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ジェフユナイテッド市原・千葉レディース観戦のために、フクアリ、スイーツ、アウトレット……戦後から現在まで時を超えて「東京ベイ」を進む京葉線の #女子サカ旅

フクダ電子アリーナは筆者の好きなスタジアムの一つです。ピッチからの距離が近く、臨場感満点のスタンド。駅から向かうと背景に見えてくる高度成長期の痕跡ともいえる工場。2005年10月16日に開催された、初の公式戦(こけら落とし)を観戦して以来、筆者は、何度も、このスタジアムに足を運んでいます。

フクダ電子アリーナ

特に思い出深いのは2007年9月2日に開催された『キリンチャレンジカップ2007〜FIFA女子ワールドカップ中国2007に向けての壮行試合』です。対戦したのは、中国に渡る前に日本でコンディション調整をしていたブラジル女子代表。当時、全盛期だったマルタ選手とクリスチアーネ選手のスピードとテクニックにスタンドは魅了されました。「これが女子サッカーなのか!?」と驚愕した、サンバのリズムを奏でるようなブラジル女子代表の「男子よりもブラジルっぽいサッカー」は、その後、FIFA女子ワールドカップ中国2007で世界に衝撃を与えます。私たちは、一足早く、それを間近に味わうことができました。

筆者は、この試合を前半だけ観戦して、国立競技場に移動しJリーグを観戦する予定でした。しかし、あまりにエキサイティングな試合展開に席を離れることができず予定を変更。フクダ電子アリーナで90分間を堪能しました。ちなみに、フクダ電子アリーナで観戦する前の時間帯は市原緑地運動公園臨海競技場(現・ゼットエー・オリプリスタジアム)で岩渕真奈選手の日テレ・ベレーザでのデビュー戦を観戦しています。1日3試合観戦の日でした。

フクダ電子アリーナ(通称・フクアリ)の最寄駅は京葉線の終点である蘇我駅です。筆者は、京葉線に乗るときは、進行方向に向かって左側の椅子に座ることをお勧めします。なぜなら、右側の車窓に見える東京湾側の景色の変化を満喫できるからです。「東京ベイ」を進む旅は始発駅の東京駅から始まります。

人口の都市集中と航空機による大量輸送の時代が到来し生まれた京葉線

京葉線の歴史は、京葉工業地域の物資を運ぶ貨物路線から始まっています。日本は、大型ジェット旅客機の増加と高度経済成長により年々増大する航空機による大量輸送の時代に入り、新東京国際空港(現・成田空港)が開港した1970年代に、貨物路線だった京葉線の旅客化が計画されます。都心と千葉県を結ぶ総武本線は、沿線の人口増加に伴い、通勤客が急増。朝・夕の通勤ラッシュでは乗車率が200%を超える殺人的な超満員が常態化するようになっていたからです。

これを解消するために、千葉県は、懸案だった航空燃料の貨車による暫定輸送期間の延長を了承。見返りとして京葉線の旅客線化と東京駅乗り入れの早期実現を要求。部分開業を経て、京葉線は1990年に東京駅に乗り入れ、全線開業となりました。千葉県から東京に通う、新たな大動脈ルートが開通しました。そして、それまで、東西線の浦安駅からバスで向かうルートが主だった東京ディズニーランドに、京葉線の舞浜駅という最寄り駅が誕生しました。

京葉線の旅は東京湾岸開発の歴史を味わうプチ鉄道旅

浦安市から富津市に至る76kmの東京湾岸の海岸線は、主に戦後に埋め立てられ、この地域は京葉工業地域として発展してきました。化学、鉄鋼、石油など日本最大規模の素材・エネルギーの供給地となっています……と、長く教科書に記載されてきましたが、近年は日本の産業構造の変化等もあり製鉄所の閉炉が進んでいます。かつては工業地域だった土地に、スポーツ施設、レジャー施設、商業施設が続々と誕生しました。フクダ電子アリーナも、川崎製鉄千葉製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所)が沖合い埋立地区への移転することに伴い生じた遊休地に誕生しています。

京葉線の車窓からは、アリーナあり、製鉄所あり、緑地あり、テーマパークあり、港あり……実にバラエティに富んだ景色を楽しめます。そして、この景色を楽しむ旅は、戦後から現在まで時を超えて、東京湾岸開発の歴史を味わうプチ鉄道旅となるのです。

