しを徹底してやりました。ダイレクトプレーというと聞こえが良いのですが、手数をかけなさすぎだという部分があったので、ロングボールであってもショートパスであっても、味方にしっかりパスを出すところをやりました。これからは守備を教えながらやっていきます。ウズベキスタンは中央アジアなので、ロシア系の選手、トルコ系の選手、韓国系の選手がいたりして、身体能力のものすごいポテンシャルを持っています。磨きをかければかけるだけ素晴らしいものが生まれます。」

きめ細やかな配慮が選手のモチベーションを向上する

J I C A青年海外協力隊ウズベキスタン隊員でサマルカンド観光案内所スタッフの伊藤卓巳さんは本田監督の通訳を務めました。本田監督と選手との間に信頼感を感じたと言います。

「私はウズベキスタン女子代表ボランティア通訳として、2022年6月頃から4か月ほど本田監督と堤ゴールキーパーコーチと一緒にお仕事させていただきました。本田監督はご自身のインタビューにもある通り、規律を守ったりプロとしての意識を身につけたりすることについては本当に厳格でした。

それは選手だけでなく私たちスタッフに対しても同様で、通訳経験がなかった私も最初は何度も怒られました。ただプロとして恥ずかしくない振舞いをしてほしい、それが結果に繋がるからという真意が伝っていたからか、私がチームに入った頃には選手もスタッフも監督を信頼し、ピッチ内でもピッチ外でも指導にしっかり耳を傾けるようになっていました。

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