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「未熟さ」の系譜からWEリーグを考える 大東文化大学社会学部准教授 周東美材さんに聞く「なぜ私たちは“未完成なスター“を求めてきたのか?」

なでしこジャパン(日本女子代表)はFIFA女子ワールドカップ ドイツ2011に優勝すると、日本は空前の「なでしこブーム」を迎えました。あえて古い表現を採用すると、選手たちは「お茶の間の人気者」になり、国民栄誉賞も受賞しました。2011年7月22日にT B Sで放送された『ひるおび』では仕事と練習を両立しなければならない選手の「厳しい環境」を取り上げましました。また、2011年11月26日にT B Sで放送された『バース・デイ』の「INAC神戸 悲願のリーグ優勝へ 戦いの日々に独占密着」は、このような文章で紹介されました。

「一躍大ブームを起こしたなでしこジャパンは人気アイドル顔負けの多能な日々をおくって毎日明るい話題をお茶の間に届けているが、そんな中、注目を集めているなでしこたちの舞台裏に密着した。」

あれから10年を経て、日本の女子サッカーリーグはプロ化しました。現在、日テレ・東京ヴェルディベレーザを応援しているmatoさんは、初めてWEリーグを観戦した際に、最大の魅力は「未発達なところ」であると解釈しnoteで発表しました(https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/202211300085-spnaviow )。

一方でWEリーグは「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する。」という理念とビジョンを掲げ、日本の女性活躍社会を牽引しようとしています。そのメッセージは力強いリーダーシップと社会性に溢れているため、matoさんの指摘された「未発達なところ」とは相容れにくいようにも感じます。そのせいもあってか、WEリーグの「ビジョン先行」に強く反発するファン・サポーター層の存在も顕在化しています。

女子サッカーと「未熟さ」の系譜は、どのようにつながるのか

そんなWEリーグが2年目のシーズンに入ったとき、筆者は一冊の書籍と出会いました。『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―(新潮選書)https://www.shinchosha.co.jp/book/603879/』です。この本を書いたのは周東美材(しゅうとうよしき)さん。専攻は社会学、音楽学です。東京大学大学院特任助教、日本体育大学体育学部准教授を経て大東文化大学社会学部准教授。今回は、新潮社本社に周東さんを訪ね、社会学の視点から、女子サッカーについて考えてみました。

アマチュアリーグ時代は「厳しい環境」のもとで「未熟さ」を見え隠れさせながら成長の物語を紡ぎ、世界一となってお茶の間の人気者となった女子サッカー選手と、日本の芸能に共通項はあるのでしょうか。そして、WEリーグが誕生し、「未熟さ」のその先に、どのような未来を拓くことができるのでしょうか。

本題に入る前に、少しこの書籍についてご説明しましょう。この書籍は、日本のポピュラー文化がもつ世界的に見ても稀有な特徴である「未熟さ」という概念がどのようにして生成されたのかを記述する論考です。完成された技芸や官能的な魅力より、成長途上ゆえの可愛らしさやアマチュア性こそが心を打ち、応援され、愛好される――A K B48や坂道シリーズに代表される女性グループアイドル、ジャニーズに代表される男性アイドルなどの芸能人に留まらず、世界から注目される「カワイイ」カルチャー、アニメやゲーム等、日本には「未熟さ」を基調としたメディア文化が幅広く浸透しています。周東さんは、なぜ、この研究をしようと考えたのでしょうか。

日本ではアイドルを始め「未熟さ」が広く支持され続けてきた

周東「国民的」と呼ばれる強い支持層を抱えている違和感に着目しました。日本ではアイドルを始め音楽で「未熟さ」が広く支持され続けています。最初は音楽を中心に考えていたのですが、広くメディア文化として考えるとスポーツの中にも、一部にそういう動きがあることもわかりました。例えば、高校野球や箱根駅伝の人気がそれに当たります。スポーツ以外でも、ゲームには「育成ゲーム」というカテゴリーがあります。「未熟さ」は特にテレビというメディアと結びついてきたものですが、ネット社会の現代においても、その流れは続いているように感じます。

