WE Love 女子サッカーマガジン

WEリーグ・プロ化をオペレーション室から見つめる ちふれASエルフェン埼玉 運営チームのディレクター 市橋直子さん(元日産F.C.レディース)「開幕戦は仕事中に泣いていました。いまだに、キックオフごとに涙が流れそうになります。」

1993年にJリーグが開幕すると、実は既に全国に多数存在した元サッカー少年の大人たちが各ホームタウンのクラブを熱烈に応援して、Jリーグブームの推進役になっていとことは、約30年を経て、多くの人の記憶から消えつつあります。実は、WEリーグの現場の裏側にも、女子サッカー苦難の時代にプレーした元選手がいることは、あまり知られていません。今回は、縁の下でWEリーグを支える元選手をご紹介します。

市橋直子さんはイベントの企画制作の仕事をされています。進行台本、運営計画を作成した上に、イベント現場の運営にも携わっています。このお仕事に就かれて約20年。市橋さんは数多くのスポーツイベントの現場を担当しています。その中の一つが、外部スタッフとして関わるちふれASエルフェン埼玉のホームゲーム。WEリーグが開幕する前からアナウンス、映像、音響の進行ディレクションを行っています。このお仕事を担当するきっかけの一つが「市橋さんが元選手だった」ことだそうです。

市橋直子さん 提供:市橋直子さん

WEリーグが始まり選手は変わった

市橋大変だったのは開幕戦ですね。藤原紀香さんの来場、岡島喜久子チェアの動画上映……演出が盛りだくさんでした。シビアなスケジュールで1日が進んでいきました。WEリーグの開幕からスタジアムDJが交代し、その最初の試合でした。WEリーグが開幕するまでは、これほどたくさんの動画をスタジアムで上映することもありませんでした。でも、かなり良い仕事ができたと思います(笑)。

WEリーグが始まって、選手は変わりましたね。お客様やスタッフをとても大事にするようになりました。プロとしての意識を半田悦子監督が植え付けたのかもしれません。選手やスタッフへの挨拶、グッズ販売を担当した選手の姿が、以前とは全く違います。とても良いことだと思います。

早野宏さん、下條佳明さんの指導を受けた現役時代

市橋中学生になると女子がプレーできるチームが地元になかったので、中学1年生から高校1年生まで日産F.C.レディースでプレーしました。最年少でした。北区から1時間くらいを通いました。

当時の監督の早野宏さん(現・サッカー解説者)はチームの強化に一所懸命だったので、コアなレギュラーメンバーをしっかりと指導されていました。私のような選手は、まずは練習生として、レギュラーメンバーとは別の練習をしていました。練習の最後の方に「じゃあ練習生も入って!」と早野さんに言われて合流する感じでした。その繰り返しで、だんだんと上手くなっていきました。私は、なんとか試合に出られるようになりました。

下條佳明さん(現・松本山雅テクニカルディレクター)が監督になってからは練習生の枠がなくなりました。私は上手くなりたかったし、試合に出たかったので、いつも下條さんの横に張り付いて、わからないことを色々と聞いていました。

アウェイ遠征の夕食は宿で食べていました。でも、ある日「みんなでファミレスへ行って食べてこい」と、下條さんから選手全員分の夕食のお金を渡されたことがあります。「甘いものは絶対に食べちゃダメだぞ」と言われていたのですが、やっぱりみんなで食べてしまいました。宿に帰ってくるとレシートでバレて怒られました(笑)。

選手が試合に集中できる環境を作る 

—WEリーグのお仕事と他のお仕事の違いはありますか?

市橋長いですよね(笑)。WEリーグの場合は14時のキックオフだと9時にはスタジアム入りします。すぐに打ち合わせや映像チェックが始まります。お客様の先行入場がキックオフの1時間40分前。それから、ずっと映像を上映したりアナウンスを入れたり、ライヴをしたりしています。キックオフ後は得点時や選手交代のアナウンス。ハーフタイムショーもあります。試合後は17時過ぎにスタジアムを出ます。全てが終わるまで、ずっと緊張した状態ですから、終わるとぐったりしますね。普通のステージイベントだと本番は30分〜1時間くらいです。

—WEリーグが始まって、これまでの女子サッカーと大きく変わったところはありますか?

市橋スタジアムが良くなりました。今は主に熊谷スポーツ文化公園陸上競技場を使用しています。以前はグラウンドの端に長テーブルとマイクスタンドとスピーカーを立ててアナウンスできるようにしていたこともあります。風が吹けばスピーカーが倒れることもあって大変でした。

今、スタジアムで試合をできるのはすごいことです。大型ビジョンに選手紹介が上映されるだけでも大変なことだと思います。各チームは、私のようなスタッフに外注ができる環境になりました。

日産F.C.レディースのときは、試合の準備を監督の下條さんがやっていました。遠征の新幹線の切符や宿を手配する担当の選手がいたり、みんなで手分けしてやっていました。試合会場のほとんどがスタジアムではなくてグラウンドでした。シャワールームがないグラウンドでも試合をしました。お客様は多くても100人くらい。家族、友達、それにいつもカメラで撮影しているマニアの人……。

今は1千人以上のお客様にご来場いただいています。客層も大きく変わりました。地域のご家族連れが多くなりました。選手は運営をプロに任せて安心して試合に集中できる環境になりましたね。好きな選手が決まっている小さなお子さんも増えています。ちふれASエルフェン埼玉は、温かなファン・サポーターが多いです。

今、コロナ禍でのご苦労はありますか?

市橋オペレーションルームは人との接触が少ないので、普段はあまり苦労しないのですが、選手やスタッフに一人でも陽性者が出ると、その度にPCR検査を行っています。

(残り 1662文字/全文: 4061文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