蘇我駅

東京2020大会の会場を発見する

京葉線の始発駅は東京駅地下駅。有楽町駅と東京駅の中間に位置する鍛冶橋通り直下にあります。他の路線のホームと徒歩20分の距離にあり、乗り換えが大変なことで知られています。ここは、元々は、成田新幹線の東京駅を建設する予定地であり、また、京葉線は将来の新宿延伸を考慮していました。

地下から発車した京葉線は潮見駅に近づくと地上を走ります。眩しい日差しが車窓から飛び込みます。潮見駅から新木場駅までは運河と倉庫が並ぶエリアです。砂町運河を渡り、新木場駅の手前で右側に見えてくるのは東京2020大会の会場となった東京アクアティクスセンターと東京辰巳国際水泳場。この辺りにはスポーツ関連施設が集中しています。左側に見えるのは江東区夢の島陸上競技場。J3やJFLでも使用される小ぶりな、区民のための競技場は、運河の脇でひっそりとたたずんでいます。以前は、このスタジアムで、日テレ・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)も試合をしていました。メインスタジアムから、とても美しい夕景・夜景を楽しめるスタジアムです。

夢の島公園アーチェリー場も東京2020大会の会場として新設されました。

江東区夢の島陸上競技場 

公害問題、環境問題を食い止め生まれた巨大な公園

電車が新木場駅を通過すると、水面を反射する日差しが一層強くなります。目の前に見えるのは東京湾。特に、幅の広い荒川河口は車窓が水面でいっぱいになります。川を下って海に繰り出すクルーザーやジェットスキーの一群の白い航跡も見えます。周辺には、荒川や旧江戸川から運ばれた土砂が堆積してつくられた三枚洲や高洲と呼ばれる遠浅の海が広がっています。

荒川河口

さらに目に入ってくるのは緑に包まれたエリア。葛西臨海公園です。筆者は、この公園が完成する前から、このエリアで遊んでいました。そして公園が開業してからは、春から秋の毎週末を、この公園で過ごしました。

葛西臨海公園

1950年代から60年代にかけて、京葉工業地域の発展や生活排水により東京湾の汚染が急速に進みました。大規模な地盤沈下も発生しました。かつて栄えた漁村は姿を消し、高度経済成長期の建設ラッシュで大量に発生した残土や産業廃棄物が、この地域に捨てられていきました。東京湾の埋め立てが進んでいく1970年代に、葛西の海岸だけが少しだけ自然の海の姿を残していました。そこで生き物保護の声が高まり、1989年に三枚洲の自然回復を目的に葛西海浜公園(西なぎさ)と葛西臨海公園が整備されました。2018年には葛西海浜公園が、国際的に重要な湿地であるとしてラムサール条約湿地に登録されています。

葛西海浜公園(西なぎさ)

開園当初は細く小さかった木々が大きく育ち、鳥類園ウォッチングセンターは深い林に囲まれています。葛西海浜公園と葛西臨海公園を構成するのは人工的に作られた林、沼地、砂浜、干潟ですが、生き物の楽園であることに変わりはありません。クロツラヘラサギ等の世界的に希少な野鳥や、ミサゴやトウネン等、東京都で絶滅が危惧されている野鳥が飛来し、現在、120種類以上の鳥類が生息しています。行きすぎた開発は深刻な公害問題、環境問題を生み出しましたが、こうして、人の手で食い止められたのです。

葛西臨海公園の一角にカヌー・スラロームセンターが見えます。東京2020大会のカヌー(スラローム)競技会場となりました。水路に人工的に流れを作り出し、競技を実施することができる国内で初めてのカヌー・スラロームコースです。複雑な流れの青い水路を車窓から見つけることができます。

舞浜駅に残るジェフユナイテッド市原・千葉の記憶と南船橋駅の移り変わり

江戸川の鉄橋を渡れば、見えてくるのは東京ディズニーリゾートです。最寄駅は舞浜駅。かつて1990年代に、ジェフ市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の練習場は舞浜にありました。そのため、長い間、オフィシャルショップは、東京ディズニーリゾートを楽しむ人々が行き交う舞浜駅の一角にありました。

京葉線が東京ディズニーリゾートの脇を越えると、女子フットサルの競合チーム・バルドラール浦安ラス・ボニータスが試合に使用するバルドラール浦安アリーナが見えてきます。