—これは日本だけの現象なのでしょうか?他の国でも同じような傾向が見られるのかが気になりました。例えばアメリカにもオーディション番組があります。

周東オーディション番組は多くの国で楽しまれています。それ自体が「未熟さ」と直結するわけではありません。ただ、オーディション番組の中で、その選抜プロセスを見せたり、プロセスの中で物語を紡いだりしていくところ、しかも、(歌や芸能の)上手い子が残るとは限らないところは「未熟なものを愛そう」という日本のテレビの特徴が根強く感じられると思います。特にテレビの場合は、「見ている側が共感しやすいもの、コンプレックスを感じないものを提供する」という送り手側の制約もあると思われます。

—この書籍では、アイドルの事例を中心に構成されていますが、冒頭では宝塚歌劇団の歩みが紹介されています。近年では、宝塚歌劇団を愛好するヅカファンは推し活の元祖として見られることもあります。推しカルチャーと「未熟さ」の系譜には違いもしくは共通点はありますか?

周東「応援する」「応援することを共有する」という点では推し活と宝塚歌劇団に共通するところがあります。その起源は宝塚歌劇団にあるのかもしれません。ただ、日本では、戦前から戦後のある時期までは「女性が自分たちの好きなことをして交流する」機会は限られていました。ですから、今の宝塚歌劇団と戦後のある時期までの宝塚歌劇団への応援は一緒ではありません(その歩みは「2章 宝塚――女生徒たちはなぜ髪を切ったか」で興味深く紹介されています)。

宝塚大劇場

周東そして、推し活と、私がこの本のなかで考えてきた「未熟さ」の大きな違いは「家庭」という場で消費されているかどうかです。私がこの本で強調しているのは、「家庭」という場のもつ特別な力です。「家庭」とか「家族の団欒」とかというと、当たり前の存在のように思えるかもしれません。しかし、これは近代国家によって導入されたイデオロギーであり、人類の歴史のなかでは非常に特殊な空間です。男が主な稼ぎ手となり女が主に家事労働を担うこと、子どもが家族の中心となって愛情深く育てられること、家族の世界には他人が入ってこないこと、異性愛が当然の前提となっていることなど、こうした家族のかたちは、大正時代に成立したものでした。そういう家族の空間で、アイドルたちの「未熟さ」が「理想の息子」や「理想の妹」のように消費されてきたということが重要な視点です。「家庭」という空間の中で「邪魔にならない存在」、「家族と一緒に安心してみられる存在」を見ているところが推し活との違いです。

—そういった存在が、戦後の日本の芸能の分野で王道とされてきたのですね。

周東「呪縛」といっても良いかもしれませんね。スポーツ選手やアーティストは「価値観を打破する」行動に価値を生み出します。でも、多くのアイドルたちは、親しみやすいキャラクター等、いろいろな意味での制約を課されてお茶の間の中でしか活動できなかったといえます。本来、アーティストというのは卓抜した特別な才能を持ち、敬意を払われる存在なわけですから、それを一般の人が「応援してあげる」などというのはどこか倒錯したところがあるような気がします、

—その制約からはみ出した場合に、熱狂的な支持を受ける場合もありますが、反発が大きいこともありますね。かつてのアイドル黄金時代の1988年に、人気絶頂だった菊池桃子さんが、方針を一転して大人のファンクやRBの要素を取り入れた『ラ・ムー』として活動を開始した際に猛反発を受けたのは、そのような理由だったのかもしれませんね。

周東そうですね。それと同じように、美空ひばりさん(1937年〜1989年:戦後日本の人気女性歌手で女性初の国民栄誉賞を受賞)も活動初期の頃は「子どもらしくない」「お茶の間にそぐわない」と叩かれていました。しかし、だからこそ、それが大きな個性として認識されて、世の中にある子ども像を打ち破っていった面もあります。沢田研二さんはアイドルの頂点を極めた方ですが、その後、政治的な方向性の発言を強めていきました。アイドルの中には、そうした活躍をされる方もいらっしゃいます。

