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全国紙の支局が女子サッカーを記事化する意味 アンジュヴィオレ広島連載22回で毎日新聞が後世に残す「街の歴史」

Top写真提供:佐藤幹彦さん

「女子サッカーの国内最高峰・なでしこリーグを目指す県内チームとして、2012年に結成された『アンジュヴィオレ広島』が、今季限りで解散する。フランス語で『紫の天使』を意味するチーム名を持って生まれ、なでしこ1部リーグ昇格の夢を実現させた。16日にリーグ最終戦を終え、残す公式戦は皇后杯(11月26日開幕)のみ。天使たちが広島にもたらしたもの、その羽を折ったものはなんだったのか。歴史を振り返りながら考えたい。」

そんな一文から始まる毎日新聞広島支局の『連載 天使たちの軌跡』(https://mainichi.jp/hiroshima/angeviolet/)は、女子サッカーの連載記事としては異例の長さとなりました。第1回は2022年10月21日に掲載。翌々月の12月18日に完結。その掲載回数は22を数えました。

チームの母体となる特定非営利活動法人広島横川スポーツ・カルチャークラブは横川地区の有志を中心に2011年に発足。街おこしを目的としたNPO法人です。スポーツやアートなどを通じて街を活性化することを目指していました。その手段の一つがアンジュヴィオレ広島だったのです。2011年といえば、なでしこジャパン(日本女子代表)が世界の頂点に立ち、日本中がなでしこブームの真っ只中にいました。

横川地区のシンボルは大きな屋根が特徴の横川駅です。J R 山陽本線(東西方面) J R 可部線(北部方面)との乗換駅。また、路面電車と路線バスが集中する交通結節点です。読者の中には、エディオンスタジアム広島や広島広域公園第一球技場に行くために横川駅前から直行シャトルバスを利用された方も多いと思います。2019年の1日平均の乗降客数(広場全体)は約3万4000人。これは同じ県内の福山駅よりも多く、広島県内で横川駅を上回る規模の駅は広島駅しかありません。駅の周辺には商店街、飲み屋街。街角に壁画があり、住宅の近くに工場もある。賑やかな繁華街ながらも泥臭さを残した人情味あふれる街です。東京に例えれば、蒲田が近い雰囲気かもしれません。そんな街でアンジュヴィオレ広島は生まれました。

アンジュヴィオレ広島サポーターから愛されるお好み焼き 得 写真提供:佐藤幹彦さん

なぜ連載は22回にも及んだのか

今回は、この連載を担当した毎日新聞広島支局の矢追健介さんにお話をお聞きしました。なぜ22回もの長期連載になったのでしょうか。そして、どのような気持ちで取材を続けたのでしょうか。なぜ、あそこまで書けたのでしょうか。連載終了後、あるサポーターが矢追さんに声をかけたそうです。

「なでしこリーグ1部は22節までですよ。ちょうど同じだね。」

広電(広島電鉄)の走る街で 毎日新聞広島支局 矢追健介さん 提供:矢追健介さん

アンジュヴィオレ広島の最後のシーズンは2022プレナスなでしこリーグ1部を連載の数と同じ試合数22で終え勝ち点11の最下位が最終成績。年末の皇后杯第44回JFA全日本女子サッカー選手権大会は準々決勝の試合会場となる広島広域公園第一球技場を目指しましたが2回戦で敗退。広島県の女子サッカーのトップランナーとして10年間(法人立ち上げから11年)を走り抜けてきたアンジュヴィオレ広島のチームとしての活動は2022年の終了と共に静かに歴史を閉じました。

広電(広島電鉄)で運行されていた「アンジュヴィオレ電車」 提供:佐藤幹彦さん

「街の挑戦」を記録する

矢追アンジュヴィオレ広島は良いチーム、面白いチーム。楽しい街づくりの歴史をきちんと記録したいと思いました。読んだ人が「自分たちもやってみよう」と思っていただくきっかけになればと思います。最初から連載回数が22回となるとわかっていたら数え方は「回」ではなく「節」にしたかな(笑)。いずれにしても、サッカーの神様が書かせてくれた連載です。 

連載を読んで「横川の街に魅力があるから生まれたチーム」だと思いました。

矢追間違いないですね。あのチームの良さは「地元」にあります。横川の人たちと一緒にいると楽しいし「次はこんなことをやるんだ」と聞くと、もう少し近くで見ていたいと思えてきます。参加したい気持ちにもなります。「その気にさせる街」だと思います。


