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「日本一暑い街」を巡る #女子サカ旅 ちふれASエルフェン埼玉の「マイスタジアム マイホーム」 国宝、スイーツ、熊谷うどん、そして「めぬまカップ」in熊谷

熊谷市は江戸時代に中山道の宿場町として栄えた街です。荒川・利根川には江戸を結ぶ商品流通の要所である河岸があり、交通の要所として町人によって発展しました。「ラグビーの街」としても知られます。熊谷スポーツ文化公園 熊谷ラグビー場はラグビーワールドカップ2019日本大会の会場となり、世界各国からたくさんの人が訪れました。

この2万4千人を収容するラグビー専用スタジアムは埼玉パナソニックワイルドナイツのホームスタジアム。ラグビーリーグワンで初代王者に輝き、熊谷市内で行われた優勝パレードには1万人が押しかけました。今でも、街の至る所に優勝の文字が記されます。

埼玉パナソニックワイルドナイツののぼり

ちふれASエルフェン埼玉のホームゲームの多くは熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で開催されます。今回は、ちふれASエルフェン埼玉のホームタウンの一つ、熊谷市を訪ねます。「日本一暑い街」ならではのスイーツ「雪くま」、選抜高校女子サッカー大会「『めぬまカップ』in熊谷」の「めぬま」とは何か?ちふれASエルフェン埼玉の「マイスタジアム マイホーム」とは何か?を紐解く #女子サカ旅 になりそうです。

熊谷駅前のバス停から噴出する冷却ミスト

9月でもバス停の頭上には冷却ミスト

J R高崎線・湘南新宿ライン新宿駅から1時間10分。熊谷市は埼玉県の北部にあります。熊谷市を全国的に有名にしたのは夏の暑さです。2018年7月23日に、フェーン現象により41.1度という日本最高気温を記録しました。驚くのはバス停の頭上にある冷却ミスト。なんと9月でも自動運転されています。10月までは「気温28度以上・湿度75パーセント未満・風速3メートル未満・降雨なし」の気象条件が揃うと噴出します。

そうした気候もあって、熊谷市は本州一の小麦処。全国でも指折りの生産地です。というわけで、まずは「国産うどんの聖地」熊谷うどんと「日本一暑い街」ならではのスイーツ「雪くま」をいただくとしましょう。

熊谷駅前 

埼玉県は生産量2位のうどん県

熊谷市ではグルメイベント「全国ご当地うどんサミット」が2017年から3回連続で開催されました。実は、日本の小麦生産技術の功労者である麦翁(ばくおう)権田愛三さん生誕の地なのです。熊谷駅からバスで30分。妻沼聖天前(めぬましょうてんざんまえ)バス停で降りると旧妻沼町の門前町があります。この街に、人気のうどん店があります。

騎崎屋

騎崎屋は昔ながらの建物の店。日本三大聖天の一つ・妻沼聖天山・縁結びの中門の脇にあります。騎崎屋の名物は「実盛公うどん」です。「実盛公」とは妻沼聖天山を開いたとされる斎藤別当実盛のこと。源平合戦の物語に登場する平安時代末期の武士です。

実盛公うどん

熊谷うどんは熊谷産小麦を50%以上使用し、熊谷で製麺された地産地消のブランドうどん。コシがあり、ツルッとした喉越しが良いうどんです。さらに「実盛公うどん」では「手芋」と呼ばれる妻沼特産の大和芋を乗せています。これを噛むとシャキシャキと食感が気持ち良い。斎藤別当実盛には、白髪を黒く染めて最後の戦いに挑んだという逸話があり大和芋で白髪を、海苔で黒髪をイメージしているそうです。女将の接客が評判の人気店です。

熊谷市は「雪くま」がアツい

「日本一暑い街」ならではのスイーツ「雪くま」は騎崎屋でもいただけるのですが、せっかくなので「雪くまのれん会」会長の店に行くことにします。お茶の老舗「茶の西田園」です。

お茶の老舗「茶の西田園」

「雪くま」は熊谷市のご当地かき氷です。熊谷のおいしい水を使った氷を使い、雪のようにふんわりした食感が特徴。また、オリジナルのシロップや食材を使っていることも「雪くま」を名乗れる条件です。熊谷市が「日本一暑い街」として全国的に有名になると「雪くま」の人気も上昇。現在「雪くまのれん会」には約30店舗が加盟し、夏になると各店で個性的な「雪くま」を提供しています。

抹茶と玄米のキャラメルミルク

「茶の西田園」は創業明治元年。店主の小林伸光さんは3代目。産地の製茶問屋と連携してオリジナル製法のお茶を作り販売する製茶店ですが、2006年から「雪くま」を始めました。

