ノジマステラ神奈川相模原が始動 菅野将晃監督が明かす「山梨県女子サッカーリーグ、関東女子サッカーリーグ2部から学んだこと」
6月だというのに既に梅雨明け。雲一つない晴天。真夏のような強い日差しの中で、ノジマステラ神奈川相模原が始動しました。参加した選手は26名。そのうち3名は菅野将晃監督と縁のある新加入選手です。2022年5月28日10時からのトレーニングは和やかな雰囲気でスタート。主に腕の振りをスムーズにして走り脚の筋肉への負担を軽減させるためのフィジカルトレーニングで約2時間40分間の汗を流しました。
トレーニングを終え「じゃあ次は16時から」という菅野監督の声を聞いて取材陣がざわめきました。
「初日から二部練習だったのか……。」
「菅野さんとはサッカーを一緒にできなかった」浜田遥選手の加入
ノジマステラ神奈川相模原が、2012年に神奈川県女子サッカーリーグ3部に参戦してから10年が経ちました。節目の2022年に、4年ぶりに菅野監督が帰ってきました。2011年に東日本大震災が発生。当時、菅野監督が指導していた東京電力女子サッカー部マリーゼは活動を停止しました。選手の受け皿となる新たな女子サッカーチームの立ち上げに奔走した菅野監督の尽力によって2012年に誕生したのがノジマステラ神奈川相模原(当時:ノジマステラ神奈川)です。
2011年シーズンに、JFAアカデミー福島から東京電力女子サッカー部マリーゼに入部した浜田遥選手は、一度も公式戦を戦うことなくチームが活動を停止。菅野監督の元を離れ、スペランツァFC大阪高槻、ベガルタ仙台レディース、マイナビ仙台レディースでキャリアを重ねました。今シーズンからノジマステラ神奈川相模原に加入しました。
浜田選手に菅野監督のイメージをお聞きすると「選手に寄り添ってくれるイメージなので、もう一度サッカーをしたい監督でした。」という答えが返ってきました。
「(マイナビ仙台レディースと)契約満了になったので移籍先を探していました。(ノジマステラ神奈川相模原は)チームみんなで一つになって戦うチームです。あとは、菅野さんとはサッカーを一緒にできなかったので、その思いもあって移籍を決めました。」
平野優花選手が大きくなって1FCケルンから復帰
平野優花選手が帰ってきました。平野選手は、ノジマステラ神奈川相模原がなでしこリーグ2部から1部に昇格を目指し、もがき苦しみ負けられない戦いの日々を通じて成長した選手です。2018年シーズンを終え、菅野監督がチームを去るとドイツ・女子ブンデスリーガの1FCケルンに移籍。移籍の際は「サッカー選手として1人の人間として、一回りも二回りもこの地で成長出来るように頑張ります。」とコメントしていましたが、それだけでなく、身体も一回り大きくなって帰ってきました。フィジカルコンタクトの厳しいドイツで戦ってきた平野選手が、どのようなパフォーマンスを見せてくれるか楽しみです。
菅野監督のサッカーの象徴・南野亜里沙選手も復帰
南野亜里沙選手がジェフユナイテッド市原・千葉レディースから復帰しました。菅野監督がノジマステラ神奈川相模原で最後に指揮を執った2018プレナスなでしこリーグ1部ではエースとして活躍。10得点を記録しています。今シーズンは、再び菅野監督と共に戦います。
「菅野さんがいるステラでプレーしたいと思いました。菅野さんのパスをつなぐサッカーをできそうなメンバーですし、自分の持ち味を一番出せると思います。試合をするのが楽しみです。後ろからのビルドアップをするプレースタイルが自分に合っています。(菅野さんが)チームを大事にするところを尊敬しています。」
経験豊かな選手が加わりチームに厚み
2021−22 YogiboWEリーグのシーズン途中で加入した杉田亜未選手は、初日午前中のトレーニングを終え、新加入選手について、このように話しました。
「みんなで頑張るのがノジマの特徴。自分もアグレッシブなのが持ち味なのでチームワークで戦えると思います。(浜田選手と南野選手の)2人は対戦したときに嫌な選手だったので、一緒にできるワクワク感があります。(3人の選手が加わり)雰囲気が変わると思います。一から競争になるので、良い雰囲気の中でバチバチやっていければと思います。」
松原有沙選手によると、浜田選手は、この日のチーム始動以前から、早くもチームの雰囲気を牽引しているようです。
「(菅野監督は)走ることで有名なので(笑)、普通に自主トレで息が上がるまで追い込んでいました。浜田選手が巻き込んでみんなで走っていました。」
比較的若い選手が多かったノジマステラ神奈川相模原に、リーダーシップを取れる経験豊かな選手が加わりました。
苦しんでいるクラブを救いたい菅野監督の思い
山梨県女子サッカーリーグ2部に参入したFCふじざくら山梨は2019年シーズンから6年契約で菅野監督と共に歩み、関東女子サッカーリーグ2部に昇格しました。この長期契約の途中で菅野監督はノジマステラ神奈川相模原への復帰を決めました。
「(ノジマステラ神奈川相模原は自分が)ゼロから作ったチームだという思いはものすごくあります。そのクラブが苦しんでいる状況を聞き、自分が戻って、そこに加わりたいという思いでした。FCふじざくら山梨が送り出してくれたことはありがたいです。」
FCふじざくら山梨で学んだことがある
FCふじざくら山梨は、単なるトップリーグを目指すサッカーチームではなく、社会人として価値提供できるヒトを育てたいという考えを持っているチームです。スパイクを脱いでも、 選手が自分らしく生きていけるために考えたチーム・コンセプトです。 サッカー選手だから、サッカーしかできないのではなく、アスリートであっても、1人の社会人として、 社会で活躍・貢献できる人材輩出を目指しています。菅野監督は、そんなFCふじざくら山梨でも、ピッチ内外でチームづくりの中心的役割を担ってきました。
筆者は、菅野監督にとってFCふじざくら山梨は、もう過去の出来事なのだと思い込んでいました。しかし、この日の囲み取材の最後に、菅野監督から意外な言葉が発せられました。
「FCふじざくら山梨で学んだことはたくさんあります。」
菅野監督は山梨県女子サッカーリーグ、関東女子サッカーリーグ2部への戦いを通して、何を学んだというのでしょう。それは、意外なお話でした。
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