WE Love 女子サッカーマガジン

北原佳奈選手がアルビレックス新潟シンガポール女子でのシーズンを振り返る 移籍の決め手は「アルビレックス」というチームでした

2022年6月、筆者はアルビレックス新潟シンガポール チェアマンの是永大輔さんのリモート取材を行いました。アルビレックス新潟シンガポールが女子チームを結成し、スタートしたばかりのシンガポール女子プレミアリーグに参入すると知ったからです。そのとき是永さんから「大きなニュースがあるから楽しみにしてください。シンガポールの女子サッカーが変わる大きなムーブメントを生み出すことができると思っています。」と言われました。大きなニュースとは北原佳奈選手の加入のことでした。

シンガポールの街並み

これまでアンダー年代の日本女子代表経験を持つ選手がアジア圏のクラブで活躍することはありましたが、北原選手はFIFA女子ワールドカップ カナダ2015準優勝の偉大な実績を持っています。 シンガポールの女子サッカー選手にとって、まるで、Jリーグ開幕に合わせて鹿島アントラーズに加入したジーコさんのような存在となりました。北原選手は2011年シーズンから2015年シーズンまでアルビレックス新潟レディースでプレーしています。彼女にとっては、この移籍で、再び、オレンジ色のユニフォームに袖を通したことにも意味があります。

今回は、シンガポールで挑戦する北原選手にリモート取材し、働きながらプレーするシンガポールでの生活、シンガポール女子プレミアリーグ、そして海外で挑戦している理由についてお伝えします。

シンガポールのチャイナタウン

多様性に馴染み楽しく充実した毎日

北原スクールの仕事を終えた後、19時から21時までが自分たちのチームの練習時間です。今、6人のシェアハウスで暮らしていますが、外で食事をしてから、夜遅くに帰ることも多いですね。日本にいるときとは、全く違う生活をしています。シェアハウスではマレーシア系の人やフィリピン出身の人と一緒に住まいをシェアしています。チームメイトもルーツがさまざまで、インド、中国……言語も色々です。

慣れるまでは大変でした。最初のうちに一番困ったのは食事です。こちらの食事は脂が多いので胃がもたれました。日本では、かなり食事に気を使っていたのですが、こちらで同じことをすると食べられるものがなくなってしまうので慣れるようにしました。しかも暑いので、最初のうちは試合で足が攣ってしまい、食事の大切さを改めて思いました。今は、慣れたので大丈夫です。

何か予想と違ったことはありましたか?

北原サッカーのレベルや生活については是永チェアマンから事前に聞いていました。シンガポールに渡る前に「どのようなことがあっても受け入れよう」と決めていたので、あまり困ることがありませんでした。思った以上に、チームメイトが「上手くなりたい」向上心を持っているので、最初から楽しく充実した生活をおくれています。コミュニケーションをどうしようと思っていたのですが、初めて参加した練習で、チームメイトが歓迎してくれました。

練習でプレーの方法をよく聞かれます。「練習の前に教えてほしい」と言ってくれる選手もいます。練習は19時からなのですが「17時半に来てくれ」と言われたこともあります(笑)。嬉しいですね。選手の中には学業や仕事を優先しなければならない人もいます。時には、試合や練習に来られない選手もいます。それでも、サッカーを学びたい気持ちが強くて、私はやりがいを感じています。

デビュー戦で2得点、次の試合でも得点し順風満帆と思われたが

北原4試合目で怪我をしてしまい、あまり満足できないシーズンでした。やはり、もっとプレーしたかったし、チームの勝利に貢献したかったです。優勝したセーラーズ(ライオン・シティ・セーラーズFC)には0−4で負けてしまいました。この試合で、自分自身は何もできなかったので悔しかったです。こちらでは前目(ボランチ)のポジションをやっています。最終ラインとはプレーを変えなければなりません。自分で突破したり味方を生かしたりする部分で、自分の課題を見つけられました。課題が見つかった意味ではポジティブに捉えています。

第6節でデビューし、いきなりの2得点。順調なスタートでしたね。

北原結果を残さないといけないと思っていたので、ゴールにつなげられたことはよかったです。

怪我をされたプレーでは、かなり激しくゴールキーパーと激突していましたね。

北原止まらなければいけない場面だったのですが「行くしかない」と思って行ってしまいました。行ってしまったら怪我をしました(笑)。良いボールが来たので、ちょっと欲が出てしまったのです。(しばらくは欠場になりましたが)最終節に5分だけでも出場できて良かったです。

やはり、思った通りにはいかない部分もあったのでしょうか?

北原デビュー戦で得点し、次の試合でも得点できたので良い印象を残せたことは良かったです。でも、できなかったこととしては、やはりコミュニケーションが取れなかった部分です。チームメイトは素直な人が多く、言えばやってくれるし、逆に、ストレートに意見をぶつけてくれます。だから、自分でもっと喋れたり理解できたりすれば、もっとチームが良くなるはずだと思います。監督の意図することも、もっと理解できればと思っています。やっぱり言語は大事ですね。

 

サッカー、仕事、宗教……生活の全てが学び

北原シンガポールでは多様性の意味でも、たくさんの経験をさせていただいています。例えば宗教。「断食、一緒にやらない?」「やらない、やらない!」とか会話しています(笑)。思ったよりもラフな感じです、日本人に気を遣ってくれているのだとは思いますが。

スクールの仕事ではお子さんからアンダー年代までを指導しています。それに加えてアルビレックス新潟シンガポールのトップチームは同じスタジアムを使用しているのでトップチームとも接点が大きいです。スタジアムにオフィスがあるので、練習や試合を見ることができます。日本とは異なる環境でいろいろなカテゴリーと関われて勉強になります。トップチームには23歳以下で「人生を賭けて」海外移籍してきた日本人選手もいます。

シンガポールに来て、日本でのプレー環境を振り返り、何か見えたものはありますか?

北原日本にいたときは、24時間をサッカーに費やして「上手くプレーすること」「試合に出場すること」だけを考えていました。サッカーに集中できて良かったです。シンガポールに来てみると、(所属したマイナビ仙台レディースをはじめ)日本のWEリーグの環境は素晴らしく、とても恵まれていると感じます。日本のグラウンドは綺麗ですし、選手をサポートしてくれる人がたくさんいます。私たちよりも先輩方が頑張ってくださったので女子サッカーの環境が良くなったのだと思います。

アルビレックス新潟シンガポールは、みんなで力を合わせて運営している会社です。私はスクールで指導するだけではなくデスクワークもやっています。毎日の生活の全てが学びです。会社の皆さんが、クラブや選手のために自分から動いて働いていることを実感しています、一人ひとりの仕事量も多く「自分もやらなきゃ」と思う環境です。

シンガポールには、いろいろな人との出会いがある

北原小学生のときから、海外でサッカーをしたいと思っていました。その頃に親に書いた手紙に「アメリカでサッカーをしたい」と書いてありました。オーストラリアのチームの練習に参加したこともあるのですが、私は語学に自信がなかったりビザの関係があったりして、英語だけで生活する国に移籍することができませんでした。マイナビ仙台レディースの良い環境でプレーさせていただきましたが、今回のタイミングを逃したら、2度と海外に行くチャンスはないと思って、日本人がたくさんいるシンガポールにやってきました。

(残り 1420文字/全文: 4862文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