今回、いただいたのは「抹茶と玄米のキャラメルミルク」です。抹茶の柔らかなにが味に、微かにキャラメルの甘さが加わり口の中が幸せに。玄米の香ばしさは固さを加えるアクセントとなっています。あっという間に溶けていきますから、手際よく写真を撮影したら、あとは一気に食べるだけです。

群馬県太田市への入口だった旧妻沼町

1983年に東武熊谷線が廃線になると、旧妻沼町と熊谷市中心部を結ぶ公共交通機関はバスだけになってしまいました。そもそも、東武熊谷線は戦時中に熊谷駅から、群馬県太田市にある中島飛行機太田製作所(軍用機を開発生産)に人員と資材を運ぶことを目的として建設された軍事輸送用の鉄道です。戦況の悪化により旧妻沼町より先は開通することがありませんでした。戦後は旅客鉄道として運用されましたがモーターリゼーションの影響により廃線となったのは歴史の皮肉です。なぜなら、戦後、中島飛行機は、その技術を生かして平和産業への転換。スバルとなって今に続いているからです。中島飛行機太田製作所は、現在の住所が「群馬県太田市スバル町1−1」。スバルの本工場となって自動車を製造しています。妻沼聖天山の参拝客の多くは、自動車でここを訪れます。

利根川を挟んだ手前、旧妻沼町には、あまり大きな産業がなく、昔も今も門前町の静かな街並みが続いています。

妻沼聖天山境内の南にある聖天山歓喜院 本坊

「平成の大修理」で美しく蘇った妻沼聖天山

妻沼聖天山はこの街の中心です。特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけると伝えられ、今も参拝の人が絶えません。そして、建築の歴史を学ぶ上でも重要な文化財が、この妻沼聖天山にあります。

妻沼聖天山参道の正面・国指定重要文化財の貴惣門から進んでいきましょう。貴惣門は御本殿よりも、さらに後の時代に建てられたものです。技術が進んだ江戸末期の造形技術を駆使した彫刻を楽しみます。

石灯籠の向こうに国指定重要文化財の貴惣門

妻沼聖天山最古の建造物・中門、明治27年に再建された仁王門の室町時代の気風を残す金剛力士像を見学すると、その先に御本殿が見えてきます。江戸時代中期に再建されたものです。規模の小さな建物ですが、よく見ると、こちらも見事な彫刻が施されているのがわかります。そして着色されています。

妻沼聖天山 御本殿

妻沼聖天山は日光東照宮を彷彿とさせる事から「埼玉日光」ともいわれています。御本殿を正面から見ただけでは、それを実感することはできません。ですから、彫刻観覧の入場券を購入し裏に回ってみましょう。日の光を浴びて輝きを放つ歓喜院聖天堂の姿が現れます。

歓喜院聖天堂

極彩色に彩られた装飾建築の最高傑作

彫刻には多くの動物、人物が登場します。故事をモチーフに、さまざまなシーンがユーモラスに描かれています。宮大工・林兵庫正清及び正信らによって享保20年(1735)から宝暦10年(1760)にかけて建立されました。江戸幕府の威信をかけた日光東照宮の創建から100年あまり後に建てられたので、日光東照宮の創建時よりもさらに進化した彫刻技術が惜しみなくつぎ込まれています。

建築の歴史を辿ると、江戸時代の豪華絢爛な装飾建築は、歓喜院聖天堂を最後に終焉します。この頃に行われた八代将軍吉宗の「享保の改革」により贅沢が締め付けられる風潮となったからです。それゆえに、歓喜院聖天堂は「江戸時代建築の分水嶺」と評価されています。そして、もう一つの特徴は日光東照宮と対照的。工事の費用を負担したのが、幕府や大名、豪商ではなく、庶民たちだという点です。この地域の人々のつながりが、美しい建物と門前町を生み出しました。

歓喜院聖天堂

めぬまガイドボランティア「阿うんの会」の工藤幸雄さんは、ユーモア溢れる彫刻を楽しく解説してくれるボランティアガイドの一人です。

「日光東照宮の100年後、極彩色の彫刻は最高傑作だと思います。WEリーグをご覧になる方は、ぜひ妻沼聖天山に足を伸ばしていただきたいです。」

工藤幸雄さん

熊谷市の女子サッカーは旧妻沼町から

さて、記事の最初に提示した選抜高校女子サッカー大会「『めぬまカップ』in熊谷」の「めぬま」とは何か?という、もう一つのテーマ……すでに答えが見つかったのではないでしょうか。

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