今と昔が交錯し、多種多様なイベントが開催されている横川の街 提供:佐藤幹彦さん

矢追「街の挑戦」としてアンジュヴィオレ広島の歴史を取り上げました。最初のうちは「地域の女子チームが生まれ、消滅する」ということを取材すれば全国版に記事が載るかもしれないと思っていたのですが、一度、1本の記事を書いてみると内容がスカスカで取材が甘いと自分でも感じました。さすがに1回の記事で書くには、チームが歩んだ10年間は長すぎます。そこで、長めに取材をして流れを連載してみようと思いました。

10年間をリアルタイムで経験された記者が書いた記事のよう見えてしまいますが、実は、後から振り返って取材をした記事なのですね。

矢追チームが誕生した頃のことは、当時の新聞を読んだり記録を確認したりして把握し、それから取材を始めました。当初は「10年間だから10回の連載かな」と考えていたのですが、第4回で、まだチーム立ち上げ初年度の話から抜けられません。これはヤバい、絶対に10回では無理だと思いました。

取材するうちに街と地域の歴史を後世に残したいと思うようになりました。このような挑戦をしている商店街と地域は、全国を見渡しても他に見つかりません。これを記録しておいかなければ……という思いに頭が切り替わってしまいました。取材を進めると、残しておきたい話が多すぎて、どんどんと連載が長くなっていきます。連載が進んでいくと解散、存続……どうしても1年1回では書けませんでした。とにかく、書けることは全てを丁寧に書こうと思いました。

横川くろすろーど(商店街)には会話が弾む飲食店がある 写真提供:佐藤幹彦さん

一般の読者が「記者」と聞けば、「スクープ」や「大きな記事」を目指しているイメージを持つと思うのですが、実は支局の記者には、地域の歴史を記録する使命のようなものがあるのでしょうか?

矢追あると思います。毎日新聞には「人々の挑戦」「想いや情熱」を記事にしようと考える記者が多い気がします。市井の人々の頑張りがあっての生活文化だと思います。その記録です。上司からも「面白い」と褒めてもらいましたし、自由に取材させてもらえたことに感謝しています。

女子サッカーチームに関する連載ですが「少子高齢化」「街づくり」「人々のやりがい」……いろいろな切り口から地域のあり方が盛り込まれています。一般紙として幅広くニュースを追いかけてこられた記者が取材したからこそ成立した記事だと思いました。

矢追理屈があってこうなったというわけではなく「この人の話も残さないと」と考えているうちに、このような記事になっていきました。「面白い」と褒めてくれた上司も「この連載はいつに終わるのだろう」と心配だったと思います(笑)。

ガード下に大きな壁画  提供:佐藤幹彦さん

選手の登場が少ないことには理由がある 

矢追横川シネマの近くにあるアンジュヴィオレ広島の事務所は、いつも温かな雰囲気でした。いろいろな人と出会い、思い出がたくさんあります。歴史は「ぽっと出」ではないと改めて感じました。先人がいるから広島女子サッカーの系譜は続いている。歴史のつながる瞬間が好きですね。三桝博恵さん(広島女子サッカーの草分け的存在、大河FCレディース創設時にプレー)に取材した第6回が特に思い出深いです。

立ち上げ時の広島県サッカー協会の関わり方や2019年に出現したライバル「赤い悪魔」についても具体的に書かれていますね。

矢追なぜ、このような歴史を辿ったのかを記録する必要があります。でも、これらは、当時の新聞で記事となった、テレビで放送された等、世の中に出ていたことがベースになっていますから僕が新しい事実を書いたわけではありません。でも、(当事者同士で)意見が違うところは難しいですよね。取材で確認し、できるだけ客観的に書く手間はかかりました。

基本的に、この取材は楽しかったです。ただ、記事に、あまり選手が出てきません。もし、次に同じような記事を書くときは、少しアプローチを変えたいと思っています。

選手の登場が少ない理由があったのでしょうか?

矢追チームの解散が決まっていたので、取材で練習時間を削るのは申し訳ないと思ったからです。「よくわかっていない人が出向いて変な取材ばかりしている」みたいな状況になるのは、ちょっと良くないかな、と思っていました。

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