※1950年に13歳で映画に主演した美空ひばりさんの姿と歌声がサンプリングされたDJ TATSUKI – TOKYO KIDS feat. IO & MonyHorse (prod by MET as MTHA2)。原曲の『東京キッズ』は「天才少女歌手」と呼ばれた美空ひばりさん初期の代表曲です。

人気女子アスリートにアイドルとの共通点がある

周東女性アイドルは恋愛を禁止され、結婚したら引退し、引退したらママまたは「ママドル」になるのが成功物語とされてきました。例えば辻希美さんのような姿です。その道を歩まないと「結婚できないことを笑いのネタにする」「芸能界から姿を消す」ということが多く見られました。

人気女性アスリートにも同じようなことが見られます。競技を引退しママになるのが成功ですが、そうでない場合は芸能界に入り「霊長類最強」のような扱いを受ける、大林素子さんのように「背が高い女性であることをネタに笑いの対象になり続ける」という例もありました。女性アイドルと似たところがあると思います。もちろん、主婦でも芸能界でもなくビジネスで成功されている方も多くいらっしゃるのですが、そうした方がスポットライトを浴びることは多くありませんでした。何か「女性の在り方」を植え付けられてしまったイメージがあります。

—人気女性アスリートも、その成長過程が応援の対象になり「未熟さ」が一つの価値になってきたのですが、その対象から外れることで、次の何かに所属することを強要される面がありますね。

周東どれにも当てはまらない人の行き場があまりないように感じます。しかし、男性アスリートにも男性アイドルにも「どれを選びますか?」という選択を迫られることは、あまりありません。男性アイドルは「パパドル」を求められることはありません。男女が非対称的だと思います。

周東美材さん

「理念先行」戸惑いや反発はなぜ起きた?

—女子サッカーも「未熟さ」の系譜で多くの応援を得られてきたと思います。しかし、WEリーグがスタートするにあたり、突然に日本社会をリードする理念やビジョンが打ち出され、成熟した大人の振る舞いがコミュニケーションの中心に置かれたことで、ファンの側に応援の心地よさがなくなる戸惑いがあったのではないかと想像しました。中間の段階がなく、いきなり大きな変化が生まれた弊害があったのではないかと私は感じたのですが「未熟さ」の系譜を研究されてきた先生から、女子サッカーはどのように見えますか?

周東サッカーに関しては素人なので、この本を書いたという立場からしか申し上げられませんが……基本的には、それで良いのだと思います。戸惑いが生まれたとしても、むしろそれこそが女子サッカーが勝ち取ってきた大いなる財産だったのではないでしょうか。WEリーグの選手はプロ選手となり『自立したアスリート』として歩んでいくことを選択できたのです。女性スポーツのみならず、いろいろな女性の団体がやりたくでもできなかったことをやれることになったのだと思うのです。それこそがエンパワーメントだと感じます。

—Jリーグも1993年に開幕した当初は「企業スポーツからの脱却」のような理念先行だったのですが、その理念の中に「子どもたちへのスポーツの普及」や「校庭を芝生に」といった、まだ未熟な子どもたちのために取り組む夢が多く盛り込まれていたので、そこに反発が生まれなかったのではないかと、本を読んで感じました。新しい考え方の重要な位置に「子ども」や「家族」が盛り込まれていると、その考え方の見え方が大きく変わるのではないかと思いました。いかがでしょうか?

周東そうですね。女の子の夢に手を差し伸べる取り組みは重要だと思いますね。

「かわいい」という言葉の宿命

周東WEリーグ かわいい等はNG問題」の記事がありました。私は「かわいいNG」なのは基本的には良いことだと思います。アイドルに限らず、あらゆる女性は、幼少期から常に「かわいい」という価値判断をされてきました。

「WEリーグ かわいい等はNG問題」はなぜ起きたのか?賛成?反対?女性4人が語る

女性アスリートの中に「かわいい自分でありたい」という願望をお持ちの方は多いと思います。「かわいい」という言葉は魔法ですから、惹かれるところはあります。例えば、女性同士がこの語を会話で使うことで男性の立ち入れない「女性の連帯」を作る効果もあります。

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