南船橋駅前は「東京ベイ」文化の中心地

ららぽーとTOKYOBAYの最寄駅・南船橋駅前のIKEA TokyoBayの隣には1万人を収容できる「LaLa arenare TOKYOBAY」(ららアリーナ「東京ベイ」、仮称)が建設されます。開業は2024年春の予定。プロバスケットボール男子リーグ1部(B1)千葉ジェッツふなばしの試合会場になる予定です。

提供:イケア・ジャパン株式会社

IKEA TokyoBayは2006年の日本進出1号店です。2022年3月には持続可能な社会の形成および地域社会の活性化を図るため、船橋市と包括連携協定を締結しました。子ども及び青少年の育成に関する取り組み等をIKEAが船橋市と一緒に進めていきます。販売店と行政の関わりが変わってきました。

かつてバブル時代には、ここに「ららぽーとスキードームザウス」という巨大な建造物もありました。高低差約100メートル、長さ490メートル。世界最大の屋内スキー場でした。昼夜を問わず、ここには、トレンディな若者が集まりました。

第二次世界大戦が終結して10年、1955年に「12万坪の海辺に万坪の白亜の温泉デパート」船橋ヘルスセンターが開業。1981年に、その跡地で「日本最大の大型ショッピングセンター」ららぽーと船橋ショッピングセンターが生まれました。今では当たり前になっている、マイカー時代に対応した日本の郊外型ショッピングセンターの草分けでした。

ららぽーと船橋ショッピングセンターはバブル期に、ここが千葉県であることを拒絶するかのように、TOKYOBAYららぽーとへ改称(さらに2006年にららぽーとTOKYOBAYに名称変更)。浦安から船橋、幕張にかけてのエリアは「東京ベイ」と呼ばれるようになりました。その伝統は今も息づき、NTTジャパンラグビー リーグワン2022に参画した2つのチームが、チーム名に「東京ベイ」を盛り込んでいます。

南船橋駅周辺は、社会の変化を捉えて大型施設が生まれ変わりを繰り返す地域です。「東京ベイ」文化の中心地といっても良いでしょう。

バブル経済で発展し今では日本サッカーの重要拠点となった幕張

さらに「東京ベイ」を進むと高層ビルが並ぶエリアに電車は進んでいきます。海浜幕張駅です。幕張新都心の街もバブル期に生まれました。都心の地価やオフィス賃料が高騰し、住民や企業が大量に郊外へ移動した時代です。おそらく、京葉線が開通していなければ、ここに大規模な街は生まれなかったでしょう。

街が生まれた当初の幕張新都心は「機械的で人間味がない」と酷評されましたが、時の経過とともに街並みが幾分古びて、人が生きる生活臭が出てきました。今では、幕張は住みたい街ランキングの上位の常連です。もはや、かつてこの街が東京の代わりのような位置付けだったことを知る人の方が少数かもしれません。カラフルな色彩のマンションが品よく立ち並びます。

海浜幕張駅は、千葉ロッテマリーンズのホームスタジアム・ZOZOマリンスタジアムの最寄駅でもあります。そして、その脇に2021年に完成したのが高円宮記念 JFA夢フィールドです。

高円宮記念 JFA夢フィールドは主に日本代表、日本女子代表のトレーニング拠点として使用されています。日本サッカーの強化の中枢です。幕張の浜の近くに芝生のピッチが広がっています。千葉市に造成された人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)の総延長は約4.3キロメートル。人工海浜としては日本一の長さを誇ります。幕張の浜は1979年に完成しました。高度成長期の埋め立て工事で失われた旧海岸の砂浜を復元しました。

ところで、高円宮記念 JFA夢フィールドの隣にスポーツリラクゼーションスパ「幕張温泉 湯楽の里」があることをご存知ですか。女性専用岩盤浴もある温浴施設です。青い海と空が目の前に広がる露天風呂や多彩なお風呂が人気です。試合に敗れて傷ついた、ファン・サポーターの心と身体を癒してくれるかもしれません。ただ、まだ、試合前なので、今日は海浜幕張駅で途中下車することなく、このまま目的地に向けて進むことにします。

蘇我駅の目の前にある一軒家「菓子工房アンシャンテ」

目的地・フクダ電子アリーナの最寄駅、蘇我駅に到着です。試合前に立ち寄る場所は「菓子工房アンシャンテ」です。蘇我駅のすぐ脇に曲がった道があります。少し進むと、ビルの影から可愛らしい一軒家が見えてきます。それが「菓子工房アンシャンテ」です。

菓子工房アンシャンテ

東京と比べると、幾分リーズナブルな価格でケーキを楽しむことができます